忍者ブログ
主にゲームと二次創作を扱う自称アングラ系ブログ。 生温い目で見て頂けると幸いです、ホームページもあるよ。 http://reverend.sessya.net/
2016/10/15 (Sat)14:58





 俺は先日、目前にした光景が信じられず、愕然とした。
 身体のあちこちにダメージを抱えながらも懸命に働き、給料の半分を実家に入れ、食事は毎日インスタントラーメンか冷凍うどん、人生の半分を同じ服を着て過ごし、煙草すら奪われ、ようやく月に五千か一万は貯金できるかという生活を送っているのに、外国人労働者が平然とシャネルのバッグを肩にかけているという現実に、俺はどう立ち向かったら良いのだろう。







 どうも、グレアムです。日本にベーシックインカム制度が導入されればいいのにと常々考えながら生きています。働かないで生活したいなんて贅沢は言わないから、せめて人並みに生きたい。

 さて先日、Amazonで幾つか注文していた洋書のペーパーバックのうち一冊が届きました。Douglas E. Winter著の『Run』。翻訳版「撃て、そして叫べ」は個人的にもっとも気に入っている小説の一つです。
 ただ、わくわくしながら黒のビニール包み(イギリスからのエアメールだ!)を破り、現物を手に取ったときはちょっと落胆しましたが。本が日に焼けているのは別にいいとして、表紙に目立つ折れ目がつき、ページの端にも漏れなく折れ目がついている。
 べつに、ピカピカの新品を期待していたわけではないが、それでも俺はこいつが、古本屋の店先の、吹きさらしのワゴンの中に50円の値札をつけて収まっていたとしても、まったく驚かないだろう。これで千円とはな。
 ていうか表紙裏の値段表記が£5.99だから、新品より高いじゃねーか。いや、まあ、仕方のないことなんだけども。本作はアメリカの小説だが、今回買ったのはイギリス版らしい。アメリカ版よりも表紙のデザインのセンスがいい。

 軽く中身を覗いて、英語の小説は日本の小説に比べて随分と読みにくいな、ということに気がついた。
 台詞等が記号で区切られていないのだ。なるほど、アレは日本の文学独自の表現法なのか。*違った。下に注釈を入れています
 例を出そう。食堂で、食べ物をぐちゃぐちゃに掻き混ぜて食べる相棒に主人公が苦言を呈する一幕だ。



  【翻訳版】
「それは食いものなのか?」おれはジンクスにいった。
「ひとの食うものにけちをつけないでくれ。なにをどう食おうが勝手だろう」
「そりゃそうだ。だが、ここの勘定はおまえが持てよ」

  【原語版】
 What is that shit? I ask him.
 Ain't what you eat, he says, It's how you chew it.
 Okay, I tell him. But you get the fucking bill.



 斯様に、原語版では書かれているものが台詞なのか、地の文なのかが咄嗟に判断しづらい。これは日本の文章に慣れきっているからこそ感じることなのかもしれないが(もっとも原語版において、たんに相手に言葉を発する場面で「ask」「says」「tell」と使い分けているのは興味深い点だ)、この部分だけ抜き出しても、翻訳という作業がどれだけ困難なものであるかが窺い知れる。

後記注:実際は本作が特殊で、他の小説は会話文を普通に”や’といった記号で区切っていた。翻訳版において「」を使用した普通の文章に直したのは訳者の癖か、それとも出版社側の意向か?いずれにせよ面白い現象ではある。

 ちなみに原語版ではShitだの、Fuckingだのという言葉を連発しているが、翻訳版にはこれに相当する言葉が省かれている。日本人的感覚から言うと、FuckやShitに相当する罵倒語を連発する人間というのは、かなり暴力的で知能の低いチンピラのように写ってしまうが、本作の主人公はそうではない(チンピラには違いないが)。
 むしろ「What is that shit?(そのクソはなんだ?)」という単純な罵倒を「それは食いものなのか?」という丁寧な物言いにすることで、より皮肉めいたニュアンスを強めるというのは、本作の主人公の性格を反映させるうえで適訳といえる。
 こうした、表現を日本人向けにコンバートするという作業こそが翻訳の妙であり、ただの機械的対訳では味わうことのできない醍醐味であろう。うん、金子浩訳の翻訳版はかなり出来が良いようだ。
 過去に似たようなことを言ったようだが、「What is that shit?」というフレーズを目にしてアメリカ人が受ける印象と、日本人が受ける印象は異なる。だから翻訳という作業において、たんなる機械的対訳ではなく、日本人向けの表現に直すという工程は当然あって然るべきものである。

 逆もまた然りで、日本語の文章を英語に翻訳する際、単語の一字一句を正確に置き換えようとすると、かえって表現の軸がブレ、グダグダになりやすい。
 この文章で読者に伝えなければならないのは何か?その一点に集中し、細かい表現のブレに関しては目を瞑ることも必要なのではないかと思う。
 これは翻訳に限らず、普段の仕事にも同じことが言える。大事なのは、絶対にやらなければならないことは何で、絶対にやってはいけないことは何かを素早く把握することだ。その中間部分は、極論すれば誤差でしかない。
 しかし、それが難しい。文学的表現における取捨選択というのは。

 ついでに言うと、俺は意訳推奨派であるとはいえ、固有名詞を勝手に捏造するのはまったく推奨していない。
 専門用語だろうとネットで幾らでも調べることができる時代に、standard M-16 gas-operated assault rifleを「標準型ガス式攻撃ライフルM16」などと訳していいはずがあるだろうか?これは表現の差異などではなく、物質の構造や本質を捻じ曲げる明らかな誤訳だ(捏造と言ってもいい)。戸田のなっちゃんもビックリのトンデモ訳である。
 全編をこんな調子で訳されたら、とてもじゃないが読書を継続することなど不可能だ。いわんや杜撰な訳者というのは専門用語の誤訳/捏造みならず、地の文や口語の表現も例外なく感性が死んでいるものである。
 翻訳は困難な作業だし、金を稼ぐために片手間で適当な機械的対訳をしたくなる気持ちもわからないではないが、原著者への不義理とかそういうものは考えないのだろうか。
 …なに、こんな翻訳をする人間がノーベル賞候補だって?冗談だろう?













PR
2011/10/19 (Wed)12:16
 ウォンテッド届きましたイエー。20ドルのアメコミが1500円で買えるとか、ほんとにドル安様々だね。
 

 
 やっぱアサシン・スーツはかっけぇな。本編だとほとんど顔出ししてるけど。なんでこれを映像化しようと思わなかったんだろう。映画版は終始普段着なのがなあ・・・
 ちなみにウォンテッドってーとアレです、弾丸曲げたりネズミ1000匹爆弾だったりモーガン・フリーマンが主人公に「マザー・ファッカー」とか言ったりする映画の原作です。
 しがないサラリーマンがじつは凄腕の殺し屋の息子で、父親の死をきっかけに組織に勧誘されて才能を開花させる親の七光り爆走記っていう序盤のプロットは映画とほぼ同じなんですが、中盤以降、というか、話の根幹はまったくの別モノと思って差し支えないです。
 

↑集合イラスト(ネットでの拾い物、さすがにページばらしてスキャンとかはやる気しないので)。右からザ・キラー(ウェズリー・ギブソン)、ミスター・リクタス、プロフェッサー・ソロモン・セルツァー、サッカー、フォックス
 
 といってもまだ流し読みした程度で、ほとんど翻訳してないので(しかし翻訳しながら読むってかなり時間かかるな)いろいろわからない部分や間違ってる部分などあると思いますが、ざっと内容の説明を。
 第一に、主人公を勧誘するのが「殺し屋の組織」ではありません。運命の織り機?なにそれ。
 ウォンテッドの世界は、かつてコミックスのヒーローやヴィラン(悪党)が「実在した世界」。そして過去にヒーローとヴィランの間で一大戦争が起き、ヴィランが勝利した世界。勝ち残ったヴィランが世界の裏側で暗躍を繰り広げる世界。
 そう主人公ウェズリー・ギブソンは「ザ・キラー」と呼ばれた凄腕のヴィランの息子だったのです!(ズギャーン)ちなみに原作では弾丸曲げは出てきません。そのかわり拳銃一挺でヴィラン数人をあっという間に皆殺しにできるくらいのナチュラル・キリング・マシーンですが。
 
 ザ・キラーの名を継ぎ、ファッキングな日常生活とオサラバしたウェズリーは訓練を積む傍ら、とりあえず練習がてら無辜の一般人を遠距離狙撃してみたり、入浴中の女のバスタブに電気ヒーター放り込んだり、街のチンピラをボコにしながら組織に馴染んでいきます。良心?なにそれ俺たちヴィランですよ悪党が悪いことすんのは当然でしょう、な感じで。
 ところが話が進むにつれヴィラン同士の内乱が勃発し、ウェズリーも否応なしに巻き込まれます。女ヴィランのフォックスと協力し敵の本拠地に殴りこみをかけたウェズリーは、なみいるヴィランを皆殺しにしたうえ黒幕のミスター・リクタスを殺し、内乱に終止符を打ちます。
 
 そこに「ブラボー、よくやったヤング・ウェズリー」と声をかける初老の紳士。彼こそが(実は生きていた)ウェズリーの父親「オリジナル・キラー(先代ザ・キラー)」です。
 夕食をともにした際、すべての謎を打ち明けたオリジナル・キラーはウェズリーを墓地まで案内すると、「これが最後の訓練だ」と言って自分を撃たせます。なにこの南斗鳳凰拳。
 かくしてウェズリーは世界を影で操る組織のボスになり、大金を手にします。「この本」を手に取り、明日も昨日までと変わらぬつまらない日常を送る一般人(つまり読者です)に哄笑を見せ、ジ・エンド。
 
 たぶん、この原作を読んでいるか、読んでいないかで、映画版ラストのウェズリーの台詞に対する印象もかなり違ったものになるんじゃないでしょうか(あるいはゲーム版をプレイしているか否かで)。
 
「俺はクソッたれな日常から解放され、暗殺者としての運命を受け入れることで本来の自分を取り戻した。君はどうだ?」
 この一連の台詞、地に足つけて生活している人を蔑んでいるように聞こえるし、殺人という行為を肯定しているようにも聞こえます。たぶんその点で「ただの人殺しが偉そうなことを」といった向きもあるかと思いますが(私もそうでした)、その感想は全面的に「正しい」です。
 映画でのウェズリーはメンタルが一般人のソレですし、フラタニティも正義の組織なんで気がつきにくいですが、結論から言うとウェズリーは「善良な市民」でも「品行方性な人間」でもありません。潜在的な闘争本能を持っており、暗殺者としての運命を受け入れ、それを楽しんでいるどうしようもないクズです。
 そう、「ただの一般人が伝説の殺し屋に」という、いかにも観客に感情移入させようというプロットでありながら、最後の最後でウェズリーは生来の「異常性」を見せるのです。ラストシーンで突然突き放された観客がウェズリーに感情移入できなくなるのは、ある意味で当然のことなのです。
 
 同時にウェズリーの台詞は、「世の中は変えられなくても、自分の人生くらいは変えられるだろ?」というメッセージでもあります。そしてそれは、ヒーローのありかたを問う現代のコミック・シーンにおいて驚くほどストレート且つゲスなメッセージを発信し続ける原作者マーク・ミラーならではのユーモアとも受け取れます。
 ウォンテッド、そして次作キックアスにおけるマーク・ミラーの主張は常に一貫しています。「一般人にも受け入れられようとつまらない理屈をこねてみたところで、結局、おまえらこういうのが好きなんだろ?自分もこういうことがやりたいんだろ?素直になれよ」。
 
 そんなこんなでまぁ、雑感を紹介っていうか色々書きたいことありすぎて散漫な記事になりましたがいつものことなんでまぁ。
 実際のところ、アートワークだけでも1500円分の価値はあると思いマスヨ。フルカラーだし。あと最後に同社トップカウ・レーベルのウィッチブレイドとザ・ダークネスの紹介が載っておった。
 アマゾンで調べたらザ・ダークネスのペーパーバック1巻が1000円で売ってたから思わずポチってしまった。いかん、ハマッてしまいそうだ。余裕があったらパニッシャー・マックス・シリーズあたりも欲しいですのう。ていうかあれ、ティムBは表紙だけなのか。残念至極。
 ちなみにザ・ダークネスのライターはガース・エニス。パニッシャーとか書いてる人。マーク・ミラーもウォンテッド書くまではマーヴルの一大クロスオーバーであるシビル・ウォーとか書いてたし、あちらでは出版者お抱えの作家とかいう概念はないのかしらね。集○社がおかしいだけか。
2011/07/18 (Mon)11:35
 言うまでもない、バットマンの宿敵ジョーカーに関することを今回はチラッと書いてみたい。

 ジョーカーは、かなり性格にムラのあるキャラだ。
 作品によって行動原理が微妙に異なっており、おふざけ半分で他人を陥れることもあれば、相手の人格を破壊するために手段を選ばず暴走することもある。たとえば事件を起こすにしても、たんなる悪ふざけに過ぎないものもあれば、目を覆いたくなるような悪辣極まる惨事を引き起こすこともある。
 
 もちろんこれは、作品によって異なるライターを用いるアメコミ特有の現象とも言えるのだが、奇作アーカム・アサイラムにおいて、その点に関する一つの解答が示されていたことに最近気がついた。
 アーカム精神病院で患者(バットマンが捕らえた怪人)の治療にあたっていた女医の言だが、それは「ジョーカーには固定した人格が存在せず、毎日人格を創造している」というものだった。
 これは作品毎による性格のバラツキを誤魔化す詭弁には違いないが、設定としては大変興味深い。一応辻褄は合っているし、独創的でユニークでもある。

 アーカム・アサイラムのジョーカーはキリング・ジョークの人間的感情に未練を残すジョーカーとは対象的に、世俗的な空気を微塵も感じさせない超人的な人格を形成している。機知に富んだユーモアを兼ね備えており、収監されているヴィランはおろか宿敵バットマンに対してさえ一定の理解を示している。
 そういう情に厚い面とは裏腹に、命令に応じないバットマンの目の前で人質を殺したうえ「お前のせいで余計な犠牲者が出ちまったじゃねーか」と言うようなガイキチっぷりを発揮する場面もある。個人的には陰惨さばかりが目についた映画「ダークナイト」のジョーカーよりも底の知れなさを感じる点で好感が持てる。
 まあそんなジョーカーも、キングダムカムでマゴッグに殺されちゃうわけですけどね。
 公式ではキングダムカムはパラレル設定らしいですが、公式設定にしちゃってもいいんじゃないのかなあ。未来の話だし、そのせいで話が作りにくくなるってこともないだろうし。

 この話のオチ?ないよ。いつも通り。
 HOME 
忍者ブログ [PR]