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主にゲームと二次創作を扱う自称アングラ系ブログ。 生温い目で見て頂けると幸いです、ホームページもあるよ。 http://reverend.sessya.net/
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2013/10/01 (Tue)14:45

 最近、またぞろウォッチメンを観返したり読み返したりしている。
 原作版も映画版も、見るたびに新しい発見があり非常に面白いのだが、今回、映画版のラストを観ていてちょっと気付いたことがあったので、そのことについて書いておきたいと思う。

 映画のラスト、ヴェイトの人類救済計画に誰しもが口をつむごうと考えるなか、ただ一人ロールシャッハだけがそれを拒否し、南極基地から立ち去ろうとする。
 それを追いかけようとするナイトオウルに対し、ロールシャッハは「俺は決して妥協しない、たとえそのせいで世界が滅びようとも。それが俺とお前との違いだ」と断じて背中を向ける。

 今回観ていて、この部分が引っかかった。
 いままでは、友人であり唯一の理解者であるナイトオウルすら拒絶することで、ロールシャッハはその決意の強さを見せたのだと思っていた。永遠に他者の価値観を理解できないまま、自らの偏向な正義感に殉じたのだと。しかし役者の演技をよく観察すると、どうもそうではないようだ。

 これまでのロールシャッハは、灰色の存在を頑なに認めようとはしなかった。そして、灰色の存在を認めようとするものを悉く批難してきた。
 しかしヴェイトの計画を感知しそれが実行され、南極基地から飛び出すまでに、ロールシャッハはほとんどヴェイトの計画に対し批判を口にしていない。もちろん大量虐殺に対する苦言を呈する場面はあるが、本来なら甘んじてヴェイトの理想郷を受け入れようとする仲間たちを頭から弾劾してもいいシチュエーションである。
 にも関わらず、ロールシャッハはただ「お前らは口を閉じていればいい」とだけ言い残し、拳一つ振り上げないまま去ったのだ。つまりこの時点で、ロールシャッハは他者が灰色の価値観に染まることを認めていたのではないか?

 それは半ば、仲間たちがヴェイトの理想郷を守ることを黙認したに等しいことだ。
 そうやって他者の妥協を認めたうえで、であればなぜ、ロールシャッハは自分が認めたものに背を向けたのか?ウソの中の平和で、いままで通り犯罪と戦う未来を選ぶこともできたはずだ。
 しかし、違うのだ。できなかったのだ。
 ロールシャッハが一人仲間に背を向けたのは、ヴェイトの計画を許せなかったからではない。まして、正義に殉じるためなんかでもない。白と黒という二極化された価値観の中であまりにも長く生き過ぎたロールシャッハは、すでに灰色の中では生きられなくなっていたのだ。そして、そのことをあの場ですぐさま、直感的に理解したのだ。

 つまりロールシャッハを死に追いやったのは、正義という概念や価値観ではなく、己の内面が抱える問題だったのだ。そういう、ごく個人的な理由から死を選んだのだ。
 そういう意味では、ナイトオウルに対して言った「決して妥協はしない」という台詞は詭弁なのである。では、あの台詞に含まれていた真の意味とは何か?

 ロールシャッハは、ナイトオウルに…ダニエルに、「俺について来るな」と言ったのだ。
 お前は灰色の世界の中、ウソの中の平和で、普通の人間として、普通に、幸せに暮らすことができる。その権利もある。だが俺は違う。だから…俺のようなやつに、これ以上関わるな。そう言ったのだ。
 あの決別の場面が持つ真の意味とは、拒絶ではなかったのだ。親友であり、唯一の理解者であるダニエルに対して最後の義理を果たしたのだ。ロールシャッハがこのとき時折見せる、逡巡のような仕草がそれを物語っているのではないか。

 犯罪者に対しては徹底して冷酷だったロールシャッハだが、それでも仲間に対しては義理堅く、(不器用ではあるが)思いやりのある男だった。それは白と黒の二面性を象徴しているとも言える。
 もしロールシャッハがただの自己中心的な性格でしかなかったのなら、親友に狂人扱いされた直後に「迷惑ばかりかけて済まない」などという台詞は出てこない(たとえ、先に謝罪したのがダニエルの方だったとしても)。

 最後にロールシャッハは自らマスクを脱ぎ捨て、ロールシャッハであることを捨て、ウォルター・コバックスとしてDr.マンハッタンと対峙する。
 しかし本当はそれ以前、仲間がヴェイトの理想郷の存在を認めた時点で、彼はすでにコバックスに戻っていたのではないか?ダニエルと決別したとき…彼は、すでにロールシャッハではなくコバックスとして言葉を交わしたのではないだろうか。

 真相の告白は許さない、と言うDr.マンハッタンに対し、ロールシャッハは「いまさら人間性を取り戻したのか。都合の良い話だ」と言い放つが、あの台詞はむしろ自分に言い聞かせていたのではないだろうか?
 超人的な人格を持つ、もう一つの顔ロールシャッハが消えたことで、あのとき人間性を取り戻したのはむしろコバックスのほうではなかっただろうか。
 そしてもし、もしダニエルがあの場面で、そのことに気がついていたとしたら…あの慟哭は、あの叫び声は、あまりにも悲しく胸に響いてくる。

 しかし彼は、コバックスはロールシャッハでいた時間が長すぎたために、もう人間の社会に戻る術を失っていたのだ。丁度、人間の生命の尊さに気付きながらも、地球を遠く離れることを選んだDr.マンハッタンのように。
 ウォッチメンという作品の基本構造は、妥協を許さないロールシャッハと、妥協による平和の実現を求めるオジマンディアスの対立から成り立っている。
 しかしラストは、ロールシャッハとDr.マンハッタンという、物語上ではほとんど接点もなく、思想も行動もまるで異なる(対立すらしていなかった異質な)存在同士が、片や妥協のために平和を選び、片や妥協を許さず世界を道連れに真実を公表しようとした二人が、人間社会に居場所を無くしたという理由から、人間社会の前から永遠に姿を消すという、同じ道を歩むことで終焉を迎えるのである。
 それも、人間性を取り戻したという共通の理由から、である。

 この、普段は語られることもないだろうロールシャッハとDr.マンハッタンの対比というものが、今回幾度目になるか知れない映画の視聴で気付いた、非常に興味深い点だった。
 まあコバックスが本当に灰色の存在を認めたのなら、新聞社に投函した手記は完全に悪あがきというか、やっちゃいけないことの最たるものなのだが、あれ投函したのは南極基地に行く前(まだロールシャッハだった頃の行為)だから…ということで許されないかねぇ(笑)






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