主にゲームと二次創作を扱う自称アングラ系ブログ。
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2011/10/19 (Wed)12:16
ウォンテッド届きましたイエー。20ドルのアメコミが1500円で買えるとか、ほんとにドル安様々だね。
やっぱアサシン・スーツはかっけぇな。本編だとほとんど顔出ししてるけど。なんでこれを映像化しようと思わなかったんだろう。映画版は終始普段着なのがなあ・・・
ちなみにウォンテッドってーとアレです、弾丸曲げたりネズミ1000匹爆弾だったりモーガン・フリーマンが主人公に「マザー・ファッカー」とか言ったりする映画の原作です。
しがないサラリーマンがじつは凄腕の殺し屋の息子で、父親の死をきっかけに組織に勧誘されて才能を開花させる親の七光り爆走記っていう序盤のプロットは映画とほぼ同じなんですが、中盤以降、というか、話の根幹はまったくの別モノと思って差し支えないです。
↑集合イラスト(ネットでの拾い物、さすがにページばらしてスキャンとかはやる気しないので)。右からザ・キラー(ウェズリー・ギブソン)、ミスター・リクタス、プロフェッサー・ソロモン・セルツァー、サッカー、フォックス
といってもまだ流し読みした程度で、ほとんど翻訳してないので(しかし翻訳しながら読むってかなり時間かかるな)いろいろわからない部分や間違ってる部分などあると思いますが、ざっと内容の説明を。
第一に、主人公を勧誘するのが「殺し屋の組織」ではありません。運命の織り機?なにそれ。
ウォンテッドの世界は、かつてコミックスのヒーローやヴィラン(悪党)が「実在した世界」。そして過去にヒーローとヴィランの間で一大戦争が起き、ヴィランが勝利した世界。勝ち残ったヴィランが世界の裏側で暗躍を繰り広げる世界。
そう主人公ウェズリー・ギブソンは「ザ・キラー」と呼ばれた凄腕のヴィランの息子だったのです!(ズギャーン)ちなみに原作では弾丸曲げは出てきません。そのかわり拳銃一挺でヴィラン数人をあっという間に皆殺しにできるくらいのナチュラル・キリング・マシーンですが。
ザ・キラーの名を継ぎ、ファッキングな日常生活とオサラバしたウェズリーは訓練を積む傍ら、とりあえず練習がてら無辜の一般人を遠距離狙撃してみたり、入浴中の女のバスタブに電気ヒーター放り込んだり、街のチンピラをボコにしながら組織に馴染んでいきます。良心?なにそれ俺たちヴィランですよ悪党が悪いことすんのは当然でしょう、な感じで。
ところが話が進むにつれヴィラン同士の内乱が勃発し、ウェズリーも否応なしに巻き込まれます。女ヴィランのフォックスと協力し敵の本拠地に殴りこみをかけたウェズリーは、なみいるヴィランを皆殺しにしたうえ黒幕のミスター・リクタスを殺し、内乱に終止符を打ちます。
そこに「ブラボー、よくやったヤング・ウェズリー」と声をかける初老の紳士。彼こそが(実は生きていた)ウェズリーの父親「オリジナル・キラー(先代ザ・キラー)」です。
夕食をともにした際、すべての謎を打ち明けたオリジナル・キラーはウェズリーを墓地まで案内すると、「これが最後の訓練だ」と言って自分を撃たせます。なにこの南斗鳳凰拳。
かくしてウェズリーは世界を影で操る組織のボスになり、大金を手にします。「この本」を手に取り、明日も昨日までと変わらぬつまらない日常を送る一般人(つまり読者です)に哄笑を見せ、ジ・エンド。
たぶん、この原作を読んでいるか、読んでいないかで、映画版ラストのウェズリーの台詞に対する印象もかなり違ったものになるんじゃないでしょうか(あるいはゲーム版をプレイしているか否かで)。
「俺はクソッたれな日常から解放され、暗殺者としての運命を受け入れることで本来の自分を取り戻した。君はどうだ?」
この一連の台詞、地に足つけて生活している人を蔑んでいるように聞こえるし、殺人という行為を肯定しているようにも聞こえます。たぶんその点で「ただの人殺しが偉そうなことを」といった向きもあるかと思いますが(私もそうでした)、その感想は全面的に「正しい」です。
映画でのウェズリーはメンタルが一般人のソレですし、フラタニティも正義の組織なんで気がつきにくいですが、結論から言うとウェズリーは「善良な市民」でも「品行方性な人間」でもありません。潜在的な闘争本能を持っており、暗殺者としての運命を受け入れ、それを楽しんでいるどうしようもないクズです。
そう、「ただの一般人が伝説の殺し屋に」という、いかにも観客に感情移入させようというプロットでありながら、最後の最後でウェズリーは生来の「異常性」を見せるのです。ラストシーンで突然突き放された観客がウェズリーに感情移入できなくなるのは、ある意味で当然のことなのです。
同時にウェズリーの台詞は、「世の中は変えられなくても、自分の人生くらいは変えられるだろ?」というメッセージでもあります。そしてそれは、ヒーローのありかたを問う現代のコミック・シーンにおいて驚くほどストレート且つゲスなメッセージを発信し続ける原作者マーク・ミラーならではのユーモアとも受け取れます。
ウォンテッド、そして次作キックアスにおけるマーク・ミラーの主張は常に一貫しています。「一般人にも受け入れられようとつまらない理屈をこねてみたところで、結局、おまえらこういうのが好きなんだろ?自分もこういうことがやりたいんだろ?素直になれよ」。
そんなこんなでまぁ、雑感を紹介っていうか色々書きたいことありすぎて散漫な記事になりましたがいつものことなんでまぁ。
実際のところ、アートワークだけでも1500円分の価値はあると思いマスヨ。フルカラーだし。あと最後に同社トップカウ・レーベルのウィッチブレイドとザ・ダークネスの紹介が載っておった。
アマゾンで調べたらザ・ダークネスのペーパーバック1巻が1000円で売ってたから思わずポチってしまった。いかん、ハマッてしまいそうだ。余裕があったらパニッシャー・マックス・シリーズあたりも欲しいですのう。ていうかあれ、ティムBは表紙だけなのか。残念至極。
ちなみにザ・ダークネスのライターはガース・エニス。パニッシャーとか書いてる人。マーク・ミラーもウォンテッド書くまではマーヴルの一大クロスオーバーであるシビル・ウォーとか書いてたし、あちらでは出版者お抱えの作家とかいう概念はないのかしらね。集○社がおかしいだけか。
やっぱアサシン・スーツはかっけぇな。本編だとほとんど顔出ししてるけど。なんでこれを映像化しようと思わなかったんだろう。映画版は終始普段着なのがなあ・・・
ちなみにウォンテッドってーとアレです、弾丸曲げたりネズミ1000匹爆弾だったりモーガン・フリーマンが主人公に「マザー・ファッカー」とか言ったりする映画の原作です。
しがないサラリーマンがじつは凄腕の殺し屋の息子で、父親の死をきっかけに組織に勧誘されて才能を開花させる親の七光り爆走記っていう序盤のプロットは映画とほぼ同じなんですが、中盤以降、というか、話の根幹はまったくの別モノと思って差し支えないです。
↑集合イラスト(ネットでの拾い物、さすがにページばらしてスキャンとかはやる気しないので)。右からザ・キラー(ウェズリー・ギブソン)、ミスター・リクタス、プロフェッサー・ソロモン・セルツァー、サッカー、フォックス
といってもまだ流し読みした程度で、ほとんど翻訳してないので(しかし翻訳しながら読むってかなり時間かかるな)いろいろわからない部分や間違ってる部分などあると思いますが、ざっと内容の説明を。
第一に、主人公を勧誘するのが「殺し屋の組織」ではありません。運命の織り機?なにそれ。
ウォンテッドの世界は、かつてコミックスのヒーローやヴィラン(悪党)が「実在した世界」。そして過去にヒーローとヴィランの間で一大戦争が起き、ヴィランが勝利した世界。勝ち残ったヴィランが世界の裏側で暗躍を繰り広げる世界。
そう主人公ウェズリー・ギブソンは「ザ・キラー」と呼ばれた凄腕のヴィランの息子だったのです!(ズギャーン)ちなみに原作では弾丸曲げは出てきません。そのかわり拳銃一挺でヴィラン数人をあっという間に皆殺しにできるくらいのナチュラル・キリング・マシーンですが。
ザ・キラーの名を継ぎ、ファッキングな日常生活とオサラバしたウェズリーは訓練を積む傍ら、とりあえず練習がてら無辜の一般人を遠距離狙撃してみたり、入浴中の女のバスタブに電気ヒーター放り込んだり、街のチンピラをボコにしながら組織に馴染んでいきます。良心?なにそれ俺たちヴィランですよ悪党が悪いことすんのは当然でしょう、な感じで。
ところが話が進むにつれヴィラン同士の内乱が勃発し、ウェズリーも否応なしに巻き込まれます。女ヴィランのフォックスと協力し敵の本拠地に殴りこみをかけたウェズリーは、なみいるヴィランを皆殺しにしたうえ黒幕のミスター・リクタスを殺し、内乱に終止符を打ちます。
そこに「ブラボー、よくやったヤング・ウェズリー」と声をかける初老の紳士。彼こそが(実は生きていた)ウェズリーの父親「オリジナル・キラー(先代ザ・キラー)」です。
夕食をともにした際、すべての謎を打ち明けたオリジナル・キラーはウェズリーを墓地まで案内すると、「これが最後の訓練だ」と言って自分を撃たせます。なにこの南斗鳳凰拳。
かくしてウェズリーは世界を影で操る組織のボスになり、大金を手にします。「この本」を手に取り、明日も昨日までと変わらぬつまらない日常を送る一般人(つまり読者です)に哄笑を見せ、ジ・エンド。
たぶん、この原作を読んでいるか、読んでいないかで、映画版ラストのウェズリーの台詞に対する印象もかなり違ったものになるんじゃないでしょうか(あるいはゲーム版をプレイしているか否かで)。
「俺はクソッたれな日常から解放され、暗殺者としての運命を受け入れることで本来の自分を取り戻した。君はどうだ?」
この一連の台詞、地に足つけて生活している人を蔑んでいるように聞こえるし、殺人という行為を肯定しているようにも聞こえます。たぶんその点で「ただの人殺しが偉そうなことを」といった向きもあるかと思いますが(私もそうでした)、その感想は全面的に「正しい」です。
映画でのウェズリーはメンタルが一般人のソレですし、フラタニティも正義の組織なんで気がつきにくいですが、結論から言うとウェズリーは「善良な市民」でも「品行方性な人間」でもありません。潜在的な闘争本能を持っており、暗殺者としての運命を受け入れ、それを楽しんでいるどうしようもないクズです。
そう、「ただの一般人が伝説の殺し屋に」という、いかにも観客に感情移入させようというプロットでありながら、最後の最後でウェズリーは生来の「異常性」を見せるのです。ラストシーンで突然突き放された観客がウェズリーに感情移入できなくなるのは、ある意味で当然のことなのです。
同時にウェズリーの台詞は、「世の中は変えられなくても、自分の人生くらいは変えられるだろ?」というメッセージでもあります。そしてそれは、ヒーローのありかたを問う現代のコミック・シーンにおいて驚くほどストレート且つゲスなメッセージを発信し続ける原作者マーク・ミラーならではのユーモアとも受け取れます。
ウォンテッド、そして次作キックアスにおけるマーク・ミラーの主張は常に一貫しています。「一般人にも受け入れられようとつまらない理屈をこねてみたところで、結局、おまえらこういうのが好きなんだろ?自分もこういうことがやりたいんだろ?素直になれよ」。
そんなこんなでまぁ、雑感を紹介っていうか色々書きたいことありすぎて散漫な記事になりましたがいつものことなんでまぁ。
実際のところ、アートワークだけでも1500円分の価値はあると思いマスヨ。フルカラーだし。あと最後に同社トップカウ・レーベルのウィッチブレイドとザ・ダークネスの紹介が載っておった。
アマゾンで調べたらザ・ダークネスのペーパーバック1巻が1000円で売ってたから思わずポチってしまった。いかん、ハマッてしまいそうだ。余裕があったらパニッシャー・マックス・シリーズあたりも欲しいですのう。ていうかあれ、ティムBは表紙だけなのか。残念至極。
ちなみにザ・ダークネスのライターはガース・エニス。パニッシャーとか書いてる人。マーク・ミラーもウォンテッド書くまではマーヴルの一大クロスオーバーであるシビル・ウォーとか書いてたし、あちらでは出版者お抱えの作家とかいう概念はないのかしらね。集○社がおかしいだけか。
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