主にゲームと二次創作を扱う自称アングラ系ブログ。
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2013/07/23 (Tue)11:37
強烈な鉄錆の臭いで目を醒ます。
どろりとした液体が目蓋にかかり、思うように目を開けることができない。頭がぼぅーっとする。
強烈な不快感と、苦痛。急激な寒気が襲ってきたとき、ミレニアは自分が拘束されていることに気がついた。
ジャラリ、鎖が揺れる音とともに、ミレニアは自らの身体を見下ろして絶句する。
視界に入ったのは、全身が血にまみれた自分の姿。左脚が切断され、臓腑がこぼれ、そういえば右目も見えない…ない…存在しない…虚ろに空いた眼窩の奥で、ひしゃげた頭骨に押し潰された脳が悲鳴を上げた。
やがて…耳障りな金属音とともに、視界が一気に開ける。
闇しかないと思っていた空間に光が射し、黒い影がミレニアの目の前に立ち塞がった。
「死ねない感想はどうだい?お嬢ちゃん」
男の声がする。その声はミレニアにとって親しい人間のものにそっくりで、それが余計に嫌悪の念を掻き立てさせる。
「お前さんは、他のどの世界にも代わりがいないからなぁ…大事に扱わないとな」
カツ、カツ、カツ…男は石畳の上で無意味にうろつきながら、口の端を歪にゆがめて話し続ける。
「俺様に…会いたかったんだって?良かったなぁ?願いが叶ったな?感動の再会だ、これぞ愛の力が成せる技ってやつだ」
ミレニアにわかっているのは、自分をこんな目に遭わせたのは、目の前にいるこの男だということだけだ。ここはどこなのか、なぜ自分がこんな目に遭ったのか…それらは、瑣末な問題に過ぎなかった。
ぶらぶらと歩き回っていた男が急に腰を落とし、ミレニアに顔を近づける。吐息が鼻にかかるほど顔を近づけながら、男は恍惚や憐憫、苛立ちといった表情が入り混じった複雑な顔つきをして言った。
「なぁ、お嬢ちゃん…俺様がお前さんにかけたのは、簡単な暗示だ。死にたくなければ死なない、てぇなもんでな。お前さんがその気になれば、すぐに死ねるんだぜ?実際、生きてるほうが辛い状況だしなァ…だってのに、お前さん、なんでまだ生きてんだ?」
その質問は、質問ではなかった。壁に向かって喋っているようなものだった。
ミレニアは指先一本動かすことができず、微かな呻き声すら上げられないまま、それでも男の目を真っ直ぐに見つめ、そして心の中で強く、念じた。
コイツダケハ、ゼッタイニ、コロス。
** ** ** **
「どうかしました、お客さん?」
「え、やっ、いや、なんでもないですよ!?その、えー、夢見が悪くて。スイマセン…」
自分の悲鳴で目が醒めた。
おそらく隣室に泊まっていた客から通報があったのだろう、扉越しに安否を気遣う宿の主人に適当な返事をしてから、ミレニアは重く沈んだ面持ちで自分の身体を抱き締める。
「…朝から鬱だわー…まじ勘弁だわー……」
いままでに幾度となく見たことがある、悪夢。
いや、そもそもあれは夢なんかじゃなくて……
「ハァ」
ミレニアはため息をつくと、いそいそと着替えをはじめた。
** ** ** **
「クマー!?」
階段を下りて食堂へ向かおうとした矢先、ミレニアは帽子やらリュックやらでお洒落をした、小さな熊のような生物を目にして驚きの声を上げた。
それも1匹ではない、2匹、3匹…しかも皆、人語でコミュニケーションを取っている。
『ところで、最近の景気はどうだね、おまえ?』
『世情が不安定だからか、人気がありますね、武具は。ちょっと供給が追いつかないです…逆に、服飾品があまり売れないです、これ。仕入れのバランスが難しいですね』
「いったい何の話をしてるんだろ…?」
ミレニアが疑問を口にしたとき、近くを通りかかったオークの女性がそれとなく情報を耳打ちしてくれた。
「あー、あれね。ここいらで武具や雑貨を取り扱ってる商人よ、いつから居ついたのかは知らないけど…気がついたら街に馴染んでたわね。なんで熊が喋ってるのかって?知らないわよ、そんなの」
コーボロ川の上にお店を構えてるから、興味があるなら立ち寄ってみれば…そう言って、オークの女性はミレニアの横を通り過ぎていった。
「小熊の商人……」
ミレニアは小さくつぶやいてから、改めてモーニングティーを嗜む熊の商人たちを眺めた。身体こそ小さいが、その所作に子供らしいところは微塵も見られない。
着ぐるみか何かじゃあないのだろうか?
そんなことを思いつき、ミレニアは「はて?」と小首を傾げた。
** ** ** **
シェイディンハルの西門を潜ってすぐの位置にあるニューランズ旅館は、地元民向けの安価な宿として有名だ。喧騒が絶えず、ガラの悪い人物が出入りすることも多いため、ふつう観光客は向かいのシェイディンハル橋の宿を利用するのだが、宿泊費が4倍ほど違うのと、ミレニアはどちらかというと庶民的な場所のほうがくつろげるので、こちらで宿を取ったのだ。
そもそも、なぜミレニアがシェイディンハルに来たのか?というと、これまた魔術大学の要請で派遣された次第である。
シェイディンハルに居を構える著名な画家ライス・リサンダスが数日前に行方不明になり、それがどうも密室状態にあるアトリエから忽然と姿を消したらしい、魔法を使った犯罪に巻き込まれた可能性もある、というので、魔術大学の調査員として来たわけだ。
「本当は現地の魔術師ギルドに調査を要請しても良いのだが、どうも、あそこの支部はそういった活動に消極的でね…申し訳ないが、頼むよ」
やや、ばつが悪そうに言ったラミナスの表情を思い出し、ミレニアはため息をついた。
「ここの支部長っていえば、ファルカール…だっけかなぁ。そーいえば、あたしが魔術大学の推薦状を書いてもらいに行ったときも、随分と意地の悪いことをされたっけ」
魔術師ギルド・シェイディンハル支部長ファルカールの陰湿さは、内外でつとに有名だ。
魔術大学の会員になるためには、シロディール各都市に存在する魔術師ギルドの支部長から推薦状を書いてもらわなければならないのだが、ことファルカールは推薦状を書く手間を省くために「条件」と称して無理難題を押しつけ、そうやって新人を追い返す、というので悪評高い人物である。
それでも多様な魔術系統に関する造詣が深く、これまでギルドや大学に対してかなり貢献をしてきた人物なので、誰も表立って文句を言うことができない…というのが実情だった。
「この件に関しても、下手に『帝都から派遣されてきた』なんて言ったら、どんな横槍入れられるかわからないしなー。内密に、ちゃちゃっと済ませちまいましょーかね」
そんなことをつぶやきつつ、ミレニアは画家ライス・リサンダスの家の戸を叩いた。
** ** ** **
ミレニアを出迎えたのは、夫人のティベラ・リサンダスだった。
「魔術大学の方?」
「ええ。調査のために派遣されてきました、ミレニア・マクドゥーガルと言います」
「マクドゥーガル?そういえば、冒険小説家でマクドゥーガルさんという方がいらっしゃったような」
「クレイド・マクドゥーガルでしたら、あたしの父ですよ」
「あら、まぁ!たしか彼は…」
そこまで言ってから、ティベラ夫人は一瞬だけ好奇に輝かせた目を伏せた。
クレイド・マクドゥーガルは、シロディールで冒険小説「勇者屋シリーズ」を執筆していた作家だ。内容はいささか荒唐無稽ではあるものの、スリリングで破天荒な展開と、読みやすく軽い文体は大衆受けし、シロディールでは珍しい長期シリーズとして愛読されてきた。
しかしシリーズは作家とその妻が惨殺されるという事件によって未完のまま幕を閉じてしまう。マクドゥーガル夫妻の死と同時に一人娘も行方不明になっていたが、半年後、意識不明の重態で発見されたという。
それが、16年前の出来事だった。
「えっと…ともかく、旦那さんが行方不明になる前後の話を聞いておきたいんですけど」
話題を変えよう、という口調で、ミレニアが質問した。「気にしなくてもいい」とか、「こういう話にはなれてる」といったような言葉は、あえて口にしなかったが。
コホン、ティベラ夫人も場の雰囲気を仕切りなおすようにわざとらしく咳払いをしてから、話をはじめた。
「行方不明になる前日、夫はアトリエに籠もって絵を描いていたんです。扉に鍵をかけて…そうしないと、落ち着いて創作に励むことができないそうなのですわ。その日の晩、夕餉の支度が整ったときに夫に声をかけたのですけれど、夫は返事をしませんでした」
「その時点では、まだ異変が起きたとは…?」
「思っておりませんでしたわ。創作に没頭しているとき、夫には周りの声が聞こえなくなることがよくありましたから。それでも、翌日の夕餉の際に声をかけたときにも何の反応もなかったときは、さすがに不審に思い、合鍵を使ってアトリエに入ったのです。そうしたら…」
ライスは忽然と姿を消し、アトリエには描きかけの絵だけが残されていた…ということらしい。それが1週間前の出来事だそうだ。
もしも、事件からさほどに時間が経過していないのであれば、夫人が気づかないうちにアトリエを出て外出しているだけ、という可能性も考えられたのだが。
「考えられる可能性は2つ、ですかねー。1つは、密室状態にあるアトリエから忽然と姿を消した。2つ目は、外出中に何らかのトラブルに巻き込まれたか。旦那様はアトリエにいないとき、アトリエに鍵をかける習慣はありましたか?その、誰の目にも触れさせたくないとか、そういった意味で」
「…ええ。誰かが勝手に入らないように、夫は常にアトリエに施錠していました」
ティベラ夫人は、少々きまりが悪そうに言った。
密室での事件、魔法が関与している可能性、という言葉が先行していたのかもしれないが、ひょっとしたらそれは夫人の早とちりかもしれないな、とミレニアは思った。魔法による犯罪、という発想はダンマー(ダークエルフ)ならではの想像力の産物かもしれない。
「それで、衛兵に通報は」
「していません」
「……え?」
きっぱりとそう言い切ったティベラ夫人の顔を、ミレニアはまじまじと見つめる。
ふつう、こういうときってまず治安維持組織に通報するものではなかったか…ミレニアが眉間に皺を寄せると、ティベラ夫人は慌てて取り繕うように口を開いた。
「あの、違うんです。いま、その…シェイディンハルの衛兵の間で汚職が横行しているんです。とても信用できなくて……」
なにも、最初から衛兵の出る幕はない(本当に魔法を使った犯罪であれば、確かにそうだ)と勇み足を踏んだわけではない、とティベラ夫人は言った。衛兵に通報せず魔術大学に調査を要請したのは、あくまで良識ある一般市民としての行動の範疇だと。
その言葉の内には、多分に「高名な画家の伴侶であることを鼻にかけ、平然と非常識な行動を取る世間知らずだと思われることは心外だ」という含蓄があるのだろうとミレニアは察した。とはいえ、ミレニア自身はあくまでトラブルの解決に来たのであって、依頼主の人格(たとえ、それがどんなものであれ)にはほとんど関心はなかったのだが。
ただ、それとは別に衛兵の汚職は気がかりだった。公務員の汚職それ自体は珍しくもないが、市民が通報を躊躇うほどに状況が悪化することはまずない。
この点については、いずれ盗賊ギルドのアルマンドに質問してみなければならないだろう…そんなことを考えながら、ミレニアはティベラ夫人から予備の鍵を借りてアトリエに踏み込んだ。
おそらくは日光による影響を考慮してのことだろうが、アトリエには窓がなかった。外界と繋がる経路に成り得るものはなく、居間へと繋がっている扉を除いて出入りは不可能か…と、ミレニアは盗賊の観察眼で周囲を調べる。
「これ、やっぱり外でトラブルに遭ったセンが濃厚かな~」
頭を掻きつつ、ミレニアはライスが途中まで描いていたものと思われる未完成の絵画に目をやった。
それは、無意識での行動だったが…絵の具の乾燥具合を調べようとキャンバスに指先を触れたとき、ミレニアは驚くべき光景を目の当たりにした。
「え?な、ちょっと、なにコレ!?」
指先が…キャンバスを貫通した!?
いや違う、キャンバスの中に入っていく!?
ズ、ズ、ズ…発光をはじめるキャンバスに、ミレニアの身体が序々に飲み込まれていく。
やがてミレニアの身体は完全にキャンバスの中へと消え去り、アトリエから人影がなくなった。
** ** ** **
「くっさ!」
ほんの少しの間気を失っていたような気がするが、ミレニアは強烈な溶剤の刺激臭で目を醒ました。
「これは…」
目の前に広がる光景は、まさしくキャンバスに描かれた風景画そのもの。筆のタッチに至るまで忠実に再現されており、つまりはここが「絵の中の世界」であることを意味している。いささか非現実的ではあったが。
にしても、油絵の中の世界だからって、なにも絵の具を溶くための溶剤の匂いがしていなくても、良さそうなものじゃないか…そんなことを考えたとき、ミレニアに向かってくる人影があった。
「君は…あの筆が生み出したものではないな。まさか、外の世界から来たのかね?」
「あなたは?」
「ああ、申し遅れた。私の名はライス・リサンダス、しがない絵描きだよ」
見つけた。
まさか失踪先が描きかけの絵の中だとは思わなかったが、しかしシロディールでも指折りの画家が自らを「しがない絵描き」と称するとは、ダンマーにしては謙虚だな…などと、ミレニアはどうでもいいことを考えた。
「あの、あたしミレニアっていいます。魔術大学から派遣された調査員で、あなたの奥様からの要請を受けて、あなたを探しに来たんです」
「そうか、なんというか…申し訳ない。こんなことを言いたくはないが、事態はかなり悪化している」
「あの、事情を話して頂けますよね?」
「勿論だ。と、言いたいところだが…その前に、頼みたいことがある」
「なんです?」
ミレニアが怪訝な表情を向けた矢先、ライスはふらふらと2、3歩よろめいてから「バターン」と音を立てて倒れた。
「その…なにか食べるもの、飲み物などを持っていたら、分けて頂けると大変に有り難いのだが。この1週間、ほとんど飲まず喰わずでね……」
「そーいうことは、無理してカッコつけてないで早く言ってくださいよーっ!」
生来の青白い肌のせいでいままで気づかなかったが、ライスは相当に衰弱していた。
あくまで相手への気遣いを忘れぬ態度で物を言うライスに、ミレニアは狼狽しつつ急いで携帯していた水筒の水を彼の口へと含ませる。
水筒の水をすべて飲み干し、差し出された携帯食をあっという間に平らげてから、ライスは呼吸を整えると、話をはじめた。
「いやはや、まさか食事がこれほど有り難いものだったとは!君にはどんな礼をしても足りないくらいだよ。とはいえ、まずはここから脱出することを考えねばなるまいね」
「そもそも、これ、なんなんです?」
「ああ…どこから話したものかな?とりあえず状況を説明するためには、私がいままで決して口外しなかった秘密を明かす必要があるだろう」
「秘密?」
「ああ。私は絵を描くときに、特別な筆を用いている。父が九大神の女神ディベーラより授かった、絵の中で絵を描くことができる筆。絵の世界でそれを振るうことにより、描いたものを具現化することができる奇跡の産物。私の絵が緻密さを極め、まるで生きているようだと見る者に形容させる、これがその秘密の正体だ」
「奥様は、その秘密のことを知ってるんですか?」
「いや、ティベラにも知らせていない。いつもアトリエに施錠している理由さ、あれは気立ての良い女だが…いささか口の軽いところがあるからね」
「それでも、万一のために予備の鍵を持たせる程度には信頼してるんですよね」
「まあ、そうだ」
そう言って、ライスは口をほころばせた。
しかし、その表情はすぐに固いものへ変わってしまった。
「ただ、そうやって厳重に警戒していても、実際は家内を遠ざける程度の役にしか立たなかったようだ。あの日、私がアトリエに入ったとき、施錠した瞬間に背後から襲われたよ」
「襲われた?」
「強盗にね。どうやら前もって家に侵入し、アトリエの鍵をピッキングで解除したあと、内側から鍵をかけて息を潜めていたらしい。わざわざ私が入るのを待っていたのは、その強盗が<自分が探しているものが何であるか>を知らなかったからだ」
「…妙な言い方をしますね」
「おそらく、私のことを快く思っていない画家にでも雇われたのだろう。フン、『貴様の描く絵の秘密を教えろ、命が惜しければ』とかなんとか、言ってたな。私は技法を公開したりといったことは断固として拒み続けてきた、その点について疑いを持つ者がいても不思議ではない」
「それで、あなたはどうしたんですか?」
「ここに逃げてきた。ディベーラの筆を使って、描きかけの絵の中にね。今にして思えば、それは私が犯した最大の失態だった。おそらく、その時点で強盗は私が隠してきた秘密に気がついたはずだ。私が絵の中と現実世界を繋ぐゲートを閉じる前に、強盗は絵の中まで私を追ってきた。そして…ガツン!私は気絶させられ、ディベーラの筆を盗賊に奪われてしまったというわけさ」
そこまで言って、やれやれ、ライスは肩をすくめた。
もし強盗がすでに外の世界へ脱出していて、さらにディベーラの筆の力を使ってゲートを閉じていたら…ミレニアはゾッとした。もうこの世界から出る術はないということじゃないのか?
しかし、すぐに「そうではない」と思い直した。もしそうであれば、自分が開きっぱなしのゲートを通ってここに来れたはずがない。それに、もし望みが絶たれた状況であれば、ライスがこれほど冷静でいられるはずがなかった。
はやる気持ちを抑え、ミレニアはライスに訊ねる。
「それで、強盗はどこに」
「ああ…この話の中で一番愉快な、そして不愉快な部分だよ、それは。奴はディベーラの筆の持つ魔力に逆らえなかったのさ。好奇心にね。ほんの戯れのような気持ちだったのだろう、奴は自分でも絵を描きたくなったのさ。ひょっとしたら雇い主を出し抜いて、自分が新たな筆の持ち主になるつもりだったのかもしれない。稀代の絵描きになるための予行演習のつもりだったのかもしれない。君は、私の絵がたびたび批評家の不評を買う理由を知っているかね?」
「…いえ」
「生き物を描かないからさ。私は風景画専門だが、それにしても鳥や虫すら一切出てこないのはおかしい、あいつの絵の技術には大変な偏りがあるんじゃないか、とよく言われるよ。私はそういった批判を甘んじて受け入れてきた、まさか本当の理由を話すわけにはいかないからね」
「なんか、だんだん事情が飲み込めてきたような気がしてきた」
「そうだろうとも。ディベーラの筆は描き手の感情を絵に反映させる、描き手自身でも気がついていないような欲求、願望でさえもね。それでも、土や、水や、植物といったものであれば、どんな感情で描かれたものであろうとそうそう害を成すものではない。だが、生物となると話は別だ」
「その強盗は、いったい何を描いたんですか?」
「あの阿呆め、よりにもよってトロールを描きやがったのさ。それも子供みたいなテンションで、強くて大きくてタフなトロールをね。で、実体化した強くて大きくてタフなトロールは、いの一番に強盗を叩き潰したというわけさ」
なるほど、話に見事なオチがついたなとミレニアは思った。
もっとも、それは強盗を主役に見立てた場合の話であって、主役が退場したまま舞台に残ることを強要された身としてはあまり笑えないのだが。
「悲劇と喜劇は紙一重って、こーいうことかなぁ。それで、肝心のディベーラの筆はどこにあるんです?」
「死体になった強盗が、後生大事に握り締めたままさ。その近くでは絵のトロールが徘徊したまま、私にはどうすることもできない。せめてトロールの目を盗んで強盗の手から筆をもぎ取るか、さもなくば<ぼくがかんがえたさいきょうのトロール>を倒せるだけの力があれば良かったんだが、生憎と私は運動神経の鈍さには定評があってね」
「つまり、強盗の死体からディベーラの筆を取ってこれれば、この世界から脱出することができるってわけなのね?」
「そういうことだ。現状では、ゲートは一方通行の状態だからね。君は魔術大学の会員だと言ったが、こういう荒事に縁があったかね?」
「少しは」
ミレニアは答えを適当にはぐらかした。
魔術大学の会員としてのみならず、盗賊ギルドでの仕事も勘定に入れれば並の冒険者よりは修羅場を潜り抜けてきたはずだという自負はあったものの、それを今言うべきだとは思わなかった。
あまり気の進む仕事ではないが、運動音痴な画家を無駄死にさせることもないだろう。
「それじゃあ、ちょっくら行ってきちまいますよ。ちょちょいのちょいで筆を取ってきちゃいますから、それまでここで待っていてくださいね」
「頼むよ。私も何か、力になれれば良いんだが…いや、うん、そうか。ちょっと待ってくれないかね?」
さあ行くぞ、と足を踏み出したミレニアを、ライスが引き止める。
ライスは腰のポーチを開くと、幾つかの瓶を取り出してミレニアに手渡した。
「これを持っていってくれ、テレピン油だ。絵の具を溶くための溶剤なんだが、そもそも絵の具で構成されたトロールには効果てきめんだろう。私だったら使う前に握りつぶされるのがオチだろうが、君なら上手く使いこなせると思う」
「ありがとうございま…くさっ!」
テレピン油を受け取ったミレニアは、礼を言い終わらないうちに悲鳴を上げた。
いちおう瓶には封がされていたが、それでも閉じ込めきれない有機溶剤特有の刺激臭にミレニアは顔をしかめる。おそらく、この世界全体に漂う妙な匂いも、このテレピン油によるものだろう。
「しっかし、その…なんです、よくこんな酷い匂いの中で平気でいられましたね」
「…?なぜだね?良い香りだと思うのだがなぁ」
「えー……」
おそらくライスはこの匂いに慣れているのだろう、いや、この匂いが苦にならなかったからこそ画家になれたのかもしれないが、とにかくミレニアにわかったのは、彼が自分と同じ苦しみを共有することはないだろう、ということだった。
** ** ** **
ライスの元を離れてすぐ、ミレニアは彼の説明が不完全なものだったことに気がついた。
「…トロール、1匹じゃないじゃんかぁっ!」
てっきり強盗はトロールを1匹描いた時点で命を落としたものとばかり考えていたのだが、森の中を徘徊する数匹のトロールを見て、ミレニアは思わず呻き声を上げた。
「なんていうか、これ、こっそりやり過ごすの難しくなっちゃったなぁ…あいつら人間と違ってカンがいいし」
『グヴァ?』
「ん?」
ぶつぶつとつぶやくミレニアの背後に迫る、緑色の巨体。
ミレニアがおそるおそる振り返ると、そこには油絵タッチのトロールが超然と佇んでいた。
「…もう見つかってるしーッ!?」
『グオォォオオオォォォォッッッ!!』
間髪いれずに振り下ろされた拳を、ミレニアは寸でのところで回避する。
トロールが体制を整え、ふたたび襲いかかってこようとする前に、ミレニアはライスに渡されたテレピン油の栓を外し、相手に投げつけた。
宙空に放り出された瓶はトロールの胴体に命中すると同時に砕け散り、飛散したテレピン油はトロールの肉体をみるみるうちに融解させていく。
ドジュウウウゥゥゥゥゥッ!
『ゴ、アガッ!?ガッ、ゴボ、ゴボゴボゴボ……』
「なぁんだ、思ってたより楽勝だあねエ」
まるで夏場のソフトクリームのように脆く崩れ去るトロールを見て、ミレニアは余裕の表情を浮かべる。
が、それも束の間のことだった。
『グルゥ…』
『グゴ?ガ、ゴアッ、ゴアッ』
『シュウウウゥゥゥゥゥ』
周囲をうろついていたトロール達が、一斉にミレニアを睨みつけてきた。
「ヘン、アンタ達なんて怖くないもんねー」
そう言って、テレピン油の瓶を取り出そうとするミレニア。
しかしそこで、ライスから渡された本数よりも、いま相対しているトロールのほうが数が多いことに気がついたのであった。
「……やば~い」
『ゴアァァァアアアアァァァァァッッ!!』
襲いかかってくるトロールに、ミレニアは迷いなくテレピン油の瓶を投げつける。
バキンッ、ドジュウウウッ!
瓶の直撃を受けたトロールは融解し、それを見た他のトロール達が狼狽して後ずさる。
その隙を見逃さず、ミレニアはすぐさま踵を返すと、全力で駆け出した。
「三十六計、逃げるが勝ちっ!あーばよー!」
もとよりトロールは脚の早いモンスター、それも描き手の思い入れが反映されているとなれば、どんなスピードで追われるかわかったものではない。
そういった点を考慮して、ミレニアはトロールの巨体では通り抜けられないような狭く入り組んだ路をわざわざ選んで進み、やがて追跡の手から逃れたと確信したと同時に、目の前の視界が開けて広大な砂漠が現れた。
「…あれかぁ……」
砂漠を跋扈する1匹のトロール、そして血まみれの姿で横たわるボズマー(ウッドエルフ)の亡骸を視界に捉え、ミレニアがつぶやく。
ズザザッ、崖を滑り下り、音を立てないようこっそりと近づいてから、ミレニアはトロールにテレピン油の瓶を投げつけた。
「死ねよやー!」
『アッバアアァァァァァッ!!』
グジュウウウウゥゥゥ!
「くっさ!これくっさ!」
溶けた絵の具とテレピン油の匂いが混じって、これは…くさい……
ミレニアは鼻をつまみつつ、周囲にトロールがいないことを確認すると、横たわっている強盗の死体を漁った。死後1週間経っているからか、かなり腐敗が進んでいる。特異な空間だからか、虫がほとんど湧いていないのが幸いだった。
「ああ…これなら溶剤の匂いのほうがマシだわねー。不幸中の幸いというか」
そんなことをつぶやきながら、ミレニアはほとんど骨と皮だけになった強盗の指からディベーラの筆と思われるものを抜き取った。
ひょっとしたら、これとは別に貴重品を持っているかも…盗賊のカンがそう告げたが、しかし欲得のために腐敗死体を漁るのは気が進まなかった。それに、いつ他のトロールがこの場所を嗅ぎつけるかわからない。
「とりあえず、さっさとこの世界から出ないとねー」
ディベーラの筆をバックパックのサイドポケットに仕舞うと、ミレニアは来た時とは別のルートを辿ってライスの元へ向かった。ミレニアは土地勘や方向感覚には自信があったため、間もなく暇を持て余しているライスの姿を発見した。
ふたたびディベーラの筆を手に取り、ライスに声をかける。
「やっ」
「おお、それはまさしくディベーラの筆!それさえあれば、現実世界へ帰るための出口を作ることができる!さあ、筆を渡してくれたまえ」
満面の笑みを浮かべ、筆を受け取ろうとするライス。
しかし筆を渡す直前にミレニアが躊躇すると、その表情に警戒の色が浮かんだ。
「…どうしたんだね?」
「この、筆を使えば…望んだままのものが、実体化するんですよね。現実のものに。もし、それを現実世界に持ち帰ることができれば……」
そう言って、ミレニアは筆をぎゅっと握り締めた。
もし、強力な武器を創造することができたら。今度こそあいつを殺せるかもしれない。
それより、死んだ両親を…愛する両親を描くことができたなら、自分はまたあの幸せな日々に戻ることができるのでは?
そういったミレニアの思考を読んだのかはわからないが、ライスはディベーラの筆を握るミレニアの手をがっちりと掴むと、首を横に振った。
「何を考えているのかはわからないが、やめておいたほうがいい。この筆を欲望のままに振るうと碌なことにはならんよ、あの強盗の末路を例に出すまでもなく。目的が善良なものであるか、そうでないかはこの際関係がない。それに、この筆の力はあくまで絵の中でしか発揮することができない。そして絵の中で描いたものを、現実世界に持ち込むことはできない」
ライスの真剣な眼差しを見て、ミレニアはハッと我に返った。
そしてまた、ミレニアはあることに気がついた。この筆を振るうには、欲望を自制するだけの強靭な精神力が必要なのだと。とどのつまり…自分には、この筆を振るう資格がないということを。
恥辱と後悔、おまけに自責の念のようなものまで沸き上がり、ミレニアは顔を伏せたままライスに謝罪した。
「あ、その…ごめんなさい……」
「いや、気にすることはない。この筆はたまに、こうやって人を惑わせるクセがある。神の真意など、どうして我々にわかるはずがあるかね?出来ることといえば、そう、精一杯に真摯な解釈をするだけさ」
そう言って、ライスはミレニアに背を向けると、宙空に向けて筆を走らせはじめた。
何もなかったはずの空間に、みるみるうちにキャンバスが現れ、そしてキャンバスの中にライスのアトリエが描かれていくのを見て、ミレニアは目を見開く。
なにより、そうやって黙々と役割を果たす姿が、かつての父の面影を思い出させて……
どうにもやるせない気持ちを抱えたまま、ミレニアもライスに背を向けた。この牧歌的な光景を俯瞰して見ることで、少しでも気分を落ち着かせようと思っていたのだが、そこでミレニアは見たくもないものを目にしてしまった。
「げぇっ!?」
「どうしたかね?」
「トロールがっ!」
「何ぃ!?」
なんと、いままで森の中を徘徊していたトロール達が、一斉にこちらに向かって来ていたのだ!
4匹、5匹、6匹…全部で何匹いるんだろうか?まるで獲物を逃すまいとするかのように、驚くべきスピードで疾走してくる。
「えーと、何か武器になるようなものは…」
兎に角も、ライスが出口を描き終わるまでトロールを喰い止めなければならない。
慌ててバックパックを漁り、ミレニアはいつかどこかで拝借したまま忘れていた「あるもの」を取り出した。
「バールのようなもの!もとい、カナテコ!」
カナテコを取り出してから、ミレニアは武器になりそうなものがこれしかないことに絶望した。
はっきり言って、こんなものでトロールの大群を相手にできるのは某物理学者くらいのものだ。それでも牽制くらいにはなるだろうかと思い、先陣を切るトロールの眉間目がけて投げつけようとした瞬間、ライスの叫ぶ声が聞こえた。
「出口が完成した!早くこのキャンバスの中へ飛び込むんだ!」
「な、ななナイスタイミングっ!」
ミレニアはより多くのトロールの注意を惹くべく、カナテコを宙高くに放り投げると、急いでキャンバスに向かって走り出す。
回転しながら宙を舞うカナテコにトロールの大群が目を奪われたとき、ミレニアと、それに続いてライスがキャンバスの中にダイブする!
** ** ** **
ドサッ!
「うおーっ」
「な、なんとか助かったか…」
ガッシャーン、パレット皿や筆をふっ飛ばしながら、2人は無事にアトリエへ生還することができた。
のっそりと起き上がりながら、ライスがかぶりを振る。
「いやはや、非常にスリリングかつ貴重な体験だったよ。もう一度、同じ目に遭いたいとは思わないが」
「同感です。ていうか、今回の件、魔術大学にどう報告すればいいんだろーか」
「できるだけ、ディベーラの筆については触れないで頂けると、大変に有り難いのだけれども」
「ですよねー…フウ」
そのかわり、可能な限りの報酬は用意する…そう言いながら、ライスは先ほどまで自分が中に存在していたキャンバスの絵をじっと見つめる。
そこには、森の中で大暴れするトロールの姿が描かれていた。現実世界からだとただの絵にしか見えないが、それでも凄まじい迫力、鬼気迫るものを感じ取ることはできる。
「うん…これはこれで良いのかもしれないな。唯一ライス・リサンダスが生物を描いた異色の一枚として評価されるかもしれない」
そんなことをつぶやくライスを見て、ミレニアはふたたびため息をついた。
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