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主にゲームと二次創作を扱う自称アングラ系ブログ。 生温い目で見て頂けると幸いです、ホームページもあるよ。 http://reverend.sessya.net/
2014/07/03 (Thu)05:34

 先日会った友人に、俺が以前書いたFarcry3のエントリが「これってただのオタクのひがみじゃないの」と言われてしまった。あの、主人公(破壊と殺戮に魅せられ、暴力を否定するかつての仲間達に背を向ける)とプレイヤー(ゲームに逃避し現実に目を背ける)をイコールで結びつけ、ユーザーを馬鹿にした脚本家は真性のアホだ、と書いた記事のことだ。
 それを書いた当時は「島で生き抜き仲間を助けるためには(ゲーム的に)暴力に頼るしかなく、そういうシナリオに乗るしかなかったユーザーをさも自発的に暴力に訴えたように一方的に貶めるのは恐ろしく卑怯なやり口だ」という思いが強かったため、あまり冷静に考えることができなかったのだが、それを第三者に指摘され、改めてFarcry3のあのシナリオの方向性について議論を交わしたわけである。
 言葉を重ね、再考した結果、俺は改めて「いや、そうじゃないんだよ」と、いや勿論そういう側面があったことも事実だけど、やっぱりあれはゲームのシナリオとしては致命的な失敗だったと友人に伝えた。切り口を変えたからだろうが、そのときには友人も納得してくれたようだった。

 というわけで今回は、そのときの会話をもとにFarcry3のメタ的なシナリオがなぜ失敗だったのかを改めて書こうと思う。「おまえ本当にFarcry3キライなんだな」という声が聞こえてきそうだが、うん…まぁ、ゲームプレイ自体は嫌いじゃなかったけどね。

 まずはFarcry3のシナリオの概略、オチに含まれるメタ的なメッセージについて簡単に書こう。もちろんネタばれアリアリなので、未クリアの方、ネタバレが死ぬほど嫌いな人は回避推奨。
 主人公ジェイソンは恋人や友人らとともに南国のトロピカルビーチへバカンスにやって来た。しかしそこは武装した海賊の拠点となっており、捕らえられた主人公は仲間を人質に取られ、脱走を試みるも道中で兄が殺されてしまう。海賊と敵対している地元住民の協力を得た主人公は、仲間の救出と殺された兄の復讐のため海賊に戦いを挑む。
 激しい戦闘を幾度か経験するうち破壊と暴力のもたらす麻薬的な快楽に魅せられた主人公は、やがて助けたはずの仲間からも距離を置かれてしまう。そして、それを狙っていたかのように地元住民の指導者から「戦いが終わったら島に残り、皆を導いてほしい」と説得される。
 命を懸けて助けたはずの仲間から「冷血な人殺し」と罵られ、ときに「こんなイカレた島からとっとと出て行こう、元の平和な生活に戻ろう」と説得される。一方で地元の指導者からはその勇猛な戦いぶりを賞賛され、すでに暴力に自らの人生の活路を見出していた主人公は仲間に背を向けかける。しかし海賊を殲滅し、島に残ることを決意した主人公に課せられた最後の使命は「自らの手でかつての仲間の命を奪う」というものだった。
 暴力を否定し、仲間とともに元の生活に戻るか(ゲームをやめて現実に戻るか)。
 自らを否定する声に耳を塞ぎ、楽園の中で生きることを選ぶか(現実を否定しゲームに耽溺するか)。

 シナリオの詳細やオチの締めの部分は割愛する。島の指導者とセックスしたあとナイフでぶっ殺されるとかいうセンセーショナルな出来事もないではないが、それは今回のエントリとは関係ない枝葉末節の部分なので。
 まぁよくあるタイプの説教臭いシナリオではあるが、これを仮にもAAA級の大作ゲームでやっちまったのはあまりにも問題がある。たんに悪趣味だとか、ゲーマー心理の否定とかで済む問題ではない、これはもっと深刻に捉えるべきものだ。

 まず考えるべきは、このゲームはどのユーザー層をターゲットに作られているのか、ということだ。
 日本語版では数箇所の表現規制を受けながらもCEROによるレーティングはZ指定、北米ESRBでもバリバリのMature指定だ。つまり十八歳以上、である。
 十八歳以上のゲーマーというと、これはもう、ほとんどが社会人である。そりゃあ、一部は学生や無職なんかがいるかもしれないが、「十八歳以上のゲームプレイヤー」という括りでみた場合、それが極々少数の割合であることは想像に難くない。というか、そうでないと困る。社会が回らなくなる。
 つまりFarcry3をプレイするほとんどのゲーマーは、日中は社会人として世の中に貢献し、やらされたくもない仕事をやらされたり、理不尽なクソ野郎に頭を下げたり、満員電車に揺られてフラフラになっていたりするのである。間違いなく現実を生きる戦士なのである。
 そして家に帰り、プライベートな時間を過ごす段になってようやく、社会人ゲーマーはゲームという非現実的なメディアに没頭することで心身をリフレッシュさせる贅沢を許されるのである。
 そこへこのFarcry3は、「ゲームに夢中になるのもいいけど、ちゃんと現実も見なきゃダメだよ」と言ってくるわけである。これが余計なお世話でなければ何であろうか。

 Farcry3に仕組まれたメタ的なメッセージの問題点は、メッセージそのものより、明らかに言う相手を間違えている部分にある。きちんと社会貢献している人間に、「おまえらゲーマーはどうせ現実に目を背けて引きこもってんだろ?現実見ろよ?」と言うのであるから、これがどれだけ失礼な行為であるかは考えなくてもわかるだろう。
 さらにそういうメッセージを発信することで、ゲーム製作者自身が「ゲームは現実に目を背けているオタクがプレイする低俗なメディア」であると、「所詮暴力ゲームをやるような連中なんて、このゲームに出てくる主人公みたいな幼稚な奴らだろ?」と言ってしまったも同義なのである。
 それに気づいてしまったとき、俺はものすごく、ものすごーく、悲しい気持ちになってしまった。

 ゲーム製作者の意識が、あまりにも低すぎる。

 これまでゲーム、とりわけ人殺しを題材とする、所謂「暴力ゲーム」というやつは世間から非常に厳しい目で見られてきた(今でもそうだ)。そういう、ゲームなんかポンやテトリスしかやったことがないような自称清廉潔白な連中に対し、ゲーマーは「いや、それは違う」「ゲームはただの俗悪メディアなんかじゃない」「優れた映像表現やメッセージ性のある総合芸術なんだ」と言い続けてきた。これにはゲーム製作者へのリスペクトも含まれており、素晴らしいゲームの数々を提供してくれるゲーム製作者へ貢献できる数少ない恩返しでもあった。
 しかしFarcry3の脚本家は、自らの口で「暴力ゲームは低俗なメディアで、それを遊ぶ人間は現実が見えていない幼稚な人間だ」と言ってしまったのである。これがユーザーへの、ゲーマーへの、なにより他のゲーム製作者への裏切りでなければ何であろうか。
 肝心のゲーム製作者がその程度の意識しか持っていないのであれば、我々ユーザーは今後暴力ゲームに対してどのように向き合っていけばいいのだろう?これでは「暴力ゲームは犯罪者予備軍を増やす俗悪メディアだ」と罵られても、「はいそうですね。ゲーマーはもっと現実に目を向けなければなりませんね」と言うしかなくなってしまう。

 つまりFarcry3というゲームに隠されたメッセージは、ゲーム製作者の自己否定だったのである。
 これは冒険的とか、挑戦的とか、そういうのではない。そういうのですらない。ゲーム製作に真摯に携わる人間すべてに対する冒涜である。むしろゲーマーへの偏見などというのは、極小さな側面の一つでしかない。
 だから俺は、こんな脚本を書いたやつ、そしてこんな脚本にGOサインを出した人間を認めるわけにはいかないんである。なぜなら俺はゲームが好きだからだ。ゲームを愛しているからだ。ゲーム製作者に敬意を抱いているからだ。

 メディアの発信者は、自らの作品が持つメッセージ性、それが示唆するものについてよく吟味しなければならないだろう。「それが結果的に何を意味するのか?」そこまで考えなければ、周囲に迷惑をかけた挙句、底の浅さを露呈して終わるだけだ。
 これはなにも、ゲームだけに限った話ではない。アニメ、漫画、それらのメディアでも度々「幼稚な人間のためのもの」「いや、そうではない」という議論が交わされた挙句、製作者自ら「漫画やアニメばかり見ていないで現実を生きなきゃだめだよ」などという卓袱台返しで唖然とさせられることが多々あったが、そろそろそういう不毛な化かし合いはやめてもいい頃だ。
 物作りに携わる人間には最低限、「自分は素晴らしいものを作っているんだ(あるいは、作らなければならない)」という意識を持って頂きたい。そうでなければ、苦難を乗り越えながらも道を切り拓いてきた先人に申し訳が立たないだろう。
 せっかく、漫画、アニメ、ゲームなどが「ガキ向け低俗メディア」ではなく、「一級品の大衆娯楽」「総合芸術」として認知される土壌が構築されてきているのだから、それを自らの手でぶち壊すこともないはずだ。

 肝心のFarcryはそろそろ四作目の登場が近づいてきているが、初見で与える雰囲気がこの三作目と近いので、またぞろ同じ失敗をやらかさないか心配である。他人に迷惑かけるようなシナリオはやめろよ…本当に。
 そんなわけで、このエントリは来るべき四作目への警句として残しておきます。偉そうだぞ、俺。





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無題
持論展開のつもりでこうやって火種投下するやつがいるからガキの遊びだって言われるんだよな。
ゲームなんてって言ってくるのはゲームに興味ねぇやつか、ゲームに飽きたやつだろ
そいつらにムキになって語っちゃうゲーム好きなやつってそれだけでガキじゃねぇか?
ガキでオタクなやつが喚いたって何も変わらねぇよ
ゲーマーは大人しくその狭い世界で自己満足やってりゃいいんだよアホ

まだ見てるかわかんねーけどな
「」 2018/03/30(Fri)03:56 編集
無題
まあ、そう言われちゃ返す言葉もないわけだけどさ。
イマドキ個人ブログに文句だけ書きに来るのも珍しいけど、せめて名前は書いといてほしいな。匿名掲示板じゃないんだから。
(たかだか個人ブログのコメント欄で強い言葉使ってイキるのも、ガキのやることな気がしないでもないぜ。)
グレアム@永遠の子供 2018/03/31(Sat)14:13 編集
無題
…えーと。念のために聞いておきたいんだけど、あんた、俺の個人的な知り合いじゃないよな?
ドメインを見て、ちょっと引っかかるところがあったもんで(あと、文句言うときの口調が知人の一人にそっくりなんだ)。

これはたんなるパラノイアだから、気にしてくれなくていい。忘れてくれ。
グレアム@? 2018/03/31(Sat)14:51 編集
無題
※1は具体的な指摘が何一つ出来てないアホなので触らなくて良いかと(ホントに知人なら申し訳無い)。

個人的には記事の内容に同意します。
自己言及的な皮肉は自分を棚上げされているようで不快ですし、何よりそれを商品にして金を取るというのは傲慢では?と思いますね。
暴力ゲームを否定しておきながら結局ファークライ自体5まで続いている訳で、矛盾ですよね。
通りすがり 2018/09/13(Thu)21:50 編集
無題
コメントありがとうございます。
この記事は「ゲームなんて」と言うオトナな人達に物申したかったわけではなくて、たんにオタクのためのオタク擁護をしたかっただけなので(後ろ向きだなあ、我ながら…)*1の彼が言うような「火種投下」みたいな意図は全くないんですよね。
なので、そもそも話の意図を取り違えている、という点において最初から躓きがあったのは、誰にとっても残念なことです。

ただ率直に、このような記事を書いた時点で*1のような反論があるかもしれないというのは予測して然るべきだったのですが、さすがに四年も経ってから、たんなる人格否定をされてもなあ…というのはあります。
こうした「自称:常識人or良識人」が、ことネットで物を書こうとすると、「強い言葉(口汚い罵り)」を使った時点でどんな理屈も説得力を失ってしまうという、極めて一般的な常識を簡単に無視できてしまうのも不思議です。

クリエイターというのは、(飽くまで一部においてですが)客のことを馬鹿にして飯が食えるという、とても不思議な業種なのですけども、せめて自分が作ったものを「好きだ!」と言ってついてきてくれるファンのことは大切にしてほしいなあ、というのは、素直な気持ちとしてありますね。
グレアム@アホなオタク 2018/09/14(Fri)02:49 編集
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