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2018/07/18 (Wed)06:03
人が死ぬから残酷なのではない。血や臓物が出るから残酷なのではない。
努力した人間、善良な人間が報われないから残酷なのだ。
残酷時代劇/歴史ロマンポルノ大作、奇跡の映像化ッ!!
というわけでですね。どうも、グレアムです。
先日シグルイのTVアニメ版を全話視聴したので、その感想なぞを。てっきり最近の作品かと思ってたんですが、エッ、これ10年前…?最近アニメは全然見てないからなーなどと思っていたが、どんだけ見ていなかったのか。近年のアニメの技術革新的なことがまるでわからなくてちょっとこれはマジでヤヴァイんではないかと思いはじめる昨今。個人的な感覚では10年前っていうと原色がドギツかったり、3Dが異様に浮いてるデジタル作画黎明期っていう気がしてたんですが、それ下手したら20年くらい前になりますか。マジすか。
まあ、そんなことはどうでもいいんだ。そんなことよりシグルイですよ。
まずもってあの原作をマトモに映像化できるのか、日和すぎて別モノになっちゃわないか、などという懸念は当然のようにあったのですが、民放ではなくWOWOWスクランブル放送枠ということもあってかドギツイ描写を一切隠すことなく描き、かつ黒い影に覆われていたり謎の光が鉄壁のガードを固めることなく直接的に見せるという「原作への誠意」を見せて頂きました。
作画レヴェルの高さはさすがマッドハウスといったところ。
「この絵が動くの!?」「作画崩れねぇな!」という驚きが常にありまして、まあ動くといったところで、あんまり動いてないシーンが多いのですが、きっちり動かすところは動かしているし(アクションものを多く手がけているスタジオではあるし)、動いてないシーンも「静の演出」として落とし込んでいるところがさすがだなァと思いましたね。
マッドハウスといえば「ユーモラスな作品も無闇に全編シリアスにしてしまう悪癖がある」という認識があったのですが、シグルイの場合はそのあたりが良い方向に作用していたと思います。原作の明らかにネタっぽい部分も、(多分わかってて)生真面目に描き切ることでシグルイ特有のイビツなユーモアを表現できていたのではないかと。
声優陣の配役や演技も見事でしたね。時代劇らしく抑制のきいた演技ながら、ときおり感情を爆発させるシーンとの対比、静と動。本作はあらゆる面において、この「静」と「動」の書き分けに重点が置かれていたのではないかと思います。
まあ若輩のワタクシがアニメについて語れるのはこの程度なので、あとは各登場人物の雑感などを記していきたいと思います。ここからはあまりアニメ関係ないというか、アニメ化されていない原作後半部分の言及もあります。スイマセン。
【藤木源之助】
主体性がなく流されやすい、ギャルゲー主人公のような男。別名虎眼流ターミネーター。
命令されれば火箸も素手で掴むし、想い人が目前で犯されようと鼻血を噴いて我慢するけど、社会生物としての藤木源之助はともかく、個としての藤木源之助ってどういう人間なの?って考えた場合に、その正体がまったく見えてこない不気味なキャラクターだと思います。まあ、藤木の場合はたんに「個」という概念が存在しないだけなんだと思いますが…
これを例えてなんとする、と問われれば、それはもう、現代ニッポンの社会人そっくりなんじゃないかと思います。武士社会と現代の会社社会の構造ってそっくりなんですよね。日本人の精神構造って、チョンマゲ結ってた頃とそう変わってないんですよ。
そんな藤木が主体性を発揮する(周囲の意図に反して我を通す)のが、前髪相手に加減しなかったり、殿中しちゃったりするときだったりするので、いちおう作中では誠実な青年というような描写をされてると思うんですが、この男、伊良子よりよっぽど危険なやつだと思うんですよね。
虎眼流の門下生ってのは皆一様に剣一筋で、虎眼流という概念の体現者たらんとする者たちなんだけど、ただそれだけの存在でしかないってのがなんとも。
剣の腕は一流だけど、それ以外はからっきしという部分は師匠である虎眼先生クリソツなので、そういう意味では岩本家次期当主として藤木ほど相応しい存在はなかったのではないかと。それが虎眼流のためになるかどうかはともかく…藤木の場合、たんに岩本虎眼の思想を継承するという以外のことはやらないだろうからなあ。
【伊良子清玄】
いちおう策士っぽい描写はされてるんだけど、本来は知略より感情を優先して動く「信念」の人なんじゃないかと思います。ただ、中途半端に頭が回り、中途半端に弄した策が中途半端に功を奏してしまうせいで色々と勘違いしてヤバイ方向にズルズル行ってしまった感じが。なにより、毎度、肝心なところで読みを外して地雷を踏み抜いてしまうところがヤバイ。
だってこの人、虎眼流を攻略するのに、いくに手を出す必然性がまったくなかったんですよ。伊良子が当主に選ばれたのはいくの助力があったからではないし、むしろいくと密通(姦通?)することで自らの足場を危うくしていた(結果、むーざんなことになってしまった)。それでもいくに手を出したのは、何らかの形で利用できると判断したというより、純粋に自らのポリシーから童歌を否定したかっただけなのだろうし、虎眼流を踏み台にのし上がるという目標があったにも関わらず、危険を顧みることなくちんちんに正直になってしまったのは、策士としては致命的である。
まず虎眼流に入門すること自体がわりと致命的なミスな気がしないでもないし、剣の道に足を踏み入れずともそこそこ成功しそうではあるのだが、彼の場合は「卑賎の身の上でありながら、武士社会でのし上がることで権力に復讐する」というルサンチマン思考が行動の原動力になっているので、なんというか、詰みである。
卑しい身分の生まれ、過剰な上昇志向、そして格下と判断した相手を見下さずにはおれないプライドの高さなどを見るに、この男、ディオ・ブランドーにそっくりなのではという気がします。違いがあるとすれば、ちんちんに正直すぎる部分か。
【岩本三重】
あの環境で傀儡とならず、一人の女として生きるプライドを保ち続けていられたのは正直にスゴイと思う。さすが女は強いというべきか。まあ、それで幸せになれるとは限らないわけだが…
結局最後はああなってしまうわけだけど、変わらない男を変えるのは女の役目でもあるわけで、三重は自分自身がもっと藤木を変えようとする努力をすべきだったのではないかという気もする。
とは言ってみるものの、三重自身も虎眼の名に固執しているような部分があり、最終的に「憎い伊良子を斬ってくださいまし」とか言っちゃうので、やっぱり詰んでいるような気がする。
それほど出番が多くないので根の性格がどんなのもか見えてこない部分もあるのだが、三重は三重でわりと地雷女の素養がある気がする。この娘、なんだかんだで虎眼の人間なのである。
【いく】
伊良子さえ余計な手出しをしなければトラブルに巻き込まれることもなかったろうに、それでも伊良子を恨む素振りすら見せず最期まで献身的に付き添うあたり、おそらくは三重よりも格上であろう。たいした女である。あるいは、惚れた弱み(orミラクルチンポの魔力)か。
そういえば、伊良子はどこで七丁念仏の話を仕入れたのだろう?言及あったっけ…?
【岩本虎眼】
みんなだいすきこがんせんせぇ。
剣は達者だけどそれ以外がまるで駄目、という、おそらくは乱世にあっても割と疎まれる種類の人間。少なくとも人の上に立っちゃいけないタイプなのだが、岩本虎眼ファンクラブたる虎眼流門下生にとってはどうでもいいらしい。
正気に戻った僅かな時間で託宣を告げる、と書くとなにやら大層な感じがするものの、その内容が、誰も得しないようなキチガイ発言だったりするので、もうどうしようもない。それをなんだかんだ忠実に実行してしまうあたり、虎眼流、ワンマン会長に振り回されるサラリーマンの如しである。ただのブラック企業だこれ。
どんなキチガイであれトップの人間には逆らえない、という虎眼流の性質を考えたら、伊良子は当主の座が決まった時点でさっさと虎眼先生を謀殺しておくべきだったよね。そこまで悪辣になれなかったのが伊良子という人間の限界でもあったのだろうけど。
【牛股権左衛門】
上司の無茶に振り回される中間管理職。所謂、利根川である。
んんっ、虎眼先生を兵藤会長、虎眼流を帝愛グループに見立てれば、これに挑戦する伊良子はポストカイジということになり、すなわちシグルイの主人公は伊良子だったのだよ!(錯乱)
スターサイドホテルで敗北したあと、帝愛グループの幹部を次々と闇討ちしていくカイジとかイヤだなあ…
利根川が焼き土下座をしたり、はたまた南波照間に左遷(トバ)されたように、たとえ口を切り裂かれたとしても、サラリーマンは上司の命令には絶対なのである。それが男の世界なのである。まあ、女の目から見て「傀儡」とか言われてもしゃーない。うん。
藤木に負けず劣らず剣一筋な男であり、現代的視点から見れば「ワーカホリック」と称すべきパーソナリティであろう。
あと、俺は屋良有作ファンなので、アニメ版の配役は非常に美味しかったです。
【興津三十郎】
小山力也。抑えのきいた演技で、洋画のチョイ役の吹き替えをしている若本規夫のような清涼感を与えてくれる。個人的には主役級より脇役を演じているときのほうが輝いていると思う。
「虎眼流に明日はあると思うか?」というのは、所詮は裏切り者の言葉でしかないが、懸念そのものはまったく疑う余地のないものであったろう。ブラック企業で正義感を発揮しようとも、ただ同僚に討たれるのみである。
【近藤涼之介】
個人的には、少年役に女性声優をあてるという日本アニメ界の通例があまり好きではないんですよね。まだ声変わりをしてないから、という理屈はいちおうわかるんですが、それを考慮に入れたとしても、違和感しかないというのが率直な感想です。
端的に言うと、日本アニメ界はもっと男性声優にショタ声の演技をさせるべき。
【山崎九郎右衛門】
ネタ抜きにしても割と気に入ってるキャラなんだけども。
アニメ版で生前の涼之介を想うシーンの演出(背景とキャラの立ち絵をスライドさせる)が、なんというか、もろにギャルゲーのオープニングの手法そのもので、たんに作画の労力を減ずるための工夫だったのか、狙ってやったのかについては俺の脳では判断できなかった。
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