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主にゲームと二次創作を扱う自称アングラ系ブログ。 生温い目で見て頂けると幸いです、ホームページもあるよ。 http://reverend.sessya.net/
2012/08/08 (Wed)14:55
 昨今、またぞろ学生間の「いじめ」が問題視されている。
 べつに珍しいもんでもないし、いまにはじまったことじゃないんだが、ここ最近ではメディアでもわりと力を入れて取り上げているようなので、それに触発されてグレさんもちょいと自分の経験を交えつつ個人的な見解を述べてみようとかそういう。
 いまいじめを受けて苦しんでいるティーンへのメッセージと受け取ってもらえれば幸いだ。



 まず最初に言えるのは、「自分以外の何も、誰も信用するな」ということだ。メディアで一家言あるようなツラで高説垂れている有名人の戯言なんてのは最たるもんだが、ありきたりな一般論で解決できるほど「いじめ」ってのはお優しい代物じゃあない。
 だいたい、自殺者が出るような問題だってのを自覚しているやつがどれだけいるんだ?人が死んでるんだぜ?それも今回だけじゃない、過去に似たような事件は山のように起きてる。そのたびに社会現象みたいな扱いをされて、「なんとかしなきゃ」みたいな論調で世間は盛り上がるが、ブームが過ぎればすべて現場に丸投げだ。まるで飽きられたオモチャじゃないか。
 それで、世間が「いじめなんとかしなきゃ」と騒いだところで、それでいじめから救われたやつが、問題が解決してハッピーな人生を送れるようになったやつがどれだけいる?いやしない。なんたって、誰も根本的に解決しようなんて、考えてもいないんだから。
 そりゃあ、いじめられてるやつの誰も彼もが自殺するわけじゃない。でもなあ、死ななくったって、めちゃくちゃ辛い思いをしたり、心ない連中の気まぐれで人生をメチャクチャに引っ掻き回されたやつが、いったいどれだけいると思うよ?

 それじゃあ、どうすりゃいいんだ…そもそもいじめを解決する方法があるのか?
 その答えを探るには、まず「なぜいじめがなくならないか」を、その根本的なところを考える必要がある。



1.「大人はあてにならない」。

 これはべつに、信用できるか、できないかの問題じゃない。大人だって人間だ。教師だって両親だって、「ただの」人間だ。なにをするにも限界ってものがある。

 教師はいじめを解決できるか?
 どうだろう、毎日生徒に勉強を教えて、スケジュールを組んだりテストを作って答案を採点し、廊下を歩いてるとき以外にヒマな時間なんてそうそうない。家に帰れば家族がいるかもしれないし、妻のことを考えたり、自分の子供の将来を考えてやらなきゃいけないかもしれない。独身だって、学校から疲れて帰ってきたらメシ食って風呂入ってTV見たりゲームやったりして、自分の時間を作りたいかもしれないじゃないか。
 はっきり言う。学校でいじめられてるのがキミだけじゃないなら、教師はたった一人の生徒を特別視して問題解決のために便宜を図れるほど余裕のある人種ではない。いったい誰が好き好んで、たかが一生徒に過ぎない余所の家の子供のために人生を切り詰めなきゃならない?

 それじゃあ、父親はどうだ?
 毎日朝早く起きて家を出て、満員電車に揺られながらの出勤。帰ってくるのは夜遅くかもしれない、そうなるともう帰宅したときにはクタクタだ。TVを見ながらメシを食い、ビールなんぞ飲んだ日にゃ、あとは風呂に入って寝るくらいの余力しか残らない。社会人ってのはタイヘンな生き物なんだ。
 休日なら休日で、日々の疲れが溜まっていたら、たまの休みくらい寝て過ごしたいかもしれない。そうでなくとも、父親だって人間だ。趣味の一つもあろう。実の子供が抱えている問題よりも趣味が大事なのか、という向きもあろうが、誰だってまずは「自分」が一番大切だ。それにストレスで病気になり、働けなくなったら困るのは家族だ。
 父親の仕事は、家族を食わせるために金を稼ぐことだ。子供の問題に積極的に関われるようなのは極稀だと思っていい。自分の父がそういう、「子供がなによりも大切だ」と身を削って行動できるような人間だと思うなら、まあ相談くらいはしてもいいんじゃないか。たいていは徒労に終わると思うが(アドバイスくらいはしてくれるだろう。ことによると、新聞やニュースの受け売りを得意顔で語ってくれるかもしれない。結果的にはなんの意味も成さないだろう)。

 母親はどうだろうか。
 専業主婦だったら多少の時間の余裕はあるだろうが、いまや夫婦共働きがスタンダードだ。朝早く起きて洗濯し、家族全員ぶんの朝食を作る。夕食を作るまでに掃除や買い物、その他雑事などをこなさなければならない。そこに「仕事」が乗っかるとするなら、もうその他のことに気力を割り振る余裕などないだろう。
 よしんばキミの母親には時間的あるいは精神的余裕があり、我が子の直面する問題を積極的に解決しようと思うかもしれない。それで、いったいどうやって解決する?
 教師に直訴するか?上で書いたように教師も日々を懸命に生きる一個人でしかない。ましてや問題が表面化して大事になるまえに隠蔽しようとするかもしれない(その理由は?学校のイメージを損ねる、当然それもあるだろうが、九割はたんに面倒だからだ)。
 それに教師が問題解決しようとしたとして、いったいどうすればいいというのか?いじめっ子を叱ったり、諭したりしたとしよう。キミをいじめてる連中は、その程度でいじめをやめるほどのお人好しか?体罰を加えて欲しいと思うかもしれないが、いまや教師は生徒をちょっと叩くだけでニュース沙汰になるほど行動が取りにくくなっている。
 いじめっ子の親に直訴したところで、相手が認めようとしなければそれまでだ。最終手段に「起訴」というテがあるが、「いじめの証拠」なんてモノほど証明しにくいものはない。まして、いじめられた本人がどれだけ傷ついたか、なんてのは、裁判の結果や量刑になんの影響も与えない。なぜならそれは、たんなる「感情的な問題」に過ぎないからだ。
 教育委員会?PTA?役に立つと思うんなら利用してみるといい。いままでに、そいつらの尽力でいじめが解決したって例を一度でも耳にしたことがあるなら。

 さて。教師はあてにならず、両親にできることにも限界はある。
 じゃあ、あとは誰に頼ればいい?友達か?気長に正義のヒーローでも待ってみるか?「いつか誰かがなんとかしてくれるかもしれない?」ああ、日本人の悪いクセだ。幼い頃からTVや漫画に毒されたせいで、「どんな問題にも理想的な解決法があるに違いない」「いまは不幸でも、そのうち<なにか>が起きて幸せになれるかもしれない」なんて妄想を抱いてる。
 そんなもん、ありゃしねぇよ。自分から行動を起こさなけりゃなにも変わらないし、誰もキミのことなんか助けちゃくれない。だいたい、「理想的な解決法があるはず」なんてバカな思想の持ち主がどれだけ役立たずかなんて、普天間基地移設問題のときの鳩山の失態を見ればよーくわかるだろう。あれこそフィクションに毒されてぼーっと夢見がちなことばかり考えてる、平和ボケの日本人の鑑みたいなもんじゃないか。
 メディアを見てみろよ。みんな綺麗事ばっかり言ってる。消極的で、「いつかきっと」とか、「そのうち」とか、言ってる。みんな役立たずだ。犬のクソほどの値打ちもない戯言ばかり。誰も、「こうすればいじめを解決できる!」と断言したやつが一人でもいるっていうのか?その内容自体は間違いでもいい、ただ「間違ったことを言ってたらどうしよう」とか自分の体面のことをまず考えてるやつの言葉なんか役に立つわけがない。
 どうだろう?いまキミの周囲をふと見回して、「この人なら絶対に力になってくれる!」とキミ自身が断言できる人物がいるか?「たぶん」とか「もしかしたら」はナシだ。そいつらはきっと役に立たない。役に立とうとは、するかもしれないが。気持ちじゃなにも解決しない。もし一人もいなけりゃ、キミは自分一人で目前の問題に立ち向かわなけりゃならない。



2.「いじめっ子って、どんなヤツだ?」

 メディアでもほとんど取り上げられることのない、「いじめっ子」の正体。そもそも、どういうやつが「いじめ」をするのか?ここでは大きく二つにタイプを分けよう。

 1:「根っからの不良、悪事を働くために生まれてきたようなクズ」
 いわゆるボス猿タイプだ。不良グループの頭にいるようなタイプで、誰に頼まれたわけでもないのに気がつくと悪事を働いている。楽しそうに他人を傷つけ、その行為に一切の疑問を持たない。困ったことにケンカはやたらに強い場合が多く、ときに教師ですら逆らえないことも。「悪のカリスマ」的なものを持ち、周囲を惹きつける才能がある。ただし、その魅力が正しい方向に発揮されることはない。

 2:「いじめられるよりは、いじめるほうがマシだから…という理屈。くせぇコウモリ野郎」
 俺が思うに、全人類の三分の二はこれに当てはまると感じる。基本的にいじめ問題ってのは「いじめる側」「いじめられる側」の二極に別れる。中立的立場なんてのは許されない。いじめられたくなければ、悪党に加担して弱者をいじめるしかないのだ。そういうやつに「自分の意思」なんてものはない。タチの悪いケースだと、上記「1」のような目立ちやすい悪党の影に隠れてコソコソと弱者を嬲って快楽を得るゲスもいる。

 さて…ここでは例1で挙げたタイプを中心に話を進めていきたい。1のように他人を傷つけるのが生き甲斐、みたいなやつさえいなければ、例2で挙げたような卑怯くさいインチキ野郎の数もちょっとは減るだろうから。

 どうしたら、例1のようなタイプにいじめをやめさせることができるか。結論から言おう、「無理だ」。
 いわゆる世間とか一般社会とか呼ばれるコミュニティは、この「いじめっ子」というヤツの正体について過小評価しているフシがある。「同年代の子供なんだから、説得できるはず」「相手の気持ちを理解できないだけ。自分の行為を自覚できれば、相手がどれだけ傷ついているかを理解できれば、そんなに酷いことはできないはず」と。
 まったく、なんにもわかっちゃいない。なぜ自殺者が出るほど「いじめ」が深刻なのか、心根では理解を拒んでいるとしか思えない。

 ここから「いじめっ子」の正体を書く。これは俺の実体験に基づく記述だ。俺が過去に対面した相手の精神を、読み解いた末に得た結論だ。疑いたいなら、勝手に疑えばいい。
 「いじめっ子」は…すべてを理解している。相手がどれだけ傷ついているか。自分の心無い行為で、どれだけ苦しんでいるかを。すべて理解しているんだ。そして、それを楽しんでいる。
 いじめた相手が自殺するのは、究極の到達点だ。やりがいのある目標だ。しかも犯罪にはならない。うまくすれば、すべては闇に葬られ…自分はまったく咎められないかもしれない。「自分は合法的に他人の命を奪うことができる」。最高の愉悦じゃないか?咎められたらこう言えばいい。「あいつが勝手に死んだんだろ。むしろこっちが迷惑だ」と。
 すべてわかってるんだ、連中は。いじめた相手の苦悩、周囲の大人の対応、社会の反応。すべて想定済なんだよ。全部織り込み済だ。ぜんぶわかってて、すべてを理解してて、そのうえで「楽しんでる」んだ。

 そういう相手なんだよ、他人を死なせて平気なツラしていられるやつってのは。キミが直面している、あるいは直面しているかもしれないヤツっていうのは、そういう相手なんだよ。怪物なんだ。モンスターなんだよ。綺麗事なんか通じるわけがない。
 そういう精神構造をしてる犯罪者の例ってのは世界中に山ほどある。そして、実際に事件を起こすまでは一般社会に溶け込んで生活していたって例も。「いじめっ子」の場合は子供だから、学生だから、犯罪者とすら認識されない。「子供のやったことだから多目に」なんて言い訳が通用してしまうかもしれない。「クラスメイトなんだから、仲良くできないの?」とか、教師に言われたことないか?



 どうだろう、自分の立場がとんでもなく八方塞がりで、孤立無援で、とんでもなく不幸な身の上だと思えてきただろう。でも、それはキミの置かれた環境に変化があったわけじゃない。たんに認識の違いってだけだ。「現実」ってのを認識すれば、こんだけ絶望的な気分になれる。
 なぜ自分ばかり…そう思うか?キミだけじゃないよ。日本中に、明日にでも死のうかと考えてる「いじめられっ子」がいるんだ。相手が学生であるばかりに、自分が学生であるばかりに、耐え難い理不尽を背負わなきゃいけないヤツが大勢いるんだ。
 不幸なのは日本の学生だけじゃない。アフリカで生まれて間もなく餓死する子供、ろくな教育も受けず(「人殺し」が「悪いこと」という認識すらできないほどにだ)ただ言われるままに戦場で戦い死んでいくアフガンの少年兵士。「ユダヤ人」というだけで奪われた数百万の命、カンボジアでは国民の三分の一が暴君によって粛清された。
 極端な例だと思うだろう?でも俺たちにとってはたんなる歴史上の数字でしかないこれらも、実際はその一人一人が俺やキミと変わらない「おなじ命」「おなじ人間」なんだ。かと思えば、他人を死に向かわせた挙句のうのうと過ごしている「いじめっ子」がいる。まったく…最初に「人類平等」なんて寝言をほざいた間抜けはいったいどこの誰なんだろうな。

 世の中っていうのは、そういう不幸の集合体だ。なんでだろうね?俺やキミ、そして無為に奪われた多くの命は、べつに悪いことをしたわけじゃないのに。なんでこんな不公平なことが起きるんだろう?
 それは、「世の中ってそういうもの」だからだよ。残酷なことを書くようだが、キミは「特別な存在」でもなんでもない。キミがいじめられるのは、キミが格別不幸な存在だからじゃない。キミは世の中により多くある不幸の中の、「たった一例」に過ぎないんだ。
 世の中は理不尽で、因果応報なんて言葉は御伽噺の中でのみ有効だ。どんなに努力したって、結果が伴わなけりゃ報われない。善良であるがゆえに不幸になった人間の、なんと多いことか。「善いことをすれば、必ず善いことが返ってくる」なんてのは、支配者が奴隷を都合良く操るための虚言に過ぎない。それなりに頭の回転が速ければ、悪党が一生を幸福のまま暮らせたりする。



 最後で論点がちょいとズレた気もしたが、結論は単純だ。
「いじめはなくならない。やめさせることが無理である以上、いじめっ子を皆殺しにでもしない限り…そしてそれは不可能だ」
「信頼できる人間なんかいない。すべて自分でなんとかしなければならない」
 天の助けを待つのでなければ、自分の力以外に頼れるものはない。死にたくなるのも無理はない、俺は自殺者を笑う気にはなれない。俺自身、何度死のうと考えたか知れない。いま生きてるのは、生きれてるのは、希望を信じなくなったからだ。世の中になにも期待しなくなって、なにもかも諦めて場当たり的に生きるようになったからだ。よく言うだろ…「最初からなにも期待しなければ、心が裏切られることもない」って。
 いまの俺はなにも信じてない。そりゃあ、友達と遊んでるときは楽しいし、家族だって愛してる。でも、信用はしてない。嫌いだからじゃないよ、もちろん。けど所詮、「他人が出来ることには限界がある」。俺はもう、気持ちを裏切られるのには疲れた。

 俺に出来ることにも、限界はあった。
 俺はいじめられる側だったが、それ以上に俺はいじめられてるヤツを助ける側に回ってた。正義の味方を気取るわけじゃないが、友達が理不尽な暴力を受けているのが許せなかった。だが報われることはなかった。俺がどれだけ大変な思いをして助けても、友達は「なんで俺ばっかりこんな不幸な目に」と言うばかりだった。感謝されたかったわけじゃないが、礼の一つも言われないのはやはり傷ついた。やがて登校拒否が大流行し、クラスの三分の一の席が空くようになった頃、俺の友達は一人も学校に来なくなってた。
 だんだんと俺に的が集中しはじめる。でも俺には、まだ彼女がいた。唯一の希望だった。彼女もいじめられていた。彼女の性格は俺にちょっと似ていた、だから俺が耐えていられる限りは彼女も耐えられるだろうと思っていた。だから彼女が耐えている限り、俺も耐えようと思った。その想いだけを糧に耐え続けた。でも間違ってた。いつの間にか彼女は姿を消してた。俺はもう、なにもかもどうでもよくなった。

 当時の俺の最大の過ちは、大人を信用したことだ。学生にとって教師や親ってのは特別な存在に思えるからな。
 教師にも両親にも状況を打ち明けた。「いずれ誰かがなんとかしてくれる」と思った。だが俺が得たのは、上のほうで書いたような教訓だった。大人はなんの役にも立たなかった。なんの役にも立たなかったんだ。
 これも、世界中に無数にある不幸の、たった一例に過ぎない。たぶん珍しいことでもないんだろう。

 いいかい、キミ。いま「いじめられている」キミ、もっともそんなヤツがこんな零細ブログなんざ見てるはずもないとは思うんだが、もし見ていたら、心に刻みつけておいてほしい。
 大人はなんの役にも立たない。というか、他人は役に立たない。だから、自分でなんとかするしかないんだ。べつに逃げたっていい。死にたくなければ。希望を持つな。他人に期待するな。心の傷が大きくなるだけだ。

 最後に、気持ちをラクにするための魔法の言葉を教えよう。
「世の中って、こんなもんだ」。
 希望を口にできるほど余裕がある人間に、心が深く傷ついたやつのことなんか理解できるわけ、ないじゃないか。なぁ。


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