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2014/07/19 (Sat)16:05
いたちごっこ、という言葉がある。
スーパーヒーローの登場によって犯罪の指向がより過激化してしまったら?
これはなにも、スクリーンの中の絵空事の話ではない。日本でも暴対法が制定されてからこっち、ヤクザや暴力団の犯罪はより巧妙になり、あるいは締めつけの強化による困窮で自棄的な凶悪犯罪が増加した。している。現在進行形である。
ゴッサムシティでは「それでも俺は活動をやめられない!」とバットマンが日夜頑張っているわけであるが、さて現実世界に生きる我々はどう犯罪に立ち向かうべきだろうか?という、一考の価値ある疑問をこの映画は投げかけてくれる。所謂、社会派ドラマなんである。
そういう大人なドラマであるから、アメコミ映画でありながらアメコミ的な不自然さが足を引っ張ってしまっているという本末転倒さは、これまたアメコミの宿命みたいなものなので仕方がないと割り切るしかない。もっともヒーローの存在の是非を問う内容であるから、ある意味ではアメコミでしかできない話なのだが。
ユーモア欠乏症患者と化したジョーカーのキャラクター造型には原作ファンに賛否あると思う、綺麗に纏まってはいるが、綺麗に纏まりすぎているのだ。とはいえ、あまり狂気とコミカル成分が増えても収集がつかなくなるので、妥当な落としどころではある。
ジョーカーの影に隠れていまいち存在感のないトゥーフェイスは俺のお気に入りヴィランだ。出番が今作限りなのは残念である。
さていままでに「ヒーロー」という単語を何回か使ったが、じつのところ、バットマンにはヒーローという呼称はあまり相応しくないと思っている。
バットマンの行動原理は性悪説であり、彼の目的は犯罪者との戦いだ。そして彼が犯罪抑止のために用いるのは、力と恐怖である。彼はヴィジランテであり、クライム・ファイターである。が、そこには「人を助ける」という根源的な欲求がどこか抜け落ちているため、ヒーローと呼ぶにはいささか不適格と考える次第である(といっても、これはエピソードによるけど)。
そしてバットマンと対極の位置にいるヒーローというのが、何を隠そうDC二大看板のもう一方を担う鋼鉄の男、スーパーマンなのだな。
スーパーマンについての考察は今後に譲るとして、ではバットマンをヒーロー不適格と呼ぶのであれば、何と呼ぶべきか?
その疑問の答えがこの映画に集約されている。鋼鉄の男(マン・オブ・スティール)と対極を成す男、その名は暗黒の騎士(ダーク・ナイト)。
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