主にゲームと二次創作を扱う自称アングラ系ブログ。
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2015/03/29 (Sun)19:13
*相変わらずネタバレあるかもしれません。気になる人は注意。
戦場の思い出。運命は捻じれ破滅へと直進する…
あまり評判が良くなかったのでセールまで待とうと思ってたんですが、誘惑に抗えず購入してしまいました。
一作目では語られなかった登場人物たちの過去とマイアミのその後を描いた本作はストーリーこそ興味深いものの、ゲーム性自体は決して誉められたものではない…というレビューを、俺も書くつもりだった。プレイするまでは。なぜなら批判の多くは、前作既体験者であればどれも納得のいくものだったからだ。
だが、ノーマル難易度をノンストップで駆けたあとに俺の本作に対する印象はまるで変わっていた。
「ちくしょうふざけんな、ゲームそのものもちゃんと面白いじゃねーかよ!」
少なくとも、よく言われるような製作側の悪意などといったものは感じられなかったし、むしろ「ゲームはクリアできるのが当たり前」という認識が生まれる以前のゲームはこうだったよな…という感慨というか、奇妙な感動を覚えたのは確かだ。そしてそれは「思い出補正」だとか「当時はそういうゲームしかなかったから、それでも楽しめたんだ」とかいう戯言ではなく、この2015年という現在においてさえ、確かに俺はこの「何度も死んでパターンを構築しながら難関を突破する」というゲーム性を心から楽しみ、半ばヤケクソ気味にリトライしながらもチャレンジを敢行していたのだ。
そのときの感情は、たとえばカプコンの「戦場の狼」を延々周回していたときや、「ガンスモーク」でウルフチーフに勝てず幾度も挑戦したこと、あるいはナムコの「ローリングサンダー」で二週目の地底溶岩ステージがどうしてもクリアできず辛酸を舐めさせられたときのような、あの感覚に近かった。
「ゲームって、本来こういうものだったよな」…
高難易度ながら、(事前の武器持ち込み等による条件から)どれだけ不利な状況だろうと、きちんとステージ構造を観察すれば必ず解法が見つかる「ちゃんと考えられたステージデザイン」を見ながら、俺は確かにそう思った。最近のゲームにはない「挑戦する楽しさ」があることを発見した。
もちろんそれらの感想は、優れた世界観、過剰なゴア表現、疾走感のあるBGM、多種多様な武器やステージギミックに支えられたものであることは言うまでもない。俺は所謂「死にゲー(理不尽な死でプレイヤーの膝を折らせるゲーム)」と呼ばれるヤツは苦手でプレイしたいとも思わないし、ただ難易度が高いだけのゲームに挑戦したいと考えるマゾゲーマーではない。
それでも本作のゲーム性を評価するのは、本作がただの高難易度死にゲーではなく、ただの「往年のアーケード・シューティングを現代的な表現で蘇らせた作品だから」という、それだけの理由なのだ。本作は、それ自身が内包するどの要素が欠けても隙を埋めることのできない総合芸術なのだ。
たしかにプレイ感覚は前作から大きく変わっている。外見は似ているが、ほとんど別ゲーと言っても差し支えないだろう。各種武器の果たす役割も大きく変わり、前作とは違った戦術を求められることは確かだ。
しかし、だからといって一方的に批判するのはどうか?なんとなく右に倣えで便乗して叩いてるだけじゃないのか?いや、止そう…批判もまた、作品を評価する正当な意見には違いない。同じゲームをプレイしても、誰もが同じ感想を抱くものではない。それはわかっている。
ただ、俺はDennation Gamesがちゃんと「ゲーム」を作ってくれたこと、久しく忘れていた感情を呼び覚ましてくれたことを純粋に感謝したいと思っている。
ゲーム性や演出に至る全体のテイストから、Dennation Gamesが前作とは違うモノを作ろうとしていることは明らかだ。おそらくそれは「自作の模倣品を作っても仕方がない」という至極真っ当なクリエイター的思考によるものだろう。
もちろん前作と同じ路線を継承することを望んでいたユーザーにとっては残念なことかもしれないが、だからといってそれに対し、後ろ足で砂をかけられたとか、悪意があるとか、そんな流言飛語を軽々しく口にしていいものだろうか…と、俺は思ってしまう。
まあ、後出しの愚痴はこのへんにしておこうか。クソッ、New Vegasで毎レベルPerk獲得&強武器MOD入れて俺ツエーしてるヌルゲーマーが書く文章か、これが…
ストーリーはしばしば時系列が錯綜するものの、示唆的表現に頼っていた前作とは違って多くの場合具体的な事実関係を描いているため、前作よりも内容の把握は難しくないはずだ(これも好みの分かれるところか)。
そして前作主人公Jacketが元軍人、しかも特殊部隊の出身だったことが明かされ、おそらく多くのプレイヤーが抱いていた「平凡な青年が血と殺人の因果に巻き込まれるストーリーであろう」と思っていた前作のプロットがまったく別モノであったことが判明するわけだが、俺はこの設定を知っていたく感銘を受けた。
というのも、もしJacketが軍人だったのなら、前作において腑に落ちる描写があまりに多かったからだ。俺にとって前作は「一般人が殺戮を止められない話にしては、快楽殺人というより仕事のように淡々とマフィアを処理していく印象に違和感がある」というイメージがあったのだが、彼が元軍人であったならその機械的殺戮描写にも納得がいく。
固有武器しか使えないBikerに比べ、現地調達であらゆる武器を即興で使いこなすという設定もその裏づけであるかのようだ(2のことは考えるな!)。ホームレスを殺したあとの嘔吐は「ひさしぶりの殺人だったので、あくまで生理的反応から」か、あるいは「相手がただの一般人だったから」か。Biker相手に不覚を取ったのは、たんにBikerが強かったからか、あるいは投げナイフで不意を突かれたのかもしれない。
Hookerを助けたのは、おそらく戦地で敵対勢力の人質となっていた捕虜を助けるのと同じ感覚だったのだろう…Jacketは「指令=任務」、「殺戮=軍事行動」と置き換えて行動していたのかもしれない。事件の記事をスクラップしていたのは、たんなる自己満足ではなく、作戦終了後の事実確認…つまり、「デブリーフィング」のつもりだったのでは?
ショップ店員の顔がかつての戦友に見えたのは、PTSD…戦後後遺症の影響で見た白昼夢であったのだろう。繰り返し過去を反芻するのは、どうにかして違う結果をもたらしたいと考えるからだ…こういったフラッシュバックは、PTSD患者の典型的症例である。そして、その「違う結果を求める」無駄なあがきを登場人物が見せるのは、2のテーマにも通ずるところがあるだろう。
2ではクリア後のニューゲームで新たなイントロが追加されるが、そこで一堂に会した主人公達に向けて鶏頭は「もう結果はわかっているはずなのに(変えることはできないとわかっているはずなのに)なぜここへ来た」と言い放つ。
多くの者は自分の身になにが起きたかすら把握できず、鶏頭の皮肉に満ちた非難の言葉とともに屍へ還る。だが、そうでない者…すでに自分の運命を受け入れている者に対して、鶏頭の向ける言葉、その眼差しはどこか悲しく見える。
そして屍に囲まれ、ただ一人孤独に映写機を回す鶏頭は何者なのか。あるいは、彼こそがもっとも過去を変えたがっているのかもしれない…
本作はストーリー、演出ともに素晴らしいものであるが、個々のエピソード間の繋がりが希薄で、そこだけが残念である。「やがて全てが一本の糸で繋がる」というならまだしも、時系列が入り混じるにも関わらず、それぞれが完全に独立しているのだ。従って、出オチのような主人公キャラも多い。
BGMはどれも素晴らしく、恐ろしいことに捨て曲が一つもない。
実際にプレイするまでは「曲の個性が強すぎて肝心のゲーム部分を喰ってしまうのではないか」という懸念があったが、上述のように俺にとって本作は非常に楽しめたので、その心配は杞憂であったことを嬉しく思う。
総評…『定価で買う価値アリ!かつてゲームを愛好した者ならば遊んでおけ!』
たとえば、そう…本作の舞台である90年代初頭にアーケードゲームに熱狂し、ノーコンティニュー目指してコインを費やした経験があるならば、きっと本作は「やりがいのあるチャレンジ」としてあなたを楽しませてくれるはずだ。
あーいや、かくいう俺はもうちょっと後の世代だけどね。レトロゲーム好きだったから古い台ばかり遊んでたのさ。昨今溢れるライトユーザー向けのぼんやりした難易度も悪くないけど、たまにはこういうのもいい。
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2014/12/28 (Sun)05:47
来年は未年ですので。
おまえら、なんでこんなことをした?
なになに組織が?ロシア人が邪魔で?愛国心が?政府機関のバックアップ?この国をクリーンにするって?
あのなぁ…俺は、そういうことを聞いてんじゃねーんだよ。
おまえらは、いったい何の権利があってこの俺に命令してたんだと聞いたんだよ。
俺の時間を無駄遣いさせやがって、いまだって無駄話で俺の時間を浪費させてやがる。
もういい充分だ、おまえらにはうんざりだよ。終わらせてやる。
スローモーションなんか使えなくても、カバーアクションができなくても、魔法や超能力なんかなくても、カッコよく戦うことはできるんだ。本作は、そのことを証明してくれる。
Hotline Miamiは80年代のマイアミを舞台に、突如かかってきた謎の電話の指示に従いロシアン・マフィアを殺戮していくトップダウン・シューターである。基礎的な情報やシナリオ解明などは既に方々で紹介され語り尽くされているので、いまさらここでおさらいをするつもりはない。悪しからず。
レトロ調のドット絵で構築された本作は、昨今のハイエンド・グラフィクスで描画される数多のゲームよりも遥かにリアルである。主人公は一発攻撃を受ければ呆気なく死に、死なないための立ち回りを支援してくれるフィーチャーも存在しない。特別な能力など何もなく、ゲームをクリアするためにはとにかく殺される前に敵を殺すしかないのだ。
だからといって、本作が地味で単調でつまらないゲームだと言えるだろうか?もちろんそんなことはない。
扉を蹴り開けて目前の男を倒し、連れの男に銃を投げつけたあと顔面を破砕する。さっき扉をぶち当てた男の顔も潰し、地面に落ちた銃を改めて拾い上げる。ひとたび銃を乱射すれば周囲のチンピラどもがこぞって駆けつけてくるだろう、弾が切れるまでそいつらを撃ち倒す。弾が切れた瞬間に鉄パイプを拾い、最後に残ったナイフ使いを撲殺する。最初から銃を撃っていたら途中で弾切れを起こし、おそらくは殺されていたであろうシーケンスだ。
こういう、流れるような美しい殺戮の一幕を特別な演出なしにまったく自然に体験させてくれるゲームが、面白くないはずがないじゃないか。
そう、主人公は特別な能力など何も持っちゃあいない。人間にできることをしただけだ。たった一発の被弾、あるいはナイフの一刺しで阻止される行動である。だが、あなたはそれをやってのけることが可能なのだ。
このゲームの主人公は、ありふれた格好に動物のマスクを被った男だ。別段カッコいい外観ではない。しかし一切の手傷を負うことなく、銃で撃たれながら(被弾しながら!)慌てて壁の向こう側に隠れたり、やたらに壁に張りついたり横転したり、戦闘中にメシを喰って負傷を完治させる(あるいは医療キットを瞬時に使いこなす)といったあからさまにみっともない真似を一切せず、圧倒的不利な状況で殺戮を完遂する本作の主人公は、他のどのゲームの主人公よりも最高に最強でクールでカッコいいのである。
リアルな戦闘が地味だって?誰がそんなことを言ったんだい?
本作に対する俺の評価は上の通りで、個人的にそれ以上の言葉を使うのは野暮だとも思うのだが、いちおうシナリオにも触れておこう。といってもこれはあくまで個人的な見解です、念のため。
一人目の主人公Jacketはプレイヤーの分身であり、誰に指示されたのか、なぜ自分は人を殺しているのか、なにもわからないまま、とりあえず「人でも殺さなければ何者にもなれない」無個性なあなた(というか俺)自身を表現している。
最終的にノリでロシアン・マフィアのボスを殺してはみたが、終わった後になにが残ったのか…なにが終わったっていうんだ?…女の復讐?殺戮衝動の発散?そこに明確な答えはない、「おまえは自分が何者なのかすらわかっていない」。動物マスク相手の対話という名の自問自答をしてみたところで、そこに答えなんかありはしない。
一方で二人目の主人公Bikerは明確なパーソナリティを持った男で、こいつは明らかに「人格を持った一人のキャラクター」として行動しており、プレイヤーが操作することはできるものの、プレイヤーの分身などでは断じてない。
Bikerはクールな男だ。(妄想の中で?)店員に励まされたり、自らが起こしたジェノサイドの新聞記事をスクラップして自己満足に浸るJacketとは違い、彼は自らの存在に「他者の評価」を必要としない精神的超人である。彼の行動理念は極めて明確かつ利己的であり、そこに他者の意思が介在する余地はない。
『俺に命令するヤツは許さねぇ。』たったそれだけのシンプルな信条を守り通すため他のすべてを犠牲にできるBikerにとって、黒幕の大言壮語などはまったく関心の埒外である。
個人的には陰謀の動機を明確にし物語を収束させるシークレット・エンディングよりも、メタ的な発言でプレイヤーを煙に巻く通常エンディングのほうがよほど隠しエンディングっぽいと感じてしまったのだが、如何であろう。
なぜならシークレット・エンディングにおける会話は二人の清掃夫(を装った黒幕)とBikerという「ゲーム内に用意されたキャラクター同士の脚本通りの台詞」に過ぎないのだが、通常エンディングにおける会話は清掃夫に扮したCactus&Dennisとプレイヤーとの対話となっているからだ。
「これはただのゲームだぜ?おまえはいったい、他になにを期待してたんだ」
Jacket編とBiker編におけるストーリーの統合性については、どちらかが正史というよりはテキストアドベンチャーなんかでありふれているパラレル、Ifシナリオと考えるほうが健全だと個人的には思っています。というか、そう考えてはいけない理由が俺にはわからない。
エロゲ慣れした日本人的にはJacketとBikerが協力して陰謀を解き明かし、Hookerも生き残ってハッピーエンドなトゥルーシナリオが欲しいところですが、まぁ野暮な願いなんだろうなというのもわかってるんで、そういう妄想は俺の脳内に留めておきます。
2014/08/28 (Thu)20:23
↑モノクロームの世界で少女はなにを見る
耳鳴りと下痢が止まらねぇ。
どうも、グレアムです。およそ最悪の出だしでスイマセン。
インディーゲームの紹介サイトGame Joltにて「Yume Nikki 3D」という、日本製のフリーゲーム「ゆめにっき」を3D化したものが公開されていたのでちょっとだけプレイしてみました。
原作となるゆめにっきというゲーム、日本のフリゲ界隈ではかなり有名な作品らしいのですが、俺はこのゲームについてはほとんど何も知りません。今回3D版をプレイしようと思ったのも、「なにやら日本のフリゲが海外のオタクにえらくウケて、なぜか3Dでリメイクしたらしい」という非常にあやふやな事前情報と、それに対する興味からだけだったりします。
少女が夢の中の世界を徘徊するってプロットだけはいちおう知っていて、興味もあったんですが、いかんせん和製フリゲってどうも食指が動かなくてプレイしてなかったという。べつに俺は面白いゲームをやるためにゲームをやってるわけじゃないんだ(どういう理屈だ)。
↑変なのが変なふうに動く。夢なんてそれでいいんだよ
さて序文ばっかり増やしても仕様がないので、ゲーム本編について。
といっても今回は製作チームや版権まわり、その他もろもろの情報は訳す気が起きなかったので、本当に手触りだけの簡易レビューになります。本家のほうもちょっと調べたんですが、多数のフォロワーと版権まわりの問題あたりで頭が痛くなってやめてしまった。
まずゲームのエンジンについてですが、なんとこれ、EDuke32で製作されてるんですね。EDuke32といえばDuke Nukem 3D用のソースポートで、その出来の良さは折り紙つき。そういえばBloodのリメイクの話が持ち上がったときに比較対象で持ち上げられたのがこのEDuke32だったな。
これはなかなか面白い試みだと思います。俺は随分と前から考えてたんですが、非営利のフリゲ(俺この言い方あまり好きじゃないんだけど…インディーゲーと呼ぼうか)、それも3Dの場合はこういう実績のあるエンジンをどんどん使っていくべきだと思うんですよ。
そもそも3Dのインディーゲーって操作性やバグ等の基本的な部分でつまづいてる作品が未だに多くて、そういうのに限って自作のエンジン使ってたりライセンスフリーの出来の悪いエンジン使ってたりするんですよね。そういう観点(ゲームの根幹部分が製作者のプログラム能力に依存する)から俺はUnityもあまり信用してないんですが。
たんに動かすだけで苦痛(動かしても面白くない)、まともに遊べない、バグだらけ、これただの技術デモか何かか?etc、etc…そういうのって、システムを実績のあるオープンソースのエンジンに丸投げするだけでびっくりするほど快適になるはずなのに。
もちろん商用利用を念頭に入れるとイロイロ考えるところもあるんでしょうが、最初から商売っ気丸出しにしても仕方ないと思うんですけどね。
↑妙な日本語。Shadow Warrior?
ゲーム本編は、なんというかマップ間の繋がりに脈絡がないだけで、基本的にはオーソドックスな作りのADVだと感じました。もっともこれがどれだけ原作に近いのかわからないので、その点に関しては言及の仕様がないんですが。
最初はマップの移動先がランダムで処理されるのかとも思ってたんですが、どうもそうではないらしい。
あちこちに行ってオブジェクトにインタラクトし、KeyやItemを集めつつ先へ進むという。
操作感覚はかなり素直ですね、おかげで動かしてて楽しいです。WASDで移動、Eor左クリックでインタラクト、スペースor右クリックでジャンプ。原作はツクール製で2Dなんですが、いちおう3D版はジャンプアクションが必要とされる場面があります(シビアではないですが)。
ちなみにShiftキーで主人公がその場に座り込むのだが、これってなんの意味があるんだろうか…
↑目玉に囲まれ座り込み敢行
雰囲気はかなりいいですね。理不尽にわけのわからない環境に飛ばされるのを楽しむというか、これたぶんSCPあたりと同じ感覚で楽しむのが正しい気がする。なるほどガイジン受けするわけだ。ホラーってのとはちょっと違うね、ミステリアス。わけがわからないのを楽しむ。
2Dゲームを2Dスプライトを使って3D化っていうと、まったく無意味というか「なんでそんなことを…」なんて思いがちですが、あの原作の独特の雰囲気を3Dで堪能できるってけっこう凄いことですよ。いや、これ楽しい。このあたりのセンスはDOOMやDuke3Dなんかで「3Dゲームのキャラやオブジェクトに2Dスプライトを使う」ってことに違和感がないガイジンさん(というかアメリカ人)の面目躍如ってところですか。このあたりのFPS黎明期の流れは日本にはほとんど来なかったからなぁ。
こういうグラフィックでMotherとかやりたいなあ、とか思いますよね。たしかDOOM(GZDOOMだったか?)でMother2を再現するプロジェクトとかあった気がするんですが、初期に数枚の写真を公開しただけでエターナった気がする。
↑うわーめるへんだなー(棒)
さて本当に最初のほうしかプレイしていないのでこれ以上のことは書けないんですが、これ、原作もやらなきゃダメだな、とプレイしてて思いました(笑)これいいわ。雰囲気がいい。
ぶっちゃけ「面白いゲーム」って文言にはほとんど惹かれるものがないんですが、「雰囲気がいい」とか「歩いてて楽しい」ってのはかなり稀有なんで、そういうのに魅力を感じてしまいますよね。
↑8bit風のマップ。3Dでこういうグラフィック表現も悪くないでしょ
↑こえー!座り込み敢行
2014/07/17 (Thu)08:56
あなたは深遠に何を見るのか。
(以下、ネタバレが多分に含まれるので注意)
本作は施設型超常現象「SCP-087-B」の調査のために召集されたクラスD要員の経験を追体験するゲームである。…というようなストーリーラインが明示されているわけではないが、そういうロールプレイを前提にしたほうが盛り上がると個人的に考えている。
今回のプレイに用いたのはIndie DBにて公開されている、今年の二月にアップデートされたV2.1というバージョンである。どうもこれは別作者による改造版らしい、というのは後で知った。オリジナルとの違いは環境音やテクスチャ、ランダムサウンド関連で基本的なゲームプレイに変化はないらしい。
オリジナルの作者はJoonas Rikkonen(Regalis)氏で、彼は「SCP-Containment Breach」でも主要開発メンバーとして関わっている。開発エンジンもSCP-Containment Breachと同じBlitzMAX。
SCP-087-B_V2.1.exeを起動させると、メニュー画面やコンフィグの設定などをすっ飛ばしていきなりゲームプレイがはじまる。操作は標準的なWASDで、移動以外のアクションは一切必要とされない。無線機から聞こえる指示に従い、階下へと向かおう。
どうやら階層は幾つかのパターンの中からランダムで生成されるようで、プレイ毎にSCP-087-Bはその構造を変化させる。これは都市伝説のゲーム化としては有効な手段だろう、「俺が見たときはこうだった」「えっ、私が見たときは違ったけど…」体験者それぞれに異なる姿を見せる、まさに怪奇・怪異だ。
現在の階層を表示する数字はテクスチャではなくフォントファイルを使用するようで、おそらくはプレイヤーが致命的な出来事に直面しなければ無限に階層の生成が可能と思われる。
「奈落に嵌まる」か「SCP-087-1と遭遇する」いずれかの条件を満たすとゲームは終了し、何の事前メッセージもなくデスクトップ画面に戻る(デスクトップ復帰後に何かが起きる、といった仕掛けはないので安心してほしい)。
おそらくSCP-087-1が出現するタイミングはランダムで、「どれだけ深い階層に潜れるか」を友人知人と競うのも面白いかもしれない。たぶん、あまり面白くはないだろうが。
ゲーム中にコンフィグの設定はできないが、options.iniを開けば解像度や色数、フルスクリーンモードの可否、明度が調整できる。またプレイヤーの歩行速度も設定することが可能で、二週目以降のプレイでは歩行速度を若干上げるのも手だろう。
本作は元となったSCP-087の設定と比較すると、幾つかの差異が見受けられる。
SCP-087の調査記録で観測される声は「子供(少女?)の泣き声」のみだが、ゲームでは先行したDクラス要員と思われる男性の悲鳴などが響き、また壁や床には多量の血痕(本来存在しないはず)を確認できる。
もっとも違いが顕著なのがSCP-087-1の性質で、オリジナルの調査記録ではクラスD要員と接触しても直接干渉しようとはしなかった(接触したクラスD要員はいずれも精神的ショックを受けるが、これがSCP-087-1の能力によるものなのか、あくまで人間の条件反射的な反応の結果なのかは不明である)。
しかし本作に登場するSCP-087-1は明らかな害意をもってプレイヤーに近づき、そして接触した者を絶命させている。
これらが意味するところは、おそらくSCP-087-Bは、SCP-087と同様の性質を持った別の構造体なのではないか、と推察。似たような事例は他のSCPでも確認することができる。
SCP-087-BはSCP-087よりも悪意に満ちており、危険な代物だと思われる。もっとも隔壁で封殺している限りその悪意が外に漏れ出すことはなく、従ってEuclidからKeterに格上げされることはないだろう。
…「ゲームだから元ネタと設定が多少異なる」という、元も子もないことを言ってしまえばそれまでだが。
2014/07/15 (Tue)05:15
先日、中古のゲームショップでX360版が2000円弱で転がっていたので確保。いちおう以前、無印版NVを全ルートでクリアしているので、今回はその経験を踏まえてのレビューとなります。
セーブデータ及び実績は無印NVと共用できるらしく、以前のセーブデータがそのまま使えましたが折角なので今回は新規でプレイ。
まずはNVを語るうえで避けては通れない、バグやシステム上の問題点について。
UEでは最終パッチ(1.4)が当たった状態らしいが、残念ながら安全性やパフォーマンスにそれほどの向上は見られなかった(あくまで体感での話だが)。相変わらずフリーズは多発するし、プレイ時間が長くなってくると目に見えてパフォーマンスが低下し最終的にゲームがハングするという。起動毎のメモリキャッシュのクリアは必須だろうか。一度など、フリーズ後の再起動でオプション項目が書き換わっていたときなどは(HUDの色が変わっていた)、「いったいどんなプログラムを組んだらこんなバグが発生するんだ!?」と爆笑してしまった(実害は皆無に等しいが…)。まぁ、ノバックの建物が消えなくなったのは誉めていい。
フラグ管理がずさんで、ちょっとしたことでクエストが詰まるのも相変わらずだ。RPGなのに積極的に周囲のNPCと会話を進めたら数多のクエストが進行不能になるのはさすがにまずいだろう。
ゲームを進めるとアイテムのMisc欄がごちゃごちゃになりすぎるのも頂けない。最低でもガラクタ、リロード素材、クエストアイテムの三つに細分化しなければ、とてもではないが実用的なインターフェースとは言えない。これはPipboyを設計したロブコの技術者に言うべき文句だろうか?
武器に関しては、相変わらずシングルアクション・リボルバーやレバーアクション・ライフル、ポンプアクション・ショットガンなどの挙動が軒並み不安定なのが直っていなくてガッカリだった。さすがに1.0よりはマシになっているが、もし続編が出るならシステムの根本的な見直しが必要になるだろう。他にNVで追加された諸要素についても言えることだが、安定性を省みないMODライクな要素の付け足しによって、NVはバニラの時点で相当に歪なフランケンシュタイン状態になっている。まあ、TESシリーズのSkyrimで開発エンジンをリファインしたので、続編に関するそのへんの心配は杞憂だろうけども。
お次は、肝心の各DLCについての所見を。
【 Dead Money 】
ゴースト・ピープルうざすぎ問題。
俺はひねくれ者なので、あまり大衆に沿った意見というのは書きたくないのだが、それでもこのDLCの評価が軒並み低い点については残念ながら同意せざるを得ない。
おおざっぱに評価するなら、「3のMothership Zetaをもっと面倒臭く、且つ難しくしたようなコンテンツ」とでも言おうか。とにかく3のDLCから連綿と続く、魅力的な装備品(とステータス強化)をエサに苦痛でしかないゲームプレイを体験させるのはマジでやめてほしい。
ゲームプレイ以外の点では、陰鬱でアンモラルなシエラ・マドレの妖しい魅力、個性的なサブキャラクター、本編では口頭でのみ存在が示唆されていたBoSの元エルダー・エリヤの野望の実体、そして「もう一人の運び屋」の存在が示唆されるなど見るべき点は多いのだが…
【 Honest Hearts 】
ホワイト・レッグスうざすぎ問題。
これはバーンドマンことジョシュア・グラハムの雄姿に萌えるDLCである。そのボロい服は包帯込みじゃないとちょっと似合わないと思うんですよ…(DLC完了報酬が入ったStashを見つめながら)闇に輝く光はじつに厨二ちっくでカッコよろしいのでございますけどね。
じつは今回UEを買ったきっかけというのが、本DLCでシカゴ・タイプライターが登場するからという話を聞いたからなのだが…これ、ドラムマガジンついてるけどベースはM1じゃねーか!どうしてこうなったObsidian!?まぁ、待望のM1911登場については素直に喜んでいい。やっぱりアメリカ人は.45口径じゃないとな。カスタム・スライドの蓄光サイトはちょっとやり過ぎな気もするけど。
クエストに関しては、ホワイト・レッグスと協力してジョシュア・グラハムを抹殺するルートがあっても良かった気がする。仮にも(仮にもとか言っちゃいけないが)本編にリージョンのルートとかあるんだし…このあたり、やはりプレイヤー視点でのNCR対リージョンって構造が今一つ機能してないんだよなぁ。明らかにNCRに加担するよう仕向けてくるんだもの。ミスター・ハウスに至っては共倒れと漁夫の利を狙ってるだけなのでそもそも対立してないから影薄いし。
あと、ジョシュア・グラハムなら「シーザー倒す旅してるから一緒にモハビまで行こうぜ!」って誘ったら喜んでコンパニオンとしてついてきそうな気がする。装備交換には応じないけどね。
【 Old World Blues 】
ロボトミーうざすぎ問題。
これはステルススーツMkIIに萌えるDLCである。余計な真似をしでかすコンパニオンがイヤで一切連れ歩かないものの、たまに一人旅が寂しくなっちゃうめんどくさいコミュ障ハートの持ち主にとって、これ以上にない旅の伴侶はいないんである。個人的にはもっと会話のバリエーションが多くても良かったなぁ。それこそ、たまにウザいと感じるくらいにベラベラ喋ってほしかった。PC版ならそういうMODありそうだけどね。こいつを入手してからハートをキュンキュンさせながら萌えまくりでNVやってますよ。そりゃあもう。「私のこと好き?」「君は永遠の親友だよ」をはじめに、「君に死んでほしくないんだ」と言いながらスティムパックを自動投与してくれるところなんか、じつに健気じゃあありませぬか(Med-X中毒になりながら)。黒地にホワイトライン入っててジャージみたいな見た目がちょっとダサいけど。
クエスト自体は一本道なんで特に語るようなところもないか。あーっと、Robotics ExpertのPerkを取得しとくと進行が断然ラクになるっぽいですぜ(巨大ロボスコルピオンを指先一つでダウンさせながら)。盛り上がりもクソもねぇ。
ストーリー部分は、このあたりでエリヤの足跡やもう一人の運び屋についての情報がかなり出揃ってきましたね。まぁ正直、次回DLCへの布石以上のもんではないかな、という。肉体を捨てて思考が超人的になったマッドサイエンティストなんてのはSFとしちゃあありきたりに過ぎるし(といっても、基本的にFalloutというゲームは多作品へのリスペクトとオマージュで成り立っているので、新鮮味を期待するのは野暮ってもんだが。そしてそれが、俺がこのシリーズを今一つ評価できない理由でもある)。
「う~mmnnn!!!メェンタアァァァス!!111!!!」のボイスはクセになる。
【 Lonesome Load 】
梱包爆薬うざすぎ問題。
これは厨二病大炸裂なゆりしーのポエミィな語りを生温かい気持ちで楽しむDLCである。基本的にゆりしーはプレイヤーの胸一つで振り回される周囲の代弁者なんだけど、そもFalloutってゲームは「そういう形でしかプレイヤーが情報をインプットできない」構造になってるので、その点についてプレイヤーが責められても仕様がないんですけど…あとはゆりしーの言葉に対する運び屋の返答が悉く煮え切らないものばっかりなんで、「プレイヤーの手を離れた主人公の知られざる過去と因縁」という点を差っ引くにしろ、今一つ感情移入が難しいんであるな。
一つの定まったストーリーとしてはそれなりによくできてるんだけど、主人公=プレイヤーというインタラクティヴ・アドベンチャーとしての側面から見た場合、シナリオとゲームプレイの間に齟齬が生じているというか、ちとまずい、あまり上手くいってないという印象がある。このへんは多分に開発期間の短さとか、おそらくObsidianも煮詰めきれてないのをわかっててお出ししてるとは思うんだけど、もちっとどうにかならんかったかなぁという気はする。ルートの分岐がゆりしーの語りと同じくらいわかりにくい点も。
ラストでNCRとリージョンの領地いずれか(ないし両方)に核を落とした場合、それぞれロング15とドライウェルズという新マップが追加されるが、特にロング15はバランスブレイカーとも成り得る大量の武器弾薬(それもホローポイントやAP、オーバーチャージといった高級弾薬)が入手できるため、自分の行動の結末に罪悪感を覚える間もなくスカベンジに走りたくなる設計(いわゆるご褒美マップ)になってしまっているのはいいのかこれ。対してドライウェルズで入手できるアイテムは(敵がやたら強いわりには)ややしょっぱめ。ちなみにドライウェルズの爆心地に近づきすぎると即死するので要注意だ。
評として…雰囲気的にはFallout3に近い荒廃都市という舞台、ゆりしーの個性的なキャラクター、深い思慮を持たず物事に介入する運び屋(=ゲームにインタラクトするプレイヤー)へのメタな警鐘など一部を切り取って見た場合には魅力的なのだが、それらの諸要素がうまく噛み合わず全体的にグダグダになってしまっている印象がある。
あと、ここで手に入るショルダーマウント型マシンガンが肝心の現場で役立たずすぎる…
【 Gun Runner's Arsenal 】
これはDLCというかアドオン?だけど一応。
武器が大量追加されている、という名目なのであるが、その多くはバニラで登場する銃火器の単なるバリエーションに過ぎないという肩透かし。しかもGRA仕様とノーマル仕様でMODパーツが共用できないという手落ち。どうしたObsidian!?GRA仕様の武器で敵を倒す新チャレンジが追加されるものの、武器の選定から標的の組み合わせまでいちいち中途半端なのが泣かせる。
弾薬はかなりの種類が追加されていて、むしろこっちがメインじゃないかという。ただしあまり多く入荷しないので、けっきょくあまり撃つ機会がないというナントモな本末転倒ぶりよ。大口径炸裂弾やパルス弾など、撃っていて楽しい弾ではあるんだが…
中でも目を惹くのが、12ゲージ用の弾薬ドラゴンブレス。アメリカ人が大好きな(←偏見)イカしたハンドロード弾の中でも愛称が固有名詞になる程度にはメジャーなショットシェルで、薬莢に散弾とマグネシウムのペレットを充填した弾だ。ゲーム中でも炎ダメージ付与のオプションがついており、盛大に燃え上がる敵を眺めてニヤニヤするのは楽しい。
願わくば、こういういかにもイレギュラーな弾薬こそリロードベンチで製作できれば良かったのだが…このあたり、やはり肝心な部分でツメが甘いぜObsidian。
【 Courier's Stash 】
これは…別にいらないかなぁ……
このあたりで総評を。
今回通してプレイしていてふと思ったのだが、どうもObsidianは、NVにおけるレベルデザインやクエストの設計を2Dと同じ方法論で製作しているのではないか?ということ。やたら複雑でわかりにくい施設の構造も、とにかくあちこち走り回らされるクエストも、おそらく従来のクォータービューでプレイしたならばそれほど違和感を覚えずすんなりプレイできたはずだ。いまいちゲーム的に機能しているのか把握しづらい派閥要素にしてもそうだが、ObsidianはVan Burenの設定だけではなく、ゲームのデザインまで持ち込んだせいで3由来のFPSライクなシステムと齟齬をきたしてしまったような気がしてならない。
とはいえ…本作は一般的に(この一般的、てのも随分と曖昧な表現ではあるが…)3と比べて駄作であると扱き下ろされがちであるが、個人的には、「本来のFalloutらしい」という意味で本作のほうが好みだったりする。
しかしながら、Bethesdaが世に放った3が、ナンバリングタイトルであるとはいえ事実上のリブート・プロジェクトとして大成功を収めてしまった(大衆にアピールするビッグ・タイトルとして)のが結果としてNVの低評価に繋がってしまっているのは想像に難くない。
しかし、本来Falloutというタイトルは一部に熱狂的なファンが存在するのみでそれほど売り上げが良かったわけでもない(事実、3が登場するまでは本国でも知名度が高いフランチャイズではなかった)、いわゆる「怪作」に類するタイトルである。そういった作品のオリジナル・スタッフが手がけるというのだから、そもそも「風変わりな題材をこれ以上にない王道展開でそつなく纏めた大作」と比べること自体が野暮な話なんである。
それでもバグはもうちょっとどうにかならなかったのか、とは思うけど。