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主にゲームと二次創作を扱う自称アングラ系ブログ。 生温い目で見て頂けると幸いです、ホームページもあるよ。 http://reverend.sessya.net/
2024/05/06 (Mon)07:53
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2014/06/13 (Fri)20:10

 なぜ、あのエルフの恋人達を殺したことにあれほどまで動揺したのか。
 それはきっと、殺す相手のことを必要以上に知ってしまっていたからだ。いままでの自分は、たんに標的の顔と名前だけを記憶し、命を奪うだけだった。
 だがここシロディールでの仕事は、どれも不必要な事前情報が多過ぎた。
 相手がどんな人間なのか。なぜ殺されなければならないのか。あるいは、殺されなくてもよかった存在だったのかもしれないのか。
 なにもかもが煩雑で、余計で、どうでもいいこと。
 苛立つ…

  **  **  **  **



「さてお集まりの紳士淑女の皆様方、ようこそサミットミスト邸へおいでなさいました!」
 スキングラッド北東部に位置する豪邸<サミットミスト>に集う七人の男女。
 パーティの主催者であるファフニールを筆頭に、元貴族の老女マチルデ、元帝国軍将校のネヴィーレ、酔っ払いの男ネルス、富豪の跡取りプリモ、ダンマー(ダークエルフ)の淑女ドラン、そしてブラック17…それぞれがそれぞれの思惑を胸に、いまは歓談に興じている。
「お金よ…わたしにはお金が必要なの」
「宝探しゲームか。退役恩給の足しにはなるかな」
「ガハハッ、せっかくのパーティだ!楽しくやろうぜ!」
「宝の鍵と、それに対応する宝箱。どちらか片方だけでは意味がない、か」
「わたしが両方とも先に見つけだしてみせるわ!」
 皆一様に胸躍らせ気分沸き立つなかで、ブラック17だけがその冷たい双眸を光らせる。
 その隣で、主催者のファフニールがひときわ大きな声で皆の注意を惹きつけた。
「言っておきますが」
 胸元に光る鍵…ネックレスにして首から下げている…それをこれみよがしに高く掲げ、ファフニールは言葉を続ける。
「誰かが宝を見つけるまで、誰一人としてこの屋敷を出ることは許されておりません。屋敷の扉が開くのは、ゲームの終了を宣言し私がこの鍵を使ったときのみです。とはいえ、それはあくまでゲームの趣向の一つです。屋敷にはたっぷりと水や食料が蓄えられておりますし、それに、まあ、延々と宝を探し続けなければならないほど難しい場所に隠してあるわけではありません。その点についてはあまりご心配をなさらぬよう」
 現在サミットミスト邸では、とあるパーティが催されていた。
 招待状によって迎え入れられた賓客は、この屋敷のどこかに隠されている宝箱と、その鍵を見つけるまで外に出ることができない。宝箱には大量のセプティム金貨が埋蔵されており、それは宝箱の鍵を開けた者に寄贈される。
 そう、そんなものが本当に存在すれば、だが。
 さっそく宝探しに精を出す賓客たちを前に、ブラック17が皮肉めいた笑みを浮かべた。
「そんな美味しい話、あるわけないのに」

  **  **  **  **



 翌朝、賓客たちは老女マチルデの悲鳴によって目を醒ますことになる。
「な、な、なんてことでしょう…!」
 マチルデがダイニング・テーブル上に見たのは、銀の皿の上に乗せられたファフニールの首。
 やがてすべての賓客がその場に集まり、口々に噂をはじめた。
「いったい、誰がこんな惨いことを…!?」
「それより、おい、こいつの胴体はどこに行ったんだよ、エッ!?」
 酔っ払いのネルスの言葉に、誰もがハッと目を見開いた。
 胴体がどこにもない。胴体、首から下、首に下げていたもの。この屋敷の鍵。
「つまり、僕らはここに閉じ込められたっていうことなのか…?」
 富豪の跡取りプリモが顔を青くする。その傍らについていたダンマーのドランは生来の青い顔をよりいっそう青ざめさせ、老女マチルデに至ってはその場で腰砕けになる有り様だ。
 一方で元帝国軍将校のネヴィーレは窓枠をガタガタと揺らし、この屋敷の施錠の頑丈さを確認して回る。酔っ払いのネルスは壁に飾られていた斧で正面扉を破ろうとしたが、大男が全力で斧を振るったにも関わらず、扉はびくともしなかった。
「駄目だ、自力では脱出できそうにない」
「まったくどうなってやがる、だいたい内側から掛ける錠前ってなんなんだよ!そんなもん、聞いたこたぁねえぜ!」
「仕方がないわ。ひとまず、宝探しと平行して胴体を…いえ、屋敷の鍵の捜索もはじめましょう。まさか、煙のように消えてなくなったってことはないでしょうから」
 ブラック17が冷静に…すこし動揺したような演技を混ぜながら…言葉を結ぶ。
 未だ一同のショックが冷めやらぬなか、血気盛んなネルスだけが的確な推測を吐いた。
「まったく、たしかに鍵は消えたわけじゃねぇんだろうさ。このなかに殺人鬼がいるってのと同じくらい確実にな!」
「いったいなにを…」
「鍵が煙のように消えねぇなら、パーティの主催者が首だけになったのは妖精の仕業ってことにゃならねーだろ!?誰かが殺したのさ、何が目的かはわからねえが…あるいは、宝の場所を吐かせようとしたのかもな」
 金を目当てに、人を殺すようなやつがこのなかにいる。
 そう思い知らされた一同はさらなるショックを受けたが、しかし、現時点ではどうすることもできなかった。
「で、でもさ…もし死んだ彼が宝の場所を告げたなら、もう殺人は起きないと思って良いのだろう?殺人者は目的を果たしたのだから」
 最後に、プリモが縋るような態度でそう呟いた。
 誰もがそうあってほしいと望んでいたが、しかし、そうはならなかった。

  **  **  **  **



 夕刻過ぎ…
 屋敷の地下室で、巨大な斧によって首を切断されたマチルデの死体が発見された。
「どうやら旦那は宝の場所を吐かなかったらしいな。殺人鬼は、宝を独り占めするために俺たちを一人一人殺す作戦に出たらしいぜ」
「おい、人心を惑わすような推論は止さないか!まだそうと決まったわけでは…」
「じゃあ他に何の理由があるってんだ!?」
 死体を前に、ネルスとネヴィーレが口論を交わす。このノルドとレッドガードの二人の関係はまさに水と油で、最初に対面したときから険悪な雰囲気を漂わせていた。
 そのとき、ずっと怯えていたドランがぱっと顔を上げる。
「そうだ、魔法よ!わたし、少しだけ魔法が使えるの…もしかしたら、扉を破れるかも!」
「本当かい?」
 同じく殺人者の存在に精神をすり減らしていたプリモが高い声で反応する。
 一行は正面扉まで集まり、ドランの魔法に注視する。しかしドランがいくら魔法の行使を試みても、まるで何も起きなかった。
「おかしい、なんで…ここでは魔法が使えないわ!まるで、何らかの障壁が…呪文を無効化するようなものが…張られているみたい!」
「なんだって!?」
 わずかな希望が潰えたことで、プリモが絶望の声を上げる。
 一方でネルスとネヴィーレは、この状況で互いに相手が犯人だと信じて疑わないようだ。
「まったく、やりかたが汚いぜ…こんなことをするのは、欲にがめつい帝国軍人くらいのモンだな!」
「そうかね?わたしはてっきり、飲兵衛で性根の腐ったノルドの手口そのものだと思ったが」
「なんだと、このクソ野郎!てめぇなんざ…」
「止しなさいよ」
 ヒートアップする二人の間にブラック17が割って入り、制止しようとする。
「こんなときに争ってどうするの、まったく」
「彼女の言う通りだよ。それに、本当に僕らの中に犯人がいるとは限らない。そう見せかけた外部の人間の犯行の線だって充分に有り得る、そうは思わないかい?」
 その場を取り持つためか、プリモも積極的に団結を促そうとする。
 だがしかし、フン、ネルスは鼻を鳴らして背中を向けると、吐き捨てるように言った。
「どのみち、お互い、背中には気をつけようぜ。なぁ?」
 すでに宝探しから生き残りを賭けたゲームと化したこの場で、誰もが疑心暗鬼に陥り、いつ殺し合いがはじまってもおかしくない緊張感が張り詰める。
 この状況で、ブラック17ですらいささかの猜疑心を抱きつつ…

  **  **  **  **



 翌朝、椅子に腰掛けた状態で顔面を射抜かれたドランの死体が発見された。
「畜生、ちくしょう!いったい誰が、誰がこんなことを!クソッ、許せねぇ、くそ、畜生!」
 ダンマーの亡骸を目にしたとき、一番激昂したのは意外にもネルスだった。
 演技にしては大袈裟だな、と皮肉交じりに呟くネヴィーレの胸倉を掴み、ネルスが怒鳴り散らす。
「いいか、彼女は、彼女はな…俺の娘にそっくりだったんだ…てめぇら帝国軍が見捨てた俺の家族にな!それをてめぇ…ッ!」
「ほう、君の娘はダンマーだったのか。ノルドの男にしては奇妙な家族関係だったんだな?」
「この野郎、ぶっ殺す!」
 すぐさま殴りかかろうとしたネルスを、ブラック17とプリモが二人がかりでどうにかしてネヴィーレから引き剥がそうとする。
 取り押さえられ、幾分か冷静さを取り戻しながらも、ネルスは二人に向かって叫んだ。
「こいつを生かしておくと後悔するぞ、こいつが犯人に決まってやがるんだ!」
「それはこちらの台詞だ、薄汚いノルドめ。来るならいつでも来い、相手になってやる」
「なんだとこの野郎!」
 ああ、やれやれ…ふたたび暴れだそうとするネルスを両脇で抑えながら、ブラック17とプリモはため息をつく。
 こんなことをしている場合ではないというのに。
 やがてネルスは大量の食料を部屋に持ち込んで立て篭もり、一方のネヴィーレは帝国軍時代に着用していたフルプレートのアーマーを着用して屋敷の巡回をはじめた。
 ブラック17とプリモも、やがてそれぞれの思惑を持って動きはじめる。

  **  **  **  **



「ネヴィーレが殺されていたわ」
 すべての事態が収束したのは、このゲームがはじまって以来じつに三日後のことだった。
 ネヴィーレは自室で心臓に自身のロングソードを突き立てた状態で発見された。
「これは、自殺…に見えるかい?」
「さてね。彼は護身用のナイフも持っていたようだし、私なら自害するのに扱いにくい長剣で鎧の装甲を抜こうとは思わないわね。そもそも、鎧を着たまま」
「それもそうだ。それと…」
 奇怪な亡骸を目前に、いままでの動揺ぶりが嘘のように平然とブラック17を見つめながら、プリモが言った。
「さっき、ネルスの死体も見つけたよ。つまり、いまこの屋敷に残っているのは君と僕の二人だけということだ。あるいは外部の人間の犯行かもしれないが、そうでなければ僕か君のどちらかが殺人犯ということになる」
「あるいは」
 ブラック17はそこで一旦言葉を区切り、プリモを注視する。
 いかにも金持ちのお坊ちゃん然とした態度は消え失せ、ただ不敵な笑みを浮かべるプリモにブラック17が言い放った。
「あるいは、二人とも殺人鬼か」



「ご明察。すると、君がダーク・ブラザーフッドの暗殺者というわけか。いや、連中に雇われた異界の暗殺者、かな?」
「どこでそれを知ったのかしら?」
「それは企業秘密というやつだね」
「まったく、おかしいと思ったわ。このパーティの主催者、ブラザーフッドのエージェントが真っ先に殺されるなんてね。本来なら、私が彼以外の全員を皆殺しにする筋書きだったのに。そのために宝探しなんていう、ありもしない話をでっち上げたっていうのにね」
「いきなり番狂わせを演じることで君の動揺を誘うつもりだったんだけど、いや、なかなかどうして尻尾を出さないとは、さすがだよ」
 会話を続けながら、二人は一階のホールまで移動する。
 エンチャントが付与された魔法剣を取り出したプリモに、ブラック17が目を細めて呟く。
「それ、で…貴方の標的は私、というわけ?」
「君は強力な魔法を使うそうじゃないか。だから、呪力障壁で魔法を封じさせてもらったよ」
「ああ、あのカラクリは私のために用意したのね。まあ、そんなことじゃないかと思っていたけれど」
 プリモ…いや、プリモを名乗る暗殺者の用意周到さに感嘆しながらも、ブラック17はどうこの場を切り抜けるか考え続けていた。
 素手での徒手格闘でも目前の男を屠れる自信はある。だが、いまは他のことが気になっていた。
「そうね、試してみるのもいいかもしれない」
「?」
「この世界の魔法を封じる…この世界の魔法で…私の、魔法が、封じれるかどうか」
「…ッ、なに!?」
「コール・ブラッドキャスト」
 ブラック17の意図を察したプリモが顔色を変え、床を蹴って彼女に飛びかかる。
 急場で繰り出される、いささか技巧を欠いたその一撃をかわしながら、ブラック17は右腕の内部に収束されているキャスト・デバイス・ユニットを作動させた。
『フリーズ(氷結)…単体術式始動』
「うおおッ!」
 右腕の展開がはじまり、露出する魔導球が視界を覆うほどの光を迸らせるなか、プリモが全身全霊の一撃を繰り出そうとする!
 しかしその剣先がブラック17の喉元に届く直前、プリモが彼女の肉体を離れた右手に顔面を掴まれ、動きを封じられた。まるでそのときだけ、時間が一瞬だけ止まったかのような…



 暗殺者プリモは敗北した。その肉体を氷塊へと変化させられて…
 プリモの肉体の分子構造が置換される直前、彼の懐から屋敷の鍵を抜き出したブラック17は、決して明るくはない表情で彼に背を向け、その場を後にした。
「どこからか情報が漏れている…」
 本来ならば、ワンマン殺人ショーとなるはずだった今回の任務。
 余計な邪魔が入ったこと、あまつさえ招かれざる客の目的が<暗殺者の暗殺>だったこと、そのことを胸中に秘め、ブラック17は聖域の待つシェイディンハルへと帰還した。





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2013/09/03 (Tue)15:22

 エマ・メイ号の事件を解決して間もなく、ちびのノルドは急遽ブラヴィルの戦士ギルドに呼び戻された。
「つい先日、無視できない案件が持ち上がってね。といってもウチはいま人手不足で人員を回せないから、是非ともあんたに頼みたいんだよ」
「はぁ…」
 カジートのナーシィの口から伝えられる言葉に、ちびのノルドは気のない生返事をする。
 話を聞くと、どうも数日前から1人の男性が行方不明になっているらしい…名前はアルロン・ロッシェ。戦士ギルドに捜索を依頼したのは妻のウルサンネ・ロッシェで、夫を心配するあまり、このところすっかり衰弱してしまっているのだという。
「いまの時間なら、教会でお祈りしているはずだよ。なんとか頼みを聞いてやってくれないかねぇ?」
「断ったら人間性を疑われるような話を持ってきて、選択権があるような言い方をするのは卑怯じゃないですか」
 嫌なら、別に構わないが…そう言いたげなナーシィに対し、ちびのノルドは嫌味たっぷりにそう答えた。
 とはいえ、それは本心ではなかったが。行方不明になった男のことは気がかりだったし、伴侶を失った夫人のことを心配する気持ちも、もちろんある。
 しかしそれを別にしても、相手に有無を言わさず厄介ごとを押しつけるシロディール流のやりかたに不満を覚えるのも事実であって。こればっかりは、ナーシィ1人に文句を言っても仕方がないのだが。
「わーかーりーまーしーたーよー。行けばいいんですよね?行きますよ」
「嫌なら…」
「行きますってば!」
 いやらしい笑みを浮かべながら、わざとらしく気遣うナーシィにちびのノルドは背を向けた。
 …ああ、やっぱりこの大陸の人間は好きになれない。すくなくとも、スカイリムよりマシってことは全然ないじゃないですか。
「…はぁ」

 ブラヴィルのマーラ大礼拝堂の戸を叩き、ちびのノルドは静かに中の様子を窺う。
 もともと宗教には縁がないためか、どことなく場違いな雰囲気に居心地の悪さを覚えながらも、ちびのノルドは依頼人であるウルサンネ夫人の姿を探して周囲を見回した。
 しばらくして近くを通りかかった神官をつかまえると、ウルサンネ夫人が来ているかどうかを訊ねる。
「…彼女に何か御用が?」
「あの、戦士ギルドに依頼があったので。その件で」
「それなら、あちらの信徒席に。彼女はデリケートな問題を抱えています、あまり刺激なさらぬよう」
「はぁ…」
 どことなく棘のある神官の言葉にちびのノルドは困惑しながらも、ウルサンネ夫人のもとへと向かった。



「あの…ウルサンネ・ロッシェさん?」
「あなたは…?」
「ぁーっと、戦士ギルドのアリシアって言います。旦那さまが行方不明になった件で窺ったのですが」
「そうですか、夫のことでわざわざ…」
 ちびのノルドの目から見て、ウルサンネ夫人はひどく小さく、小柄に見えた。実際はちびのノルドより身体が大きかったにも関わらず。おそらく彼女が纏っている雰囲気がそう見せたのだろう。
 こういうの苦手だな、と思いながら、ちびのノルドは言葉を続けた。
「もしよければ話を。場所を変えます?」
「いえ、ここで大丈夫です」
 ウルサンネ夫人はゆっくりと顔を上げてから、ぽつり、ぽつりと話しはじめた。
「クルダン・グロ=ドラゴルという名のオークの高利貸しから借金をしていた夫は、ある日彼に呼び出され、それ以来、姿を消してしまいました。あの男は…クルダンはブラヴィルの裏街道でも名の通った悪漢で、わたし1人ではどうすることもできなくて…」
「つまり、まずはその男、なんでしたっけ、クレダイ・ドラ=ドラララァ?とかいうヤツと話をつけに行けばいいんですね?」
「え、えぇ…クルダンは小狡賢く、卑怯で、抜け目のない男です。気をつけてください」
 ダイナミックに名前を間違えたちびのノルドに驚きつつ、ウルサンネ夫人はあえて訂正もせずに行く先の注意を促す。
 とりあえず、やるべきことはわかった。がしかし、このまま立ち去ったものだろうか。
 どうしても気になることがあったちびのノルドは、一度は背を向けたものの、ふたたびウルサンネ夫人に向き直り、質問した。
「あの、失礼だとは思いますが…旦那さまは、なぜ借金を?」
「…ギャンブルです」
 やや言い難そうに、ウルサンネ夫人は呟いた。
「いつか一山当てて、帝都のような素晴らしい場所に住めると、夫は日頃から吹聴しておりました。一度だけ大当たりしたことに味をしめ、ひょっとしたらそれ自体が夫をギャンブル漬けにするための巧妙な策略だったのかもしれません。いまとなっては、そう感じます」
「旦那さまは、ギャンブルは得意だったのですか?」
「いえ、決して。負け続けた夫はやがて借金を…あの悪名高いクルダンから金を借りて、それからは借金を返すために借金を繰り返す日々を。わたしが至らないばかりに、このような事態にまで」
 そこまで言うと、ウルサンネ夫人は顔を伏せて口を閉ざしてしまった。
 なるほど夫のアルロン・ロッシェはどうしようもない人物のようだが、それでもウルサンネ夫人が戦士ギルドを頼ってきたということは、未だに夫を愛しているのだろう。
 そのことの是非はともかく、これ以上彼女を悲しませるのは忍びない。
「クルダンは独身求婚者亭の3階を根城にしています。宿の主人と話せば、仲介してくれるはずです」
 ウルサンネ夫人からの情報を頼りに、ちびのノルドはマーラ大礼拝堂を出た。

  **  **  **  **

「厄介なのと関わり合いになっちまったね、あんた?」
 独身求婚者亭の主人ボグルム・グロ=ガラシュの言葉に、ちびのノルドは思わず苦笑いを浮かべた。
 どうやらアルロン・ロッシェとおなじく金に困ってクルダンを頼ってきた哀れな客とでも勘違いしているのだろうが、あえてその誤解を解く必要は感じなかった。
 それに、戦士ギルドの人間と知っていたら面通しを拒否されていたかもしれない。
「クルダン、あんたに客だ」
「通せ」
 宿の主人との短いやり取りののち、クルダンはちびのノルドの前に姿を現す。



「おやおや、随分と小さなお客様だな。ヒモでも探してるのか?」
「いや、そうじゃなくて…」
「心配するな、<小さいのが好きな客>ってのもちゃんといるからな。なんなら…」
 ゴガンッ!
 クルダンの下品な発言に激昂したちびのノルドは、力任せに拳をテーブルに叩きつけた。衝撃でテーブルが180度ひっくり返り、調度品が床にばら撒かれる。
 ただの小娘では有り得ない腕力に、クルダンは激昂するでもなく目を細めた。
「…おめぇ、客じゃねえな。なにが目的だ?」
「アルロン・ロッシェ。あなたから借金をしていた男性の名です、聞き覚えは」
「知らねぇな。おっと勘違いするなよ、俺の客は多い。たった1人ぽっちの名前を簡単に思い出せるほど、俺のビジネスはセコくねぇんだ」
 仰々しく手を振ってから、クルダンはわざとらしく考え込むような仕草をしてつぶやいた。
「アルロン…アルロンねェ。ああ思い出した、ギャンブル中毒のハゲ野郎だな。あいつになんの用だ、まさか、おめぇからも借金してるとかじゃあるめぇ?」
「違いますよ。先日、あなたと会ってから彼の行方がわからなくなったとかで、奥さまから捜索の申し出を受けたんです」
「なんだ、想像してたよりつまらねぇ展開だな。あんなクズ野郎なんざ放っておきゃあいいんだ、いい厄介払いができたと思って、そっとしときゃあいいものをな」
「それを判断するのはあなたではありません。彼女の依頼先は戦士ギルドです、いくら裏社会の顔役であるあなたでも、ギルドを敵に回すのはかなり都合が悪いんじゃありませんか?」
「ほー、言うねぇ。戦士ギルド?ブラックウッド団が台頭してきてから、ずっと冷や飯食らいだって話じゃねぇか。そんなザコどもを、俺が怖がるとでも思うか」
 そう言うが早いか、クルダンは背負っていた片刃の斧を抜くと、素早く斬りつけてきた。
 しかし鋭く砥がれた刃がちびのノルドの首筋を捉えるよりも早く、彼女が斧の背をがっちりと掴み軌道を逸らせることに成功する。
 両者ともに力が拮抗するなか、やがてクルダンが口を開いた。
「いい反応だ。度胸もある。なるほど、口だけじゃあないようだな」
 クルダンが斧の柄から手を離し、ちびのノルドがそれを投げ捨てる。
 ドスッ、重い音とともに斧が床に突き刺さるのを目で追いながらも、まったく動揺した様子を見せないクルダンが、話を続けた。
「たしかにギルドを敵に回すのは得策じゃあねぇ。しかし、あのバカをタダで返すわけにはいかん。これはビジネスだからな…わかるだろ?」
「条件はなんです?」
「いいねぇ、話が早くて。物分かりの良いヤツぁ嫌いじゃねぇぜ」
 そう言って、クルダンはその巨体を小さな椅子に沈めた。
「ニーベン湾の中枢にな…グリーフ砦島ってのがある。そこに、我が家に代々伝わる家宝、いや、家宝だったものが置き去りになってる。そいつを取ってこい」
「家宝?」
「ドラゴル家の斧だ。柄に名前が彫ってある、見間違いはせんだろうよ」
「なんで家宝がそんな場所にあるんです?」
「戦火に巻き込まれてな。置き去りになったんだ…それ以上の説明が必要か?おめぇ、俺の家計図に興味があるのか?」
「いえ、まったく」
「そういう正直なところ、嫌いじゃないぜ。この件が済んだら、おめぇ、俺の部下になる気はねぇか?」
「お断ります」
「即断だな。ま、そう結論を急ぐこともあるめぇ?せいぜい、考えといてくれや」
 話を聞くだけ聞いたところで、ちびのノルドはクルダンのもとを後にした。
 最後のオファーには、すこしだけビックリしたが…ただまぁ、おそらく本気ではないのだろう。と思いたい。
 クルダンの言葉がどこまで真実かを計る術は、ない。残念ながら。
 脅迫や拷問で口を割らせるには場所が悪かったし、殺すなどはもっての他だ。それに、ちびのノルドはそういった手段をあまり好まない。ひとまず相手のルールでゲームをはじめるしかないだろう。

  **  **  **  **

 クルダンからの情報を頼りに地図を広げたちびのノルドは、グリーフ砦島の位置にマークをつけると桟橋に立つ船頭にそれを渡した。



「その場所までお願いします」
「グリーフ砦島…あんた、クルダンの旦那に言われて来たね?」
 アルゴニアンの船頭の言葉に、ちびのノルドはしばし面喰らう。
 ちびのノルドが口を開くよりも早く、アルゴニアンの船頭が言葉を続けた。
「あの島に行かされるのは、あんたが初めてじゃない。つい何日か前にも、男を1人連れて行ったよ」
「ひょっとして…アルロン・ロッシェ?」
「そんな名前だったかね。とにかく、あの島に行って帰ってきた人間はいない。あまり御薦めできる観光スポットじゃない」
 途端に雲行きが怪しくなってきた。
 これは誰もクルダンの家宝を探して来れなかったということなのか、それとも…?
「…行かなければならない、理由があるので」
「そうかね」
「その。もしあの島から戻る場合は、どうすれば?」
「あの島は私の定期巡航ルートに入っている。そうさな、3日に一度…目立つように合図を送ってくれれば、拾ってやることもできるが。もちろん、料金は頂くがね。なんなら先払いでもいい」
「お願いします」
「そんなわけだから、あの島に行くなら数日分の食料を持っていったほうがいい。私はしばらくここで待つよ」
 ちびのノルドは戦士ギルドから二人分の水と食料を纏めて持ち出すと(アルロンが生きていた場合を考えてのことだ)、アルゴニアンの船頭の待つボートへと乗り込んだ。

  **  **  **  **



「ここが、グリーフ砦…」
 ボートから降りたちびのノルドは、目の前の光景を一望した。
 崩れ落ち、廃墟と化した砦。クルダンは昔ここで戦争があったと言ったが、この光景を見る限りそれは真実のように思えた。
「さて、と。家宝の斧は、砦の中にあるんでしたっけね」
 そんなことをつぶやきながら、ちびのノルドが扉の門を潜ったとき。
 ゴッ、ガシャン!
「…えっ?」
 背後でけたたましい金属音がしたのを耳にし、ちびのノルドは慌てて振り返る。
 見れば、さっきまで普通に開いていたはずの門が閉じ、頑丈な鉄格子ががっちりと嵌まっていた。ためしに掴んでガタガタと揺すってみるが、案の定ビクともしない。
 それでも古い鉄格子なら、なんとか腕力で破壊可能…そう思った矢先、ちびのノルドはあることに気がついた。
「この鉄格子…なんでこんなに真新しいんだろう」
 答えは一つ、最近取り替えられたからだ。
 そして、鉄格子とは人を閉じ込めるためにあるものだ。つまり、導き出される答えは…
「嵌められた」
 クルダンにしてやられた。
 しかし、なぜ?なんのために?
 ちびのノルドが考えるよりも早く、答えは向こうからやって来た。
「おまえも、あの野郎に騙されて来たのか?」



 そう言いながら近づいてきたのは、頭頂部が禿げ上がった30代の男だった。初老というほど歳は取っていないはずだが(おそらく)、実際の年齢よりも10~20歳は老けて見える。
「クルダンの野郎、大法螺吹きやがって、なにが家宝だ畜生!こんなつまらないペテンに引っかかるとは、とうとう俺のツキも終わったみたいだぜ」
「あの…失礼ですが、アルロン・ロッシェという男性をご存知ありませんか?」
「あ?アルロン・ロッシェは俺だが、それがどうかしたか?誰だ、おまえ」
 ビンゴ。
 こういうわけのわからない展開の中で、彼がまだ生きているというのは悪くない状況だ。すくなくとも、いまは、まだ。
「わたし、戦士ギルドのアリシアといいます。奥さまからの依頼で、あなたを探しに来ました」
「なに、戦士ギルド?ウルサンネが?なんてこった、これこそまさに蜘蛛の糸だな!」
「く、くも?」
「捨てる神ありゃ拾う神あり、さ。学がないね、あんた」
 その一言にちびのノルドはムッとしたが、しかし、嫌味を言える程度には相手が元気なのは良い兆候だ。余裕のない人間はなにを仕出かすかわからない。
 コホン、仕切りなおすように咳払いを一つしてから、ちびのノルドはアルロンに質問した。
「それで…ここで、一体なにが起きているんです?」
「ゲームさ。くそったれのゲームだよ。いいか、こういうことだ…ここは狩場なのさ。俺はクルダンに、家宝の斧を持ち帰れば借金をチャラにしてやると言われた。しかしこの島で待っていたのは斧なんかじゃなく、ハンターだったってわけさ」
「ハンター?」
「クルダンの顧客だよ、<金を持っている方>のな。奴は金持ちのために、王侯貴族が趣味でやるような狩猟ゲームの、もっといかしたやつを用意してやってるのさ」
「ああ…話が読めてきました」
「だろうとも。クルダンは借金で首が回らなくなったヤツを、狩猟ゲームのトロフィーとしてこの島に送り込んでるのさ。俺の前には、フランソワ・モティエレとかいうやつが犠牲になってる。逃げ場はない。そこの鉄格子の鍵は、連中が持ってるしな…」
「でも、この島から出られないんじゃあ、ハンターたちも困るんじゃないんですか?」
「そこは上手く考えてあるのさ。連中は砦の中を根城にしてる、砦の中には水や食料がたんまりと備蓄されてるから、生活に困ることはない。それに鉄格子の鍵はやつらが持ってるから、やつら自身はこの島から出ようと思えばいつでも出られるってわけさ」
「なるほど」
 ちびのノルドはしばらく考えこんだ。
 この状況で、自分にできることは何か?選択肢はあまり多くない。
「つまり、この島から脱出するには、ハンターを始末して鍵を奪う必要があるわけですね」
「おいおい、簡単に言ってくれるな。すくなくとも俺には、生まれてこのかた剣を持って戦った経験がない。つまり、なんとかしてこの状況の裏をかく方法を探すほうが建設的だと思ってたんだが、あんたは違うのかい?」
「えー…まぁ」
「だったら気をつけな、連中の腕が立つかどうかなんてのは俺にはわからないが、金持ちだから装備は良いものを揃えてる。ハンターは3人。そして鍵は3つ、それぞれが持っているものを組み合わせて使う必要がある」
「わかりました。それにしても…やけに詳しいですね」
「俺を疑うのか?まあ無理もないか。なんてことはない、ちょいと食料を失敬するために砦に忍び込んだとき、連中の立ち話を聞いたのさ。そのあと見つかって、殺されかけたところをなんとか逃げてきたんだけどな」
 そう言って肩をすくめると、アルロンは苦笑いを浮かべた。
 ちびのノルドはボートに乗せてきた食料を彼に渡すと、自分が砦から出てくるまで誰にも見つからないよう隠れているように指示した。
「もし、あんたが出てこなかった場合」アルロンは特に悪気もなさそうに言った。「そのときは、自分の独創性を頼りにしなけりゃならないんだろうね?」

  **  **  **  **

 普段から視界を制限していると、便利な点が一つある。急激な光量の変化にもすぐに適応できるようになることだ。
 砦の中は薄暗く、あちこちが風化し崩れかかっているさまはシロディール各地に点在する破棄された建物とそう変わりはない。しかし細部を観察すると、たしかに人の手が入っている痕跡を辿ることができた。
「この前連れてこられたやつ、まだ見つからないのか?」
 しばらくして話し声を耳にしたちびのノルドは、咄嗟に身を隠す。
 相手の姿はよく見えなかったが、その声は拡声器を通したようによく聞こえた。聞かれて困る相手がいないと思っているのだろう、必要以上に大きな声で話しているように思える。
「ああ。はしっこい野郎だぜまったく、いまは砦の外に潜伏してるんじゃないかな。夜になったら探しに出るか?」
「いや、夜はまずい。奇襲をかけられてもつまらん、素人をあなどるもんじゃない。夜明けがいいだろう、人間が一番油断しやすい時間だ」
「わかったよ、ノルドの旦那」
 聞き耳を立てていたちびのノルドは、どうやら相手の評価をすこし改めるべきかもしれない、と思った。
 金持ちの道楽、と聞いて、装備だけ良いものを揃えた素人集団とばかり思っていたが、多少は戦闘の心得を持つ者がいるようだ。ノルドの旦那、と呼ばれていたか…相方の声音から察するに、どうやら彼がグループの中では一番に信頼されているらしい。
「3人同時に相手をするのは危険そうですね。1人づつ始末していきますか」
 そうつぶやき、ちびのノルドは散り散りになったハンター達の後を追い始めた。
 やがてハンターの1人に目星をつけたちびのノルドは、ゆっくりと近づいて相手を締め上げようとした。だが、そのとき。
「!?誰だ!」
 直前でちびのノルドの気配を悟ったらしいハンターが、振り向きざまに剣を振るってくる!
 すでに充分接近していたちびのノルドは反射的に剣の柄を掴むと、そのままハンターの足を払った。そのまま勢いに任せて倒れるハンターにのしかかり、剣の向きを変えてハンターの首に突き立てる!



「なっ…!?が、あっ……!!」
 苦悶の表情を浮かべながらも、ハンターは必死に剣を引き抜こうとする。しかしちびのノルドが駄目押しとばかりに柄に拳を叩きつけた瞬間、ハンターは意識を失った。
 ぐったりと倒れたハンターの懐を探り、ちびのノルドは鍵を探し当てる。
「あと2人」

  **  **  **  **

「そういえば、もう1人…この島に送り込んだ、とクルダンが言っていたな。すっかり失念していたよ」
 吹き抜けになっている奈落の間にかけられた細い橋の上で、鎖で天井から吊られたトゲつきの丸太が揺れる間でハンター…<ノルドの旦那>と呼ばれていた男がちびのノルドに向かって言った。
 この砦に仕掛けられている罠の多さにはすでに閉口していたが、まさか相手が罠を利用して攻撃を仕掛けてくるとは思っていなかったちびのノルドは、このやりにくい状況に唇を噛む。
「その様子だと、少なくとも1人はこちらの同輩を始末しているらしいな。そんな小さな身体で、よくやるよ」
「よく言われます」
「それも女だとはな。顔を隠してるのは、おおかた醜いからか。どうせボズマー…」
 そこまで言って、ノルドの旦那は何かに気づいたようにハッと息を飲んだ。
「いや。いいや…おまえ、どこかで見たことがあるな。その白い肌。ここではない、シロディールではない場所で…スカイリム。そうだ、スノー・ウルフ隊の1人だな?傭兵、ちびのノルド…見間違えるはずもない」
「わたしも思い出しましたよ、同輩。銅鎖のオーティス。口の軽さは相変わらずですね」
「そうか、まさかおまえがな…」
 ノルドの旦那…<銅鎖のオーティス>は、恐怖と侮蔑が入り混じったような、複雑な面持ちでちびのノルドを見つめる。
「なんでまた、シロディールに。男どもの玩具(オモチャ)にされるのは飽きたのか?」
「…… …… ……!!」
 銅鎖のオーティスの言葉に、ちびのノルドは顔を紅潮させる。
 瞬間的に頭に血がのぼり、衝動的に地面を蹴ったちびのノルドは、細い道に仕掛けられた数多のトラップを意に介さず驚異的なスピードで相手との距離を詰める。
 一方、彼女を待ち構える銅鎖のオーティスは不敵な笑みを浮かべると、ちびのノルドに向かって言い放った。
「感情的なのは昔と変わらんな。それとも、情熱的と言ってほしいか?わざわざ罠だらけの場所に突っ込んでくるとは、戦士としての心構えがなっているとは言えんな!」
 そして、剣を振り下ろす。ちびのノルドはそれを軽いフットワークでかわし、銅鎖のオーティスの背後に回って腕を締め上げた。
 ギャッ、短い悲鳴を上げる銅鎖のオーティスの懐を探り、鍵を掴むと、ちびのノルドはとびきりの冷徹さを込めた声で言った。
「こういう狭い足場では、長い得物を持っていたほうが不利なんですよ。戦士としての心構えがあるなら、その程度は考えておくべきですよね?」
 そして、ちびのノルドは銅鎖のオーティスを奈落に向かって蹴り飛ばした。



「うあああぁぁぁぁぁぁっっっ……」
 あらん限りの声を振り絞って叫ばれた悲鳴が長く続いたのち、「くちゃっ」という水っぽい音が遥か下方から響く。
「フン」
 ちびのノルドは奈落の底についた小さな染みを一瞥すると、踵を返し先へと進んだ。
 まさかこんな場所で出会った無頼の口から故郷の名を聞くことになるとは思ってもみなかったが、それを懐かしむ気にはなれなかった。

  **  **  **  **

 残るハンターの最後の1人はオークだった。
「こんなちびにノルドの旦那が殺られたのか!?」
 得物はハンマー。オークにしては珍しい引き締まった肉体から繰り出される素早い攻撃に、ちびのノルドは苦戦していた。
 両者ともに決め手に欠ける攻撃の応酬が続き、やがてちびのノルドが壁際に追い込まれる。



「テメェ、終わりだぁーーーッ!!」
 オークのハンターが渾身の力を込めてハンマーを振り下ろす!
 しかし刹那、ちびのノルドは姿勢を低くすると同時にオークのハンターにカニ挟みを仕掛けた!
「のわーーーっ!?」
 グシャアッ!
 勢い余って正面に倒れこんだオークのハンターは顔面から壁に激突し、顎が砕ける!
 ずるずるとその場に崩れ落ちるオークのハンターから鍵を奪うと、ちびのノルドは砦の出口へと向かった。

  **  **  **  **

 砦から出ると、既に夕方になっていた。空は赤みが射しており、島を囲む水面が真紅に染まっている。
 ずっと砦の様子を窺っていたのか、ちびのノルドが姿を見せるとすぐにアルロンが駆け寄ってきた。
「お、おいっ!どうだった?」
「死亡2、再起不能1。成果はバッチリです」
 そう言って、指の隙間からジャラリと鍵を見せる。
 アルロンがそれをひったくるように掴むと、器用に鍵の継ぎ目を組み合わせて合体させる。間もなく完成した1つの巨大な鍵を手の平に乗せ、アルロンが言った。
「できた、これでこの島から脱出できるぜ!」
「でも脱出できたとして、クルダンがこのままあなたを放っておくとは思えませんが…」
 ちびのノルドの言葉を聞いて、アルロンが表情を曇らせる。
 そもそも、クルダンにはアルロンを生かしておく気はなかったのだ。おまけにちびのノルドはクルダンにとって大事な顧客を殺している、このままブラヴィルに戻ればどんな報復を受けるかわからない。
 率直に言って、戦士ギルドの後ろ盾もどれだけアテになるか、わかったものではない。
 そんなことを考えていると…
「心配には及ばねぇぜ」
 背後から聞こえた声に驚き2人が振り返ると、そこには赤黒く光る銀製の斧を携えたクルダンの姿があった。



「やはり、おめぇをこの島に寄越したのは失敗だったようだな…まったく、最近はどうもついてねぇぜ。大金かけて雇った殺し屋は生首のまま送られてくるし、大事な客は皆殺しにされるしな」
「ご愁傷さまです」
「なぁ。おめぇ、本当に俺の部下になる気はねぇか?なんならパートナーでもいい、悪いようにはしねぇよ」
「…冗談ですよね?」
「冗談なもんか。戦士ギルドみたいな負け馬に、おめぇのような有能な騎手を乗せておくのはまるっきりの無駄ってもんだ。それにおめぇ、どうせ正義だのなんだのには興味がねぇんだろうが、えぇ?」
 そのクルダンの一言に、ちびのノルドは衝撃を受けた。
 そもそも、スカイリムを飛び出してシロディールに来たのはなんのためだったか。自分の実力を認めてもらえる場所を探すためだ。そして確かに、ちびのノルドは善だの悪だのにはあまり頓着しない主義だった。
「俺なら、おめぇを認めてやれるぞ。おめぇが求めてるのはそういうモンだろ?口先だけで言いくるめてこき使おうだとか、金だけ出して汚れ仕事を押しつけるだとか、そういうことは一切しねぇ。なんなら、アルロンのことは見逃してやってもいい、手付け金がわりにな。どうだ?」
 淡々とそう語るクルダンの態度から、それがたんなるハッタリや誤魔化しではないことをちびのノルドは悟り、そのせいで一層に混乱した。
「おめぇのその性格は裏社会向きだ、金持ちどもを殺った手際を見りゃあわかる。シャバの流儀なんか忘れろ、そうすりゃ、おめぇはもっと幸せになれる」
 畳み掛けるように言葉の洪水を浴びせてくるクルダンに、思わずちびのノルドは頭を抱えた。
 ひょっとして、ここは提案を受けるべきなのではないか?これから仲間に引き入れる人間に不信を抱かせないよう、アルロンのことは本当に見逃すだろう。そもそもアルロンの生き死になど、クルダンのビジネスにとって大した意味を持たないのだ。
 なにより…自分の実力を認め、信頼してくれる人間と仕事ができる、というのは魅力的だった。
 もう、お人好しで内向的な性格を逆手に取られていいように利用されることもなくなるのではないか?その点に関しては、クルダンを信用してもいいような気がした。
 なにより裏社会でそれなりの地位につければ、もう自分の低身長を笑う者もいなくなるだろう。
 だが…
「あの」
「なんだ?」
「…残念ですが……」
 だが。
 もし犯罪者としての道を一歩踏み出せば、以後は<生きていることそのもの>を後悔するようになる気がして。
 だから。
「残念ですが、お断ります」

 しばらくの間、静寂が続く。
「…そうかい。はみだし者同士、仲良くやれると思ったんだがな」
 クルダンが斧を手に、身を乗り出す。
 彼がどんな意図で<はみだし者>と言ったのかをちびのノルドは考えようとしたが、すぐに頭から振り払った。
 答えを出した以上、もう迷うわけにはいかない。
「仲間にならない以上は、殺すしかねぇよなあッ!!」
 いままでの友好的な態度が嘘のように、クルダンは殺気を剥き出しにしながら猛然と襲いかかってきた。
 アルロンが腰を抜かしながら慌しく逃げていくのを尻目に、ちびのノルドは戦闘態勢を取る。
「フアッ!!」
 クルダンが振り抜いた斧の一撃をかわした直後、立て続けに蹴りがちびのノルドの胴を捉える!
「ふんっ!」
 直撃するよりわずかに早く、ちびのノルドが伸ばした両手がクルダンの蹴りを掴むことに成功する。そのままちびのノルドは身体を浮かせ、膝裏でクルダンの後頭部を挟みこむと、勢いをつけてクルダンの身体を振り回し、地面に引きずり倒した!
 ぶ厚い筋肉で形成された太腿に首を締めつけられながら、クルダンは口泡を飛ばして叫ぶ。
「ぐあっ、かっ…かはっ…!ラ、ラ=ジェヘラ!」
 そう言い終わるより先に、ちびのノルドがクルダンの手から斧をもぎ取り、はるか遠方に投げつける。



 砦外周部の2階から弓で狙いをつけていた伏兵、カジートのラ=ジェヘラは、突然目の前に飛来してきた斧を目にして思わず硬直した。
「…なっ、あ、えぇ!?」
 ザスッ!
 そのまま斧はラ=ジェヘラの頭部に突き刺さり、ちびのノルドを狙っていた矢が放たれることのないまま床に倒れる。
 伏兵を倒され、奥の手を封じられたクルダンは力なく笑うと、苦しみに呻きつつ声を絞り出した。
「ククッ、やはり…おめぇを敵に回すべきじゃあなかったな」
「いまさら過ぎますね」
「畜生、あぁ、やはりよ…おめぇ、イイ女だぜ」
 ボギャッ。
 クルダンが台詞を言い終わるか、終わらないかというとき、ちびのノルドは彼の首を折った。
 奇妙な方向に首が捻じ曲がったクルダンを拘束から開放し、ちびのノルドはため息をつく。
 イイ女、か。
 そんなふうに言われたのは、ひょっとして生まれてはじめてかもしれない。彼なら、クルダンなら自分を大切にしてくれたのかもしれない。もちろん、ビジネスパートナーとしての範疇で、だろうが。
 だがそれも、もう過ぎたことだ。
 できることなら、「イイ女」なんて台詞は、こんな状況で聞きたくない言葉だった。こんな状況で、一番聞きたくない言葉だった。それが本心だとわかったなら、なおさら。
 急に場が静かになったからか、いままで隠れていたアルロンがひょっこりと顔を出す。
「お、終わったのか…?」
 ちびのノルドは寂しそうな笑みを向けると、自分でもびっくりするほど穏やかな口調で言った。
「ボートが来るまで時間があります。それまで、適当に時間を潰していましょう」

  **  **  **  **

 アルゴニアンの船頭は嘘をついていなかった。
 ちびのノルドがグリーフ砦に降り立ってからちょうど3日後、彼はボートで島を通りかかった。それを目にしたちびのノルドとアルロンは慌てて桟橋に駆け寄り、ボートに飛び乗ったのだった。
「驚いたね。まさか本当に生きて戻るとは」
「アルロンは…死にましたよ」
「そう、ですか」
 ちびのノルドからアルロンの顛末を聞いた船頭は、しばらく空を見つめてから、つぶやいた。
「ちと、風が変わったってことですかね」
 そもそも彼がどれだけクルダンと、あるいは裏社会と繋がっているのかは、ちびのノルドには知る由もなかった。あまり深い関わりはなかったのかもしれないし、あるいは相当に事情に精通しているのかもしれない。
 だが、そのことはちびのノルドにとってはどうでもよかった。

「もうギャンブルはやめるんですよ」
「努力はするよ」
 ゴッ。
 ブラヴィルの道を歩きながら、やる気のない返事をするアルロンにちびのノルドは拳骨を喰らわせる。
 とりあえず、結果だけを考えれば今回の件は丸く収まった、ということだ。めでたし、めでたし、と。
 クルダンを殺した自分の行動は正しかったのかどうか、という判断の是非は未だに下せないでいたが、そのことについてはもう考えないようにしていた。変えることのできない過去を思い煩っても仕方がない。
 ロッシェ家の戸を叩き、ちびのノルドは扉を開ける。
 ガチャリ、扉が開く音とともに玄関を見たウルサンネ夫人は、夫のアルロンの姿がそこにあるのを見て、目を見開いた。
「あぁ、あぁ、なんてこと。もうすっかり諦めていたのに…!」
「ただいま。心配かけてすまなかった、ハニー」
 極めてばつの悪そうな態度のまま、アルロンがはにかんだ笑みを浮かべる。
 椅子に腰掛けていたウルサンネ夫人がよろよろと立ち上がり、アルロンに近づいた。そして。



 ボッギャアアァァァァッッッ!
「まったく本当に、どんだけ心配をかければ済むのよあなたはあぁぁぁぁッ!」
「ドビュッシー!!」
 熱い抱擁、ならぬ熱い鉄拳がアルロンの顎にクリーンヒットする。
 その見事な左ストレートの一撃は、とても教会で夫の無事を祈り続けていた夫人が繰り出したとは思えないほど強烈だった。
 予想外の反応に思考が停止したちびのノルドは一言、ぽつんと呟いた。
「あー、えーっと…もう、帰ってもいいんでしょーかね…」





2013/07/25 (Thu)14:49
「すごいな…これを、本当にあの少女がやったのか?」
 帝都、魔術大学の門前にて。



 ウェザーレアから持ち込まれた巨大なオーガの死骸を運びながら、青いフードを目深に被ったバトルメイジ達が口々にそう言い交わす。
 一方でリアは、魔術大学の窓口として知られている<マスター・メイジ>、ラミナス・ポラスと話をしていた。
「どうじゃね、あれは?」
「いやはや、まったく見事なものですな。我が大学では、授業でじつに多くの錬金材料を消費します。ゆえに、錬金材料の安定供給は常に我々の課題となっているのですよ…あれだけ巨大なオーガ3体分ともなれば、当分は材料困ることもありますまい。それと、<霊峰の指>の件でコロール支部から連絡が入っています。重ねて礼を申し上げますよ、ミス」
『…ゼロシー、なにをなさったのです?』
 どうやらラミナスの口から語られた<霊峰の指>のくだりに引っかかるものがあったらしく、思考支援チップ<TES-4>…通称フォースがリアに訊ねる。
 ラミナスに笑顔を向けながら、リアは口や表情を一切動かすことなく脳内でフォースに応答した。
「なに、魔導書の所在を魔術師ギルドにチクッただけじゃ。ワシとしては小娘1人敵に回すことに痛痒はないし、勝手のわからぬ世界では長いものに巻かれておくのは道理であろう?現に、そういう下地があったおかげで今回のオーガの死体を移送する件もつつがなく終了したわけであるしな」
『容赦ないですね』
「もとよりあのエルフの娘は好かんかったからな。気に入ってもない相手に義理立てするほどワシはお人好しではないぞ」
 わっはっはっはっ。
 殊勝に語るリアに、フォースは短いノイズを送ってきた(おそらく、ため息を表現したものと思われる)。
 もちろん、そんなやり取りが行なわれていることなど知りようもないラミナスは、少しの間考えるような仕草をしてから、リアに向かって慎重に話を切り出してきた。
「…じつは、いままでの貴女の活躍を評価したうえで、新たに頼みたいことがあるのですが」
「そいつは仕事の依頼と受け取って良いのかな?つまり、金銭のやり取りがあるものと期待して宜しいのかね?」
「ええ。といっても、あまり多くを期待されても困りますが」
「そいつは仕事の内容次第じゃな」
「なるほど?」
 ラミナスは少しおどけたような顔つきをしてから、微笑を浮かべた。
 その態度には若干皮肉めいたものが感じられ、それはやはり、リアの性格と外観の剥離に対する違和感が拭いきれないせいだろうということがわかる。
 がしかし、ラミナスはその点については言及しなかった。
 そんな彼の様子を観察しながら、なるほどなかなか世慣れた男だ、とリアは評価する。
「では、仕事の内容についてお話しましょう。といっても、それほど複雑なものではありませんが。貴女にはスキングラッドの領主ヤヌス・ハシルドゥア伯爵に会っていただきたい」
「ほう、領主とな。ワシのような小娘が謁見を許される相手なのか、それは」
「その点については、こちらの方で先に話を通しておきます。それで、彼に会ったら…本の返却を催促していただきたいのです」
「…本の催促?」
「魔術大学は彼に、非常に学術的価値の高い貴重な本を貸し出しているのですが、先日になって急にその本が必要になりましてね。<魔術大学から借りている本を返却してほしい>、それだけ言えば、彼にはそれが何を指しているのかわかるはずです」
「なんだか素直に受け取れんなー。暗号符丁か?」
「そう解釈していただいても結構です」
「フム」
「依頼そのものに危険はありませんが、スキングラッドは現在、治安が不安定だと聞きます。出立の際はそれなりの用心が必要でしょう」
「まだ引き受けるとは言っておらぬがの。そうじゃな」
 リアは少しだけ勿体をつけてから、おもむろに人差し指をラミナスに突きつけて言った。
「金貨500枚でどうじゃね?」
「……それは、依頼の内容に比べると少しばかり多いのでは?」
「イヤなら構わぬよ?この程度の子供の遣いであれば、他に頼める相手は幾らでもいよう」
「ウーム…」
「ま、ワシもあまり聞き分けのないことを言う気はない。全額後払いで金貨500、それで折り合いがつかぬようであればこの話はナシじゃ。ぬしらが目をかけている生徒にでも頼むがいい」
「…わかりました。全額後払いで金貨500枚、その条件で手を打ちましょう」
 さっきまでの和やかな態度とはうって変わった固い表情で、ラミナスはそう返答した。
 その口吻にはいささかの不快感を示すサインが現れていたが、なによりリアの気を引いたのは、「全額後払い」の条件が決定的な後押しになった点だった。それは、まるで…

  **  **  **  **

『なぜあのように無茶を言ったのです、ゼロシー?』
「うん?」
 スキングラッドへと向かう道中。



 先ほどのラミナスとのやり取りについて、フォースがリアに苦言を呈する。
『この世界の貨幣価値については、あなたも既に学んでいるはずです。最初から断るつもりならともかく、あのような物言いはあまり関心できませんね』
「そうは言うがの。ワシは嘘吐きは好かぬ」
『…嘘吐き、とは?』
「あやつ、さりげなく依頼の危険性に言及しよったじゃろ。治安が不安定だと、おそらくあれが本音の一端よ。真実かどうかはともかく、この仕事には危険がつきまとう。でなければ、わざわざ無頼を雇うものかね」
『斜視に過ぎるのでは?』
「それじゃあ、なにゆえ報酬の後払いが判断材料になったのか?1つ、前払いでは持ち逃げされる可能性がある。2つ、ワシに途中で死なれては払い損になる。3つ、依頼を完遂すれば金貨500枚を払う価値はある。以上、この依頼は死のリスクを伴う困難なものだ、という推測が成り立つわけじゃ」
『なるほど』
「そう考えれば、身内に仕事を任せない理由もわかろうというものよ。というより、既に何人か死んでおるかもしれんしの。そのことを正直に言えば、もっと格安で請け負ってやろうという気も起きたのだがな」
『それは、彼の立場上できないでしょう。仕方のないことだったのではないですか』
「慎重なのは結構だが、乙女心を理解できんやつには灸を据えてやらんとな」
『乙女心、ですか』
「応よ」
 そう言って、リアは微笑んだ。もっとも、彼女の言う「乙女心」とやらはフォースには理解できない感覚だったが。

  **  **  **  **

 スキングラッドに到着したリアは、いの一番にハシルドゥア伯爵が待っているであろう城へと向かった。
 領主会館へと足を運ぶ間、いささか釈然としない面持ちでリアがつぶやく。
「どうにもパッとせんなぁ。道中で殺し屋に出くわすでもなし、街の様子もそれほど不穏なものではないしの」
『先日、グラルシルという考古学者が殺人未遂と犯罪謀議で逮捕されていますね。しかし、他にこれといった事件も起きていないようです』
 リアの聴覚センサーが捉えた音声(街の住民が交わす雑談など)を解析しながら、フォースも頷いた。
 これで万事順調に事が進んだら笑い話もいいところだな…などとリアは思ったが、もちろん、そこまで順調に展開が運ぶことはなかった。



 領主会館でリアを迎えたのは、マケイター・ホシドゥスという男だった。ハシルドゥア伯爵の執事を名乗る彼は、開口一番、横柄な態度を隠そうともせずに言った。
「…失礼ですが、迷子探しは衛兵の仕事だと思っていましたがね」
「ワシが探しておるのは親ではない。スキングラッド領主ヤヌス・ハシルドゥア伯爵に用がある、ワシは魔術大学の遣いじゃ」
「どうやら魔術大学にもようやくユーモアのセンスが備わってきたようだ。いささか発達途上で、そのうえ不快ではありますがね。伯爵はこのところ体調が優れない、よって君のような不審人物に会わせるわけにはいかない。おわかりかな?」
「魔術大学から通達は来ていないのか?」
「さあ、そのようなものは。なにより、そんなものがあったとして、君が魔術大学の遣いであると、どうやってそれを証明するのかね?」
「あいたた」
 マケイターの言葉に、リアは思わず自身のこめかみを叩いた。
 なぜこんな単純なことを失念していたのかわからないが、リアは自らの身分を証明できるようなものを何も所持していなかった。なるほどマケイターの台詞がただの意地悪であったとしても、リアには言い返すことができない。
「仕様がないのー。今日のところはこれでお暇するとしようかの」
「それはどうも。次に来たら衛兵につまみ出させるからそのつもりで。領主会館は子供の遊び場ではない」
 ほとんど罵声に近いマケイターの声を背に浴びながら、リアは領主会館を後にした。

  **  **  **  **

『どうするつもりです、ゼロシー?』
「そうじゃな、一両日中は様子見じゃな。それでも反応がない場合は、まぁ、強硬手段を取ることもあろうが。いきなりソレをやるには判断材料が不足しておるのう、これ」
『強硬手段、ですか』
「もとよりワシは戦闘用に造られた存在じゃからな。衛兵どもをはっ倒して伯爵とツラを突き合わすくらい、わけないわい」



 城塞に架けられた石橋を渡る道すがら、スキングラッドの街を一望しつつリアはフォースに言った。
 それに対し、フォースは承服しかねるといった態度で反論する。
『あまり薦められませんね。物理戦闘のみならまだしも、この世界は魔法が非常に発達しています。普及も…我々の世界における、ヘルゲート騒乱以前の規模で普及している点も危惧すべきですね。なにより、この世界の魔術体系が判明していない以上、迂闊な行動は避けるべきかと』
「たしかに、ワシは魔法が苦手じゃからな。だからこそ判断に時間をかけようと言っておる」
 そのためには情報収集が不可欠だが、まずは行動の拠点を確保する必要がある。
 しばらく街をうろついたあと、リアは宿を見つけた。
「…ふたな……」
『ふたり姉妹の旅館、とありますね』
「お、おう」
 ボケようとしたところをフォースに牽制され、リアは少々たじろぐ。
 とりあえず部屋を借り、階上の寝室に入ったところで、リアは荷物を置いた。ドレスを脱ぎ、動きやすい格好に着替える。



 この服はスキングラッドに来る前、帝都の洋服店ディバイン・エレガンスで購入したものだ。店主のパロリーニャとは面識があったため、格安で体格に合う服装を仕立ててもらえたのは幸運だった。
「フム…やはり、こういう格好のほうがしっくりくるな」
『でも、ドレス姿のほうが相手の油断を誘うのに便利ですよね。交渉の際にも、ああいった服装のほうが相手に好印象を与えますし。なにより、あのドレスは武器の隠匿性に優れます」
「かのー」
 合理的な物言いをするフォースにリアは多少の不満を覚えながらも、それはそれで仕方のないことだと思い直し、ベッドの上で横になった。
 人工知能に感情はない。あるのは合理的な判断と、見せかけの善意(あるいは、悪意)だけだ。
「情報収集の前に、少し休む」
『了解しました。メンテナンス・プログラムを開始します…良い夢を、ゼロシー』
 夢、か。
 思考をシャットダウンさせる直前、リアは自分がいままで夢を見たことがない点に気がついた。
 おそらく、フォースの言葉に他意はあるまい。人間がプログラムした人間的な言葉をそのまま再生しただけ、に過ぎない。
 それでも…と、リアは考えざるを得なかった。
 自分と人間とは、自分が持つ感情と人間が持つ感情に、いったいどれほどの差があるのか?そして、そのことにどんな意味が…いや…そのことに意味があるのかどうか、を。

  **  **  **  **

『バッテリーの充電完了、身体機能に大きな障害は認められません。おはようございます、ゼロシー』
「おう。快眠にして良い目覚め、といったところかの」
 フォースがメンテナンス・プログラムを実行してからちょうど2時間59分後に、リアは思考を復帰させた。
 ラフな格好からドレスに着替え、スキングラッドの街を散策する。間もなく陽が傾こうとしていた。
 道行く人々やあちこちの店で聞き込みをし、「ハシルドゥア伯爵は普段から人付き合いが良くないため、滅多に人前に出ることはない」、「しかし優れた政治的手腕から民衆の支持は高い」、「かなり高位の魔術師であり肉体を衰えさせることなく長生きしている」といった情報を記憶していく。
 ただしハシルドゥア伯爵は、高位の魔術師であるといっても魔術師ギルドや魔術大学とはほとんど接点がないようだった。
 ハシルドゥア伯爵に関して得られた情報はこの程度のもので、街の治安や情勢不安に関しては皆が「?」と鳩鉄砲な顔をして「そんな噂は聞かない」と答える始末だ。
『街の人たちは嘘を言ってませんね。有益な情報は何一つ持ち合わせていないようです』
「1人くらいマグレ当たりがあっても良さそうなもんじゃったがなー。これはどうも、ワシの心配は杞憂、か…あるいは、水面下で物事が動いているか、じゃな」
 ひとまず調査に区切りをつけ、石造の前で情報を整理しようとしたとき、リアに話しかけてくる影があった。



「失礼、ミス・リア?魔術大学から来たという」
「そうだが、おぬしは?」
「マケイター氏から伝言を預かっています」
「マケイター?ああ、あの鼻持ちならん小男か」
 伝言を賜ってきたという男…スキングラッドの若い衛兵は、リアの言葉に目を丸めると、微笑を浮かべた。
「彼の失礼な態度を許してやってください。ずっと城の中に籠っていると、どうしても性格が陰湿になりがちなんです。あ、今の言葉、他言無用でお願いしますよ」
「安心せい、愉快な若者の首を飛ばすような趣味は持っておらぬゆえ」
「お気遣いどうも」
「で、伝言とは?」
「ああ、そうでした。ハシルドゥア伯爵は今夜、スキングラッドを出て街道を西に進んだ場所にある鉱山のふもとで、あなたにお会いになるそうです」
「随分とややっこしいことをするのう。野外?領主館ではなく?」
「なんでも、特別な事情があるとかで…それと、魔術大学からの通達をマケイター氏が発見したそうです。先刻の非礼を許してほしいと、言づてを頼まれました」
「結構なことじゃ。ところで…マケイターからの伝言と言うたな?ハシルドゥア伯爵本人からではなく?」
「ええ。なにか問題でも?」
「…いや。特に?」
「はぁ……」
 リアが含みのある言い方をしたからか、どこか釈然としない思いを抱えたまま衛兵は城へと戻っていった。
 その後姿を見届けながら、リアはつぶやく。
「あやつは何も知らんな。本当にただ伝言を頼まれただけじゃ」
『しかし、いきなりの手の平返しですよね。領主がわざわざ夜中に屋外で会いたがる、というのも妙な話です。罠なのでは?』
「罠であろうな。しかしここは一つ、事態を把握するためにも乗ってやろうではないか、のう?」
『危険ですよ』
「目先の危機回避だけがリスクコントロールではあるまい」
 フォースの忠告を遮り、リアは言った。
 最終的な意思決定権はリアにある。フォースのそれを承知しているのか、ため息に似たノイズ音を漏らすと、渋々ながら賛同の意を示す。
『わかりました。それでは、私はあなたに危害が加わらないよう全力でサポートいたします』
「頼りにしておるぞ」
『期待に沿えるよう頑張ります』

  **  **  **  **

 その日の夜はいたって穏やかだった。
 これから罠の渦中に飛び込むところかもしれないのだから、神様が(もしそんなものが存在するのなら、という言葉は必要なかった。シロディールでは神は身近な存在だからだ)少しばかりドラマの演出をするように雨を降らせる程度の機転をきかせても良さそうなものだったが、しかし実際は野犬の遠吠え一つない静かで平和だった。
 そのせいで、リアはひょっとしたら自分の推測がたんなる思い過ごしではないかと考えそうになってしまった。
 馬鹿馬鹿しい、天候が事象を左右することなど有り得ない。
『来ましたね』
「おう」



 リアの思考を中断するかのように、彼女の視界に3人の人影が映った。
 暗視装置の出力を強化し、ARにズーム映像をウィンドウ表示する。視界の端で拡大された映像は、たしかに昼間出会ったマケイターの姿を捉えていた。そして、その傍らに控える2人の人物は…
「なあ、これが領主の姿に見えるかね?」
『…いえ。私には計りかねます』
 マケイターの両脇には、漆黒のローブを着た男達が佇んでいた。フードを目深にかぶっているせいで表情を窺うことはできず、ローブに刺繍された髑髏の紋章が気味の悪さを引き立たせている。
 やがてリアの目の前まで来たマケイターは、昼間の渋面とはうって変わった愛想笑いを浮かべて言った。
「いやはや、先刻はとんだご無礼を。あれからすぐに、魔術師ギルドのほうから連絡がありましてな。大変に申し訳ない」
「そうかね」
 おそらく無理をしているのだろう、引きつった笑みを浮かべながら話しかけてくるマケイターを、リアはすげなくあしらった。
 表情筋の動き、視線の挙動、心拍数、音声の測定。センサーで捉えたマケイターの動きは、あらゆる面から彼が「嘘つき野郎」であることを証明しており、なんという茶番だ、などとリアは思いながら、早速本題を切り出した。
「ところで、ハシルドゥア伯爵は何処に?後ろに控えておる2人のどちらかがそうなのか?」
「…伯爵は来ませんよ」
 ニヤリ、マケイターが不適な笑みを浮かべる。
「魔術大学の狗が、こうも易々と罠に引っかかるとは。お笑い種ですな」
「あー、やはりか」
「…… …… ……?」
「や、罠だということはわかっておったのだがな。なにせ理由がわからぬし、逃げたところで依頼を達成したことにはならんからのー」
「君は、魔術大学の人間ではないのですか?」
「違うわい。あえて言うなら、ま、傭兵といったところかの」
「…まあ、いいでしょう」
 腰にぶら下げていたショートソードを抜き放ち、マケイターが言葉を続ける。
「かつて魔術大学に滅ぼされた同胞の仇を取るつもりでいましたが、仕方がありませんね。取るに足らぬ小娘の命などに価値はありませんが、今日のところはそれで我慢するとしましょうか」
「ほう。言いよるわ」
『いますぐ最速のスピードで攻撃すれば、確実に彼を殺害できますが』
「いや、奴は生け捕って尋問したい。事態を正確に把握したいからな」
 リアが武器を構えたのとほぼ同時に、マケイターが従えていた男…死霊術師達が、同時に呪文を唱えた。赤黒い閃光とともに、肉体が激しく腐敗・損傷したゾンビが次々と出現する。
 あっという間に大軍に囲まれたリアは、ひとまずその場から離れた。
 街道に出てから、後を追ってくるマケイター達の姿を確認する。



 見た目よりもかなり動きの素早いゾンビを斬りつけながら、リアは3人の動向を窺う。
 死霊術師達が間断なくゾンビの召喚を続けるなかで、マケイターが氷系の破壊呪文で逐次リアの動きを牽制してくる。
 ゾンビを盾に使いながら素早く立ち回るリアが、一言漏らした。
「なぁ。これ、際限ないのではないか?」
『そうですね。このままではゾンビが増える一方です、術者を無力化すべきでは』
「生かしておくのはマケイター1人で充分か。残る2人には地獄を見てもらうとするかの」
 とはいえ、マケイターの操る呪文が脅威であるからこそ、迂闊には近づけないのだが…
 とりあえずゾンビは無視し、スピードを活かして一気にケリをつけるしかない。
 そう思い、リアが足を一歩踏み出した、そのとき。
『待ってくださいゼロシー、敵後方より高速で接近中の物体を確認』
「なに?」
 ザシュッ、ゴッ、バタッ。
 凄まじい炸裂音とともに死霊術師達が倒れ、マケイターの顔に動揺の色が浮かぶ。
 そして……



 キ…ン、ズバシャアッ!
 閃光とともにマケイターの胴体が両断され、おびただしい量の血が迸った。
「ガハッ、なっ、ば、馬鹿な…!?は、伯爵……!」
 断末魔の声を上げながら、マケイターの上半身が石畳の上をゴロゴロと転がっていく。
 突然の出来事に、構えを崩さぬまま警戒するリア。
 不意の闖入者は手にべっとりとついた血を払い落とすと、努めて平静を装った表情に僅かな怒りを覗かせ、口を開いた。
「まったく…わざわざ敵の罠に飛び込んでいくとは、市井の人間には基本的な生存本能すら備わってないと見えるな。まったく度し難い」
 そう言って眉間に皺を寄せる初老の紳士に敵意がないことがわかると、リアも武器を納める。
 彼が着ている、金糸と銀糸がふんだんに織り込まれた絹のローブは紫色に染められており、これだけ華美な服装がまったく嫌味に写らない人物というのも珍しいな、とリアは思った。
『リア。さきほど、マケイターが死に際に彼を<伯爵>と呼称しました。これは、つまり…』
「で、あろうな」
「おい小娘」
 フォースと短いやり取りをしたのち、初老の紳士…スキングラッド領主ヤヌス・ハシルドゥア伯爵は、不機嫌を隠そうともしない態度で横柄に言い放った。
「貴様だな、魔術大学が寄越した連絡役というのは。それにしても、こんな無謀な…ん?」
 途中まで言いかけたところで、ハシルドゥア伯爵は改めてリアを凝視する。
 彼はしばらくリアを見つめたまま、深く呼吸をしたのち、急に警戒を強めだした。普通に接しているぶんには気づかない程度の態度の変化だったが、リアの目には、ハシルドゥア伯爵がゆっくりと姿勢を落とし、即座に攻撃モーションに移れるよう体重のバランスを変化させたことがはっきりと観察できた。
 先刻よりもさらに不機嫌な態度で、ハシルドゥア伯爵は口を開く。
「…娘。貴様、何者だ?」
「魔術大学からの遣いだと、さっきおぬしが言った通りだがな?」
「とぼけるな。貴様、人間ではない…というより、生物ですらあるまい?」
「そういうおぬしも、普通の人間とはちと性質が異なるようじゃな」
 そう言って、リアは口の中から一本の髪の毛を取り出した。
「おぬしがマケイターを始末したとき、宙を舞った毛髪を採取させてもらったぞ。興味深い鑑定結果が出おってな、DNAの構造が人間のものと多少異なっておるようじゃ。ま、そんな回りくどいことをせずとも、おぬしの外見的特徴からだけでもハッキリわかる程度には人間離れしておるがの」
「わけのわからぬことを」
「おぬしによく似た連中を以前見たことがあるぞ。あれは…500年ほど前の話じゃったかな。鉤十字をつけた軍人連中に混じっておってな、連中は自らを<吸血鬼>と呼んでおったが」
「もういい、わかった。それで、貴様は敵か、味方か?それだけはハッキリさせておこうじゃないか」
「さっきも言ったように、立場の話であればワシは魔術大学の遣い、それ以外の何者でもないぞ」
「…クソ、表情が読めんな」
 そう呟くと、ハシルドゥア伯爵は深く嘆息した。
「血の匂いがしない。感情の動きも読み取れない。生物ですらない…貴様はなんだ?魔術大学の連中が生み出した、悪趣味な機械人形か?」
「ワシはこの世界の住民ではないぞ。といっても、誰もワシの言葉を信じようとはせぬがな」
「だろうな。もっとも、少しでも鼻の良いヤツがいれば…貴様から、この世界の土の匂いがしないことくらい、すぐに気づいただろうにな…それで、異界からの客人よ、なぜ魔術大学に加担する?」
「ん~、成り行きじゃなぁ。他にすることもなかったしのー、たいした理由はあらぬよ?」
 そう言って、リアは頭を掻いた。
 一方でハシルドゥア伯爵はいちおうリアの言葉に納得したのか、警戒を解いて拳に込めていた力を抜いた。かぶりを振り、所在無さげに空を見つめたあと、ふたたびリアに向き直る。
「いまさらだが、別の場所で話さないか。私が、そう、世間で言う吸血鬼というやつであったにせよ、死体の傍で話をするのは気分の良いものじゃあない」
「それを断る理由はないの。ところでこの死体、どうするつもりじゃ?」
「あとで衛兵に片付けさせておくさ。衛生上の問題があるからな」
 リアの質問に、ハシルドゥア伯爵はあっさりとそう言い切った。
 そこには死者に対する憐憫や、気遣いなどといったものは欠片も感じられなかった。

  **  **  **  **



「このところ、死霊術師…死者の魂や肉体を操る魔術師が暗躍している、という話を知っているか?」
「いや。何も知らんな」
「異界からの客人よ、貴様は本当に何も知らされていないのだな。死霊術はかつて合法だったが、現アークメイジのハンニバル・トラーヴェンが魔術大学の長に就いてから、異端にして非道な魔術として禁じられ、死霊術を学んでいた魔術師たちは徹底排撃された経緯がある」
「それは政治的な理由からかね?それとも、感情的な理由かね?」
「多分に感情的なものだろう、死霊術を合法と定める国は今でも珍しくない。そして一方的に異端排撃の的となった死霊術師達はシロディール各地に散らばり、地下に潜って活動を続けたようだ」
「魔術大学への恨みを募らせながら、か」
「そうだな。しかし、いままで死霊術師達は単独か、あるいは小規模のグループで活動することがほとんどで、何かしらの問題を起こしたにせよ、その対処はそれほど難しいものではなかった」
「話が見えてきたな。今になって、死霊術師達は徒党を組み始めたわけじゃ…魔術大学に復讐するためにか?」
「そんなところだ」
 そこで、しばらく間が空いた。
 リアはハシルドゥア伯爵の次の言葉を待ったが、一方でハシルドゥア伯爵も自分の次の言葉を待っているのではないかと思い、結局、自分のほうから口を開いた。
「ところで、ワシは何故おぬしの元に遣わされたのかね?」
「私の城内に死霊術師の内通者がいる、という話は以前から聞いていた。どうやって魔術大学の人間の耳にその噂が届いたのかは知らんが、私が対処するよりも早く自分達で調査をしたかったのだろう。せっかちなことだ」
「その口ぶりからすると、おぬしはわざとマケイターを泳がせておいたのじゃな?」
「ああ。ひょっとすると、あの馬鹿は重要な連絡のために、死霊術師どもの拠点に帰ることもあるかもしれんと思ったからな。監視されていることも知らずに…そのためわざと貴重な情報を流してやったりもしたのだが、結局、その目論見は失敗したわけだが」
「打率は高いがホームランは出ないタイプのようじゃな、トラーヴェンとやらは。おぬしは逆のようじゃが」
「まったくだ、おかげで死霊術師どもを一網打尽にする計画が水泡に帰したよ。トラーヴェンはあろうことか、私が死霊術師と手を組んでいるのではないかとすら疑っているようだ。ヤツは私の正体を知っているからな…馬鹿馬鹿しい」
 そう言って、ハシルドゥア伯爵は忌々しげに鼻を鳴らした。
「いいか、魔術大学に戻ったらこう伝えろ。私が死霊術師どもと手を組むようなことは金輪際有り得んと。それと、無知なる者を死地に赴かせるような恥知らずな真似は慎め、とな」
「…おぬし」
 冷静を装っていはいるが、内心では相当に憤慨しているのであろうハシルドゥア伯爵の顔を覗きこみ、リアがいたずらっぽい笑みを浮かべて言う。
「なんだかんだ言って、世話焼きじゃのう?」
「やかましい」
 話はそこで終わった。
 ハシルドゥア伯爵が話好きか、あるいはそうでないかはともかく、彼はこれ以上リアと話をする気はないようだった。あるいは、自らの素性を詮索されることを恐れたのかもしれない。
 別れ際、リアが一言だけハシルドゥア伯爵に質問する。
「ところで…<魔術大学から借りている本を返却してほしい>、とはどういう意味じゃ?」
「忘れろ。身内向けのジョークのようなものだ」
 リアに背を向けて歩いていたハシルドゥア伯爵は一瞬立ち止まったが、振り向きもせずにそう言うと、ふたたびその場から立ち去った。
 吸血鬼の領主の背中を見つめながら、リアは笑みを浮かべる。
「どうも、面白いことになってきたようじゃな」





2013/07/23 (Tue)11:37

 強烈な鉄錆の臭いで目を醒ます。
 どろりとした液体が目蓋にかかり、思うように目を開けることができない。頭がぼぅーっとする。
 強烈な不快感と、苦痛。急激な寒気が襲ってきたとき、ミレニアは自分が拘束されていることに気がついた。
 ジャラリ、鎖が揺れる音とともに、ミレニアは自らの身体を見下ろして絶句する。
 視界に入ったのは、全身が血にまみれた自分の姿。左脚が切断され、臓腑がこぼれ、そういえば右目も見えない…ない…存在しない…虚ろに空いた眼窩の奥で、ひしゃげた頭骨に押し潰された脳が悲鳴を上げた。



 やがて…耳障りな金属音とともに、視界が一気に開ける。
 闇しかないと思っていた空間に光が射し、黒い影がミレニアの目の前に立ち塞がった。
「死ねない感想はどうだい?お嬢ちゃん」
 男の声がする。その声はミレニアにとって親しい人間のものにそっくりで、それが余計に嫌悪の念を掻き立てさせる。
「お前さんは、他のどの世界にも代わりがいないからなぁ…大事に扱わないとな」
 カツ、カツ、カツ…男は石畳の上で無意味にうろつきながら、口の端を歪にゆがめて話し続ける。
「俺様に…会いたかったんだって?良かったなぁ?願いが叶ったな?感動の再会だ、これぞ愛の力が成せる技ってやつだ」
 ミレニアにわかっているのは、自分をこんな目に遭わせたのは、目の前にいるこの男だということだけだ。ここはどこなのか、なぜ自分がこんな目に遭ったのか…それらは、瑣末な問題に過ぎなかった。



 ぶらぶらと歩き回っていた男が急に腰を落とし、ミレニアに顔を近づける。吐息が鼻にかかるほど顔を近づけながら、男は恍惚や憐憫、苛立ちといった表情が入り混じった複雑な顔つきをして言った。
「なぁ、お嬢ちゃん…俺様がお前さんにかけたのは、簡単な暗示だ。死にたくなければ死なない、てぇなもんでな。お前さんがその気になれば、すぐに死ねるんだぜ?実際、生きてるほうが辛い状況だしなァ…だってのに、お前さん、なんでまだ生きてんだ?」
 その質問は、質問ではなかった。壁に向かって喋っているようなものだった。
 ミレニアは指先一本動かすことができず、微かな呻き声すら上げられないまま、それでも男の目を真っ直ぐに見つめ、そして心の中で強く、念じた。

 コイツダケハ、ゼッタイニ、コロス。

  **  **  **  **

「どうかしました、お客さん?」
「え、やっ、いや、なんでもないですよ!?その、えー、夢見が悪くて。スイマセン…」
 自分の悲鳴で目が醒めた。
 おそらく隣室に泊まっていた客から通報があったのだろう、扉越しに安否を気遣う宿の主人に適当な返事をしてから、ミレニアは重く沈んだ面持ちで自分の身体を抱き締める。



「…朝から鬱だわー…まじ勘弁だわー……」
 いままでに幾度となく見たことがある、悪夢。
 いや、そもそもあれは夢なんかじゃなくて……
「ハァ」
 ミレニアはため息をつくと、いそいそと着替えをはじめた。

  **  **  **  **

「クマー!?」
 階段を下りて食堂へ向かおうとした矢先、ミレニアは帽子やらリュックやらでお洒落をした、小さな熊のような生物を目にして驚きの声を上げた。



 それも1匹ではない、2匹、3匹…しかも皆、人語でコミュニケーションを取っている。
『ところで、最近の景気はどうだね、おまえ?』
『世情が不安定だからか、人気がありますね、武具は。ちょっと供給が追いつかないです…逆に、服飾品があまり売れないです、これ。仕入れのバランスが難しいですね』
「いったい何の話をしてるんだろ…?」
 ミレニアが疑問を口にしたとき、近くを通りかかったオークの女性がそれとなく情報を耳打ちしてくれた。
「あー、あれね。ここいらで武具や雑貨を取り扱ってる商人よ、いつから居ついたのかは知らないけど…気がついたら街に馴染んでたわね。なんで熊が喋ってるのかって?知らないわよ、そんなの」
 コーボロ川の上にお店を構えてるから、興味があるなら立ち寄ってみれば…そう言って、オークの女性はミレニアの横を通り過ぎていった。
「小熊の商人……」
 ミレニアは小さくつぶやいてから、改めてモーニングティーを嗜む熊の商人たちを眺めた。身体こそ小さいが、その所作に子供らしいところは微塵も見られない。
 着ぐるみか何かじゃあないのだろうか?
 そんなことを思いつき、ミレニアは「はて?」と小首を傾げた。

  **  **  **  **

 シェイディンハルの西門を潜ってすぐの位置にあるニューランズ旅館は、地元民向けの安価な宿として有名だ。喧騒が絶えず、ガラの悪い人物が出入りすることも多いため、ふつう観光客は向かいのシェイディンハル橋の宿を利用するのだが、宿泊費が4倍ほど違うのと、ミレニアはどちらかというと庶民的な場所のほうがくつろげるので、こちらで宿を取ったのだ。
 そもそも、なぜミレニアがシェイディンハルに来たのか?というと、これまた魔術大学の要請で派遣された次第である。
 シェイディンハルに居を構える著名な画家ライス・リサンダスが数日前に行方不明になり、それがどうも密室状態にあるアトリエから忽然と姿を消したらしい、魔法を使った犯罪に巻き込まれた可能性もある、というので、魔術大学の調査員として来たわけだ。
「本当は現地の魔術師ギルドに調査を要請しても良いのだが、どうも、あそこの支部はそういった活動に消極的でね…申し訳ないが、頼むよ」
 やや、ばつが悪そうに言ったラミナスの表情を思い出し、ミレニアはため息をついた。
「ここの支部長っていえば、ファルカール…だっけかなぁ。そーいえば、あたしが魔術大学の推薦状を書いてもらいに行ったときも、随分と意地の悪いことをされたっけ」
 魔術師ギルド・シェイディンハル支部長ファルカールの陰湿さは、内外でつとに有名だ。
 魔術大学の会員になるためには、シロディール各都市に存在する魔術師ギルドの支部長から推薦状を書いてもらわなければならないのだが、ことファルカールは推薦状を書く手間を省くために「条件」と称して無理難題を押しつけ、そうやって新人を追い返す、というので悪評高い人物である。
 それでも多様な魔術系統に関する造詣が深く、これまでギルドや大学に対してかなり貢献をしてきた人物なので、誰も表立って文句を言うことができない…というのが実情だった。
「この件に関しても、下手に『帝都から派遣されてきた』なんて言ったら、どんな横槍入れられるかわからないしなー。内密に、ちゃちゃっと済ませちまいましょーかね」
 そんなことをつぶやきつつ、ミレニアは画家ライス・リサンダスの家の戸を叩いた。

  **  **  **  **

 ミレニアを出迎えたのは、夫人のティベラ・リサンダスだった。



「魔術大学の方?」
「ええ。調査のために派遣されてきました、ミレニア・マクドゥーガルと言います」
「マクドゥーガル?そういえば、冒険小説家でマクドゥーガルさんという方がいらっしゃったような」
「クレイド・マクドゥーガルでしたら、あたしの父ですよ」
「あら、まぁ!たしか彼は…」
 そこまで言ってから、ティベラ夫人は一瞬だけ好奇に輝かせた目を伏せた。
 クレイド・マクドゥーガルは、シロディールで冒険小説「勇者屋シリーズ」を執筆していた作家だ。内容はいささか荒唐無稽ではあるものの、スリリングで破天荒な展開と、読みやすく軽い文体は大衆受けし、シロディールでは珍しい長期シリーズとして愛読されてきた。
 しかしシリーズは作家とその妻が惨殺されるという事件によって未完のまま幕を閉じてしまう。マクドゥーガル夫妻の死と同時に一人娘も行方不明になっていたが、半年後、意識不明の重態で発見されたという。
 それが、16年前の出来事だった。
「えっと…ともかく、旦那さんが行方不明になる前後の話を聞いておきたいんですけど」
 話題を変えよう、という口調で、ミレニアが質問した。「気にしなくてもいい」とか、「こういう話にはなれてる」といったような言葉は、あえて口にしなかったが。
 コホン、ティベラ夫人も場の雰囲気を仕切りなおすようにわざとらしく咳払いをしてから、話をはじめた。
「行方不明になる前日、夫はアトリエに籠もって絵を描いていたんです。扉に鍵をかけて…そうしないと、落ち着いて創作に励むことができないそうなのですわ。その日の晩、夕餉の支度が整ったときに夫に声をかけたのですけれど、夫は返事をしませんでした」
「その時点では、まだ異変が起きたとは…?」
「思っておりませんでしたわ。創作に没頭しているとき、夫には周りの声が聞こえなくなることがよくありましたから。それでも、翌日の夕餉の際に声をかけたときにも何の反応もなかったときは、さすがに不審に思い、合鍵を使ってアトリエに入ったのです。そうしたら…」
 ライスは忽然と姿を消し、アトリエには描きかけの絵だけが残されていた…ということらしい。それが1週間前の出来事だそうだ。
 もしも、事件からさほどに時間が経過していないのであれば、夫人が気づかないうちにアトリエを出て外出しているだけ、という可能性も考えられたのだが。
「考えられる可能性は2つ、ですかねー。1つは、密室状態にあるアトリエから忽然と姿を消した。2つ目は、外出中に何らかのトラブルに巻き込まれたか。旦那様はアトリエにいないとき、アトリエに鍵をかける習慣はありましたか?その、誰の目にも触れさせたくないとか、そういった意味で」
「…ええ。誰かが勝手に入らないように、夫は常にアトリエに施錠していました」
 ティベラ夫人は、少々きまりが悪そうに言った。
 密室での事件、魔法が関与している可能性、という言葉が先行していたのかもしれないが、ひょっとしたらそれは夫人の早とちりかもしれないな、とミレニアは思った。魔法による犯罪、という発想はダンマー(ダークエルフ)ならではの想像力の産物かもしれない。
「それで、衛兵に通報は」
「していません」
「……え?」
 きっぱりとそう言い切ったティベラ夫人の顔を、ミレニアはまじまじと見つめる。
 ふつう、こういうときってまず治安維持組織に通報するものではなかったか…ミレニアが眉間に皺を寄せると、ティベラ夫人は慌てて取り繕うように口を開いた。
「あの、違うんです。いま、その…シェイディンハルの衛兵の間で汚職が横行しているんです。とても信用できなくて……」
 なにも、最初から衛兵の出る幕はない(本当に魔法を使った犯罪であれば、確かにそうだ)と勇み足を踏んだわけではない、とティベラ夫人は言った。衛兵に通報せず魔術大学に調査を要請したのは、あくまで良識ある一般市民としての行動の範疇だと。
 その言葉の内には、多分に「高名な画家の伴侶であることを鼻にかけ、平然と非常識な行動を取る世間知らずだと思われることは心外だ」という含蓄があるのだろうとミレニアは察した。とはいえ、ミレニア自身はあくまでトラブルの解決に来たのであって、依頼主の人格(たとえ、それがどんなものであれ)にはほとんど関心はなかったのだが。
 ただ、それとは別に衛兵の汚職は気がかりだった。公務員の汚職それ自体は珍しくもないが、市民が通報を躊躇うほどに状況が悪化することはまずない。
 この点については、いずれ盗賊ギルドのアルマンドに質問してみなければならないだろう…そんなことを考えながら、ミレニアはティベラ夫人から予備の鍵を借りてアトリエに踏み込んだ。
 おそらくは日光による影響を考慮してのことだろうが、アトリエには窓がなかった。外界と繋がる経路に成り得るものはなく、居間へと繋がっている扉を除いて出入りは不可能か…と、ミレニアは盗賊の観察眼で周囲を調べる。
「これ、やっぱり外でトラブルに遭ったセンが濃厚かな~」
 頭を掻きつつ、ミレニアはライスが途中まで描いていたものと思われる未完成の絵画に目をやった。
 それは、無意識での行動だったが…絵の具の乾燥具合を調べようとキャンバスに指先を触れたとき、ミレニアは驚くべき光景を目の当たりにした。



「え?な、ちょっと、なにコレ!?」
 指先が…キャンバスを貫通した!?
 いや違う、キャンバスの中に入っていく!?
 ズ、ズ、ズ…発光をはじめるキャンバスに、ミレニアの身体が序々に飲み込まれていく。
 やがてミレニアの身体は完全にキャンバスの中へと消え去り、アトリエから人影がなくなった。

  **  **  **  **

「くっさ!」
 ほんの少しの間気を失っていたような気がするが、ミレニアは強烈な溶剤の刺激臭で目を醒ました。



「これは…」
 目の前に広がる光景は、まさしくキャンバスに描かれた風景画そのもの。筆のタッチに至るまで忠実に再現されており、つまりはここが「絵の中の世界」であることを意味している。いささか非現実的ではあったが。
 にしても、油絵の中の世界だからって、なにも絵の具を溶くための溶剤の匂いがしていなくても、良さそうなものじゃないか…そんなことを考えたとき、ミレニアに向かってくる人影があった。
「君は…あの筆が生み出したものではないな。まさか、外の世界から来たのかね?」
「あなたは?」
「ああ、申し遅れた。私の名はライス・リサンダス、しがない絵描きだよ」
 見つけた。
 まさか失踪先が描きかけの絵の中だとは思わなかったが、しかしシロディールでも指折りの画家が自らを「しがない絵描き」と称するとは、ダンマーにしては謙虚だな…などと、ミレニアはどうでもいいことを考えた。
「あの、あたしミレニアっていいます。魔術大学から派遣された調査員で、あなたの奥様からの要請を受けて、あなたを探しに来たんです」
「そうか、なんというか…申し訳ない。こんなことを言いたくはないが、事態はかなり悪化している」
「あの、事情を話して頂けますよね?」
「勿論だ。と、言いたいところだが…その前に、頼みたいことがある」
「なんです?」
 ミレニアが怪訝な表情を向けた矢先、ライスはふらふらと2、3歩よろめいてから「バターン」と音を立てて倒れた。
「その…なにか食べるもの、飲み物などを持っていたら、分けて頂けると大変に有り難いのだが。この1週間、ほとんど飲まず喰わずでね……」
「そーいうことは、無理してカッコつけてないで早く言ってくださいよーっ!」
 生来の青白い肌のせいでいままで気づかなかったが、ライスは相当に衰弱していた。
 あくまで相手への気遣いを忘れぬ態度で物を言うライスに、ミレニアは狼狽しつつ急いで携帯していた水筒の水を彼の口へと含ませる。
 水筒の水をすべて飲み干し、差し出された携帯食をあっという間に平らげてから、ライスは呼吸を整えると、話をはじめた。
「いやはや、まさか食事がこれほど有り難いものだったとは!君にはどんな礼をしても足りないくらいだよ。とはいえ、まずはここから脱出することを考えねばなるまいね」
「そもそも、これ、なんなんです?」
「ああ…どこから話したものかな?とりあえず状況を説明するためには、私がいままで決して口外しなかった秘密を明かす必要があるだろう」
「秘密?」
「ああ。私は絵を描くときに、特別な筆を用いている。父が九大神の女神ディベーラより授かった、絵の中で絵を描くことができる筆。絵の世界でそれを振るうことにより、描いたものを具現化することができる奇跡の産物。私の絵が緻密さを極め、まるで生きているようだと見る者に形容させる、これがその秘密の正体だ」
「奥様は、その秘密のことを知ってるんですか?」
「いや、ティベラにも知らせていない。いつもアトリエに施錠している理由さ、あれは気立ての良い女だが…いささか口の軽いところがあるからね」
「それでも、万一のために予備の鍵を持たせる程度には信頼してるんですよね」
「まあ、そうだ」
 そう言って、ライスは口をほころばせた。
 しかし、その表情はすぐに固いものへ変わってしまった。
「ただ、そうやって厳重に警戒していても、実際は家内を遠ざける程度の役にしか立たなかったようだ。あの日、私がアトリエに入ったとき、施錠した瞬間に背後から襲われたよ」
「襲われた?」
「強盗にね。どうやら前もって家に侵入し、アトリエの鍵をピッキングで解除したあと、内側から鍵をかけて息を潜めていたらしい。わざわざ私が入るのを待っていたのは、その強盗が<自分が探しているものが何であるか>を知らなかったからだ」
「…妙な言い方をしますね」
「おそらく、私のことを快く思っていない画家にでも雇われたのだろう。フン、『貴様の描く絵の秘密を教えろ、命が惜しければ』とかなんとか、言ってたな。私は技法を公開したりといったことは断固として拒み続けてきた、その点について疑いを持つ者がいても不思議ではない」
「それで、あなたはどうしたんですか?」
「ここに逃げてきた。ディベーラの筆を使って、描きかけの絵の中にね。今にして思えば、それは私が犯した最大の失態だった。おそらく、その時点で強盗は私が隠してきた秘密に気がついたはずだ。私が絵の中と現実世界を繋ぐゲートを閉じる前に、強盗は絵の中まで私を追ってきた。そして…ガツン!私は気絶させられ、ディベーラの筆を盗賊に奪われてしまったというわけさ」
 そこまで言って、やれやれ、ライスは肩をすくめた。
 もし強盗がすでに外の世界へ脱出していて、さらにディベーラの筆の力を使ってゲートを閉じていたら…ミレニアはゾッとした。もうこの世界から出る術はないということじゃないのか?
 しかし、すぐに「そうではない」と思い直した。もしそうであれば、自分が開きっぱなしのゲートを通ってここに来れたはずがない。それに、もし望みが絶たれた状況であれば、ライスがこれほど冷静でいられるはずがなかった。
 はやる気持ちを抑え、ミレニアはライスに訊ねる。
「それで、強盗はどこに」
「ああ…この話の中で一番愉快な、そして不愉快な部分だよ、それは。奴はディベーラの筆の持つ魔力に逆らえなかったのさ。好奇心にね。ほんの戯れのような気持ちだったのだろう、奴は自分でも絵を描きたくなったのさ。ひょっとしたら雇い主を出し抜いて、自分が新たな筆の持ち主になるつもりだったのかもしれない。稀代の絵描きになるための予行演習のつもりだったのかもしれない。君は、私の絵がたびたび批評家の不評を買う理由を知っているかね?」
「…いえ」
「生き物を描かないからさ。私は風景画専門だが、それにしても鳥や虫すら一切出てこないのはおかしい、あいつの絵の技術には大変な偏りがあるんじゃないか、とよく言われるよ。私はそういった批判を甘んじて受け入れてきた、まさか本当の理由を話すわけにはいかないからね」
「なんか、だんだん事情が飲み込めてきたような気がしてきた」
「そうだろうとも。ディベーラの筆は描き手の感情を絵に反映させる、描き手自身でも気がついていないような欲求、願望でさえもね。それでも、土や、水や、植物といったものであれば、どんな感情で描かれたものであろうとそうそう害を成すものではない。だが、生物となると話は別だ」
「その強盗は、いったい何を描いたんですか?」
「あの阿呆め、よりにもよってトロールを描きやがったのさ。それも子供みたいなテンションで、強くて大きくてタフなトロールをね。で、実体化した強くて大きくてタフなトロールは、いの一番に強盗を叩き潰したというわけさ」
 なるほど、話に見事なオチがついたなとミレニアは思った。
 もっとも、それは強盗を主役に見立てた場合の話であって、主役が退場したまま舞台に残ることを強要された身としてはあまり笑えないのだが。
「悲劇と喜劇は紙一重って、こーいうことかなぁ。それで、肝心のディベーラの筆はどこにあるんです?」
「死体になった強盗が、後生大事に握り締めたままさ。その近くでは絵のトロールが徘徊したまま、私にはどうすることもできない。せめてトロールの目を盗んで強盗の手から筆をもぎ取るか、さもなくば<ぼくがかんがえたさいきょうのトロール>を倒せるだけの力があれば良かったんだが、生憎と私は運動神経の鈍さには定評があってね」
「つまり、強盗の死体からディベーラの筆を取ってこれれば、この世界から脱出することができるってわけなのね?」
「そういうことだ。現状では、ゲートは一方通行の状態だからね。君は魔術大学の会員だと言ったが、こういう荒事に縁があったかね?」
「少しは」
 ミレニアは答えを適当にはぐらかした。
 魔術大学の会員としてのみならず、盗賊ギルドでの仕事も勘定に入れれば並の冒険者よりは修羅場を潜り抜けてきたはずだという自負はあったものの、それを今言うべきだとは思わなかった。
 あまり気の進む仕事ではないが、運動音痴な画家を無駄死にさせることもないだろう。
「それじゃあ、ちょっくら行ってきちまいますよ。ちょちょいのちょいで筆を取ってきちゃいますから、それまでここで待っていてくださいね」
「頼むよ。私も何か、力になれれば良いんだが…いや、うん、そうか。ちょっと待ってくれないかね?」
 さあ行くぞ、と足を踏み出したミレニアを、ライスが引き止める。
 ライスは腰のポーチを開くと、幾つかの瓶を取り出してミレニアに手渡した。
「これを持っていってくれ、テレピン油だ。絵の具を溶くための溶剤なんだが、そもそも絵の具で構成されたトロールには効果てきめんだろう。私だったら使う前に握りつぶされるのがオチだろうが、君なら上手く使いこなせると思う」
「ありがとうございま…くさっ!」
 テレピン油を受け取ったミレニアは、礼を言い終わらないうちに悲鳴を上げた。
 いちおう瓶には封がされていたが、それでも閉じ込めきれない有機溶剤特有の刺激臭にミレニアは顔をしかめる。おそらく、この世界全体に漂う妙な匂いも、このテレピン油によるものだろう。
「しっかし、その…なんです、よくこんな酷い匂いの中で平気でいられましたね」
「…?なぜだね?良い香りだと思うのだがなぁ」
「えー……」
 おそらくライスはこの匂いに慣れているのだろう、いや、この匂いが苦にならなかったからこそ画家になれたのかもしれないが、とにかくミレニアにわかったのは、彼が自分と同じ苦しみを共有することはないだろう、ということだった。

  **  **  **  **

 ライスの元を離れてすぐ、ミレニアは彼の説明が不完全なものだったことに気がついた。
「…トロール、1匹じゃないじゃんかぁっ!」
 てっきり強盗はトロールを1匹描いた時点で命を落としたものとばかり考えていたのだが、森の中を徘徊する数匹のトロールを見て、ミレニアは思わず呻き声を上げた。
「なんていうか、これ、こっそりやり過ごすの難しくなっちゃったなぁ…あいつら人間と違ってカンがいいし」
『グヴァ?』
「ん?」
 ぶつぶつとつぶやくミレニアの背後に迫る、緑色の巨体。
 ミレニアがおそるおそる振り返ると、そこには油絵タッチのトロールが超然と佇んでいた。
「…もう見つかってるしーッ!?」
『グオォォオオオォォォォッッッ!!』
 間髪いれずに振り下ろされた拳を、ミレニアは寸でのところで回避する。



 トロールが体制を整え、ふたたび襲いかかってこようとする前に、ミレニアはライスに渡されたテレピン油の栓を外し、相手に投げつけた。
 宙空に放り出された瓶はトロールの胴体に命中すると同時に砕け散り、飛散したテレピン油はトロールの肉体をみるみるうちに融解させていく。
 ドジュウウウゥゥゥゥゥッ!
『ゴ、アガッ!?ガッ、ゴボ、ゴボゴボゴボ……』
「なぁんだ、思ってたより楽勝だあねエ」
 まるで夏場のソフトクリームのように脆く崩れ去るトロールを見て、ミレニアは余裕の表情を浮かべる。
 が、それも束の間のことだった。
『グルゥ…』
『グゴ?ガ、ゴアッ、ゴアッ』
『シュウウウゥゥゥゥゥ』
 周囲をうろついていたトロール達が、一斉にミレニアを睨みつけてきた。
「ヘン、アンタ達なんて怖くないもんねー」
 そう言って、テレピン油の瓶を取り出そうとするミレニア。
 しかしそこで、ライスから渡された本数よりも、いま相対しているトロールのほうが数が多いことに気がついたのであった。
「……やば~い」
『ゴアァァァアアアアァァァァァッッ!!』
 襲いかかってくるトロールに、ミレニアは迷いなくテレピン油の瓶を投げつける。
 バキンッ、ドジュウウウッ!
 瓶の直撃を受けたトロールは融解し、それを見た他のトロール達が狼狽して後ずさる。
 その隙を見逃さず、ミレニアはすぐさま踵を返すと、全力で駆け出した。
「三十六計、逃げるが勝ちっ!あーばよー!」
 もとよりトロールは脚の早いモンスター、それも描き手の思い入れが反映されているとなれば、どんなスピードで追われるかわかったものではない。
 そういった点を考慮して、ミレニアはトロールの巨体では通り抜けられないような狭く入り組んだ路をわざわざ選んで進み、やがて追跡の手から逃れたと確信したと同時に、目の前の視界が開けて広大な砂漠が現れた。



「…あれかぁ……」
 砂漠を跋扈する1匹のトロール、そして血まみれの姿で横たわるボズマー(ウッドエルフ)の亡骸を視界に捉え、ミレニアがつぶやく。
 ズザザッ、崖を滑り下り、音を立てないようこっそりと近づいてから、ミレニアはトロールにテレピン油の瓶を投げつけた。
「死ねよやー!」
『アッバアアァァァァァッ!!』
 グジュウウウウゥゥゥ!
「くっさ!これくっさ!」
 溶けた絵の具とテレピン油の匂いが混じって、これは…くさい……
 ミレニアは鼻をつまみつつ、周囲にトロールがいないことを確認すると、横たわっている強盗の死体を漁った。死後1週間経っているからか、かなり腐敗が進んでいる。特異な空間だからか、虫がほとんど湧いていないのが幸いだった。



「ああ…これなら溶剤の匂いのほうがマシだわねー。不幸中の幸いというか」
 そんなことをつぶやきながら、ミレニアはほとんど骨と皮だけになった強盗の指からディベーラの筆と思われるものを抜き取った。
 ひょっとしたら、これとは別に貴重品を持っているかも…盗賊のカンがそう告げたが、しかし欲得のために腐敗死体を漁るのは気が進まなかった。それに、いつ他のトロールがこの場所を嗅ぎつけるかわからない。
「とりあえず、さっさとこの世界から出ないとねー」
 ディベーラの筆をバックパックのサイドポケットに仕舞うと、ミレニアは来た時とは別のルートを辿ってライスの元へ向かった。ミレニアは土地勘や方向感覚には自信があったため、間もなく暇を持て余しているライスの姿を発見した。
 ふたたびディベーラの筆を手に取り、ライスに声をかける。
「やっ」
「おお、それはまさしくディベーラの筆!それさえあれば、現実世界へ帰るための出口を作ることができる!さあ、筆を渡してくれたまえ」
 満面の笑みを浮かべ、筆を受け取ろうとするライス。
 しかし筆を渡す直前にミレニアが躊躇すると、その表情に警戒の色が浮かんだ。
「…どうしたんだね?」
「この、筆を使えば…望んだままのものが、実体化するんですよね。現実のものに。もし、それを現実世界に持ち帰ることができれば……」
 そう言って、ミレニアは筆をぎゅっと握り締めた。
 もし、強力な武器を創造することができたら。今度こそあいつを殺せるかもしれない。
 それより、死んだ両親を…愛する両親を描くことができたなら、自分はまたあの幸せな日々に戻ることができるのでは?
 そういったミレニアの思考を読んだのかはわからないが、ライスはディベーラの筆を握るミレニアの手をがっちりと掴むと、首を横に振った。
「何を考えているのかはわからないが、やめておいたほうがいい。この筆を欲望のままに振るうと碌なことにはならんよ、あの強盗の末路を例に出すまでもなく。目的が善良なものであるか、そうでないかはこの際関係がない。それに、この筆の力はあくまで絵の中でしか発揮することができない。そして絵の中で描いたものを、現実世界に持ち込むことはできない」
 ライスの真剣な眼差しを見て、ミレニアはハッと我に返った。
 そしてまた、ミレニアはあることに気がついた。この筆を振るうには、欲望を自制するだけの強靭な精神力が必要なのだと。とどのつまり…自分には、この筆を振るう資格がないということを。
 恥辱と後悔、おまけに自責の念のようなものまで沸き上がり、ミレニアは顔を伏せたままライスに謝罪した。
「あ、その…ごめんなさい……」
「いや、気にすることはない。この筆はたまに、こうやって人を惑わせるクセがある。神の真意など、どうして我々にわかるはずがあるかね?出来ることといえば、そう、精一杯に真摯な解釈をするだけさ」
 そう言って、ライスはミレニアに背を向けると、宙空に向けて筆を走らせはじめた。
 何もなかったはずの空間に、みるみるうちにキャンバスが現れ、そしてキャンバスの中にライスのアトリエが描かれていくのを見て、ミレニアは目を見開く。
 なにより、そうやって黙々と役割を果たす姿が、かつての父の面影を思い出させて……
 どうにもやるせない気持ちを抱えたまま、ミレニアもライスに背を向けた。この牧歌的な光景を俯瞰して見ることで、少しでも気分を落ち着かせようと思っていたのだが、そこでミレニアは見たくもないものを目にしてしまった。
「げぇっ!?」
「どうしたかね?」
「トロールがっ!」
「何ぃ!?」
 なんと、いままで森の中を徘徊していたトロール達が、一斉にこちらに向かって来ていたのだ!
 4匹、5匹、6匹…全部で何匹いるんだろうか?まるで獲物を逃すまいとするかのように、驚くべきスピードで疾走してくる。



「えーと、何か武器になるようなものは…」
 兎に角も、ライスが出口を描き終わるまでトロールを喰い止めなければならない。
 慌ててバックパックを漁り、ミレニアはいつかどこかで拝借したまま忘れていた「あるもの」を取り出した。
「バールのようなもの!もとい、カナテコ!」
 カナテコを取り出してから、ミレニアは武器になりそうなものがこれしかないことに絶望した。
 はっきり言って、こんなものでトロールの大群を相手にできるのは某物理学者くらいのものだ。それでも牽制くらいにはなるだろうかと思い、先陣を切るトロールの眉間目がけて投げつけようとした瞬間、ライスの叫ぶ声が聞こえた。
「出口が完成した!早くこのキャンバスの中へ飛び込むんだ!」
「な、ななナイスタイミングっ!」
 ミレニアはより多くのトロールの注意を惹くべく、カナテコを宙高くに放り投げると、急いでキャンバスに向かって走り出す。
 回転しながら宙を舞うカナテコにトロールの大群が目を奪われたとき、ミレニアと、それに続いてライスがキャンバスの中にダイブする!

  **  **  **  **



 ドサッ!
「うおーっ」
「な、なんとか助かったか…」
 ガッシャーン、パレット皿や筆をふっ飛ばしながら、2人は無事にアトリエへ生還することができた。
 のっそりと起き上がりながら、ライスがかぶりを振る。
「いやはや、非常にスリリングかつ貴重な体験だったよ。もう一度、同じ目に遭いたいとは思わないが」
「同感です。ていうか、今回の件、魔術大学にどう報告すればいいんだろーか」
「できるだけ、ディベーラの筆については触れないで頂けると、大変に有り難いのだけれども」
「ですよねー…フウ」
 そのかわり、可能な限りの報酬は用意する…そう言いながら、ライスは先ほどまで自分が中に存在していたキャンバスの絵をじっと見つめる。
 そこには、森の中で大暴れするトロールの姿が描かれていた。現実世界からだとただの絵にしか見えないが、それでも凄まじい迫力、鬼気迫るものを感じ取ることはできる。
「うん…これはこれで良いのかもしれないな。唯一ライス・リサンダスが生物を描いた異色の一枚として評価されるかもしれない」
 そんなことをつぶやくライスを見て、ミレニアはふたたびため息をついた。




2013/07/21 (Sun)16:50

 ガチャリ、ガチャリ。
 聞き慣れない金属音を背中でかき鳴らしながら、ちびのノルドはブラヴィルを出た先…ニーベン湾沿いを南下していた。
「貧乏暇なし…かなぁ~」
 いや、別に貧乏なわけではないのだが。
 大金持ちではないにしろ、当面の生活に困らない程度に貯金はできている。それに戦闘職は基本的に「明日をも知れぬ我が命」が宿命であり、他に生きる目的があるのでもない限り、老後の貯蓄なんて言葉とは無縁だ。
 いますぐ金を必要としているわけではない、貯蓄する目的もない。
 それだっていうのに、どうしてこう毎日西へ東へと駆けずり回っているのか。
「無能扱いされるのはのは癪ですけど、有能だと思われるのも、それはそれで気苦労が多いのであります」
 ちびのノルドはため息をついた矢先、破棄されたと思しきキャンプ跡地を発見し、少し軽くなった足取りでちょこちょこと近づいた。



 炭化した薪を拾い上げ、一言。
「どうも、このキャンプは破棄されてから随分経ってるみたいですね…まだ形があるのが不思議ですけど」
 水平線の監視でもしてたのかな?などと考えながら、ちびのノルドは労せずに今日の寝場所が確保できたことを素直に喜んだ。もし就寝中にキャンプの設営者が帰ってきたとしたら、それが善人であれ悪人であれ、多少は面倒なことになるだろうから。
 すっかり湿気てしまっている薪をどかし、ちびのノルドは手近な場所から乾いた枝を拾い集めると、携帯していた亜麻の粉末を振りかけてマッチで火を起こした。
 ブラヴィルで購入した乾燥鹿肉をかじりながら、ちびのノルドはしみじみとつぶやく。
「シロディールはいいなぁ…野営に苦労することがなくて」
 植物、動物、水源なにもかもが豊富で、困るような要素がまるでない。
 スカイリムでは寒さもさることながら、身体を温めるための火を確保するにも大変に苦労した記憶がある。なにせ薪に使えるような木や枝が見つからないことが多く、食肉用に仕留めた動物の脂肪を燃やして暖を取ることも珍しくはなかったのだから。
 そんなことを思い出しながら…ちびのノルドは、シェイディンハルの戦士ギルドでのやり取りを反芻する。
 ログバト嬢の件は、支部長バーズ・グロ=カシュに対してかなり好印象を与えたようだ。ただ、そうやって得た評価の先にあるものは、休息とは程遠いものであったわけで。
『レーヤウィンでウチのモンがトラブルを起こしてるらしい。ただでさえ大変な時期だってのに、これ以上ギルドの評判が落ちるようなことがあっちゃならねぇからな…ちょっくらレーヤウィンまで行って、ガキどもの面倒を見てやっちゃあくれねえか?』
 なぁに、飛んだり跳ねたりが必要なわけじゃねえから、羽を伸ばすつもりで行ってくりゃあいいさ…バーズはそう言ったが、要するに僻地(失礼)まで雑用に飛べということだ。
 トラブルを起こしているらしいギルド員について、バーズは事も無げに「ガキども」と括ったが、実際はちびのノルドよりキャリアが長く実績も積んでいるはずだ。それを、成長株の新人に説教に行かせると言うのだから、ちびのノルドにとっては心臓に悪いことこのうえない。
 それというのも、ちびのノルドが「ドジでマヌケな新人」のままであれば任されるはずのない仕事ではあったが、実質的な待遇としてどちらがマシであったかを考えると、なんとも言えない心境に陥る。
「……寝よう」
 考えても仕様のないことは、考えずに済ませるに限る。
 けっきょく処分し損なったラグダンフ卿の剣を傍らに置き、ちびのノルドは破棄されたテントに無造作に敷かれた布団に身を横たえた。見張りのいない単独での野宿なので、アーマーは脱がないまま目蓋を閉じる。
 気の進まない雑用も、手に余る剣の存在も、すべて自分が状況に流されるまま自主的に行動しようとしなかったせいだ、という点については考えないことにした。

  **  **  **  **

 床についてから2~3時間、といったところだろうか。
 ちびのノルドは何者かが近づいてきた気配を感じ取り、緊張に筋肉をこわばらせる。
「…まさか、本当にこのキャンプの主が帰ってきたとか?」
 しかし、それにしては妙な気配だ。
 存在感がない…とでも言おうか。足音がしないのはともかく、敵意も警戒心も感じ取れないのはどういうことだろう?
 気配を殺して行動するのが得意な相手、というのはわかる。だが、そういった技術は誰しもが持っているわけではない。そして、そういう技術を身につけている者には、「それなり」の理由というものがあるはずなのだ。
 だが、いまちびのノルドに接近している「何者か」は…そういった、行動に伴うものが「何もない」。
 野生動物かとも思ったが、そもそも人間とその他の動物は行動における思考パターンがまるで異なるから、それはないと思い直した。
「…考えてても、仕方ないですよね」
 闖入者の姿を拝むべく、ちびのノルドは警戒を強めながら、のそのそと布団から這い出た。



 果たして、目の前にいたのは人間ではなかった。もちろん、野生動物でもなかった。
「……~~~~~~っっっ……!!」
 微かに発光する半透明の男の姿を視界に捉え、ちびのノルドは絶句する。
 幽霊だった。相手はどこからどう見ても幽霊だった。巨大アヒルと戦車を見間違えることがないのと同じくらい、それは確実に幽霊だった。
「ギエーッ!」
 幽霊が苦手なちびのノルドは、思わず異様な悲鳴を上げてしまった。女の子が出していい声じゃない。
 その声につられて…かどうかはわからないが、幽霊がちびのノルドに向かって振り返る。
 半べそをかきながら腰を抜かしているちびのノルドをしばらく見つめたのち、幽霊は口を開く。
『ついてきてください…』
「ひぃっ!?」
 穏やかな男性の声に、ちびのノルドはびびりまくりの反応しか返すことができない。
 しかし幽霊はそういった反応には興味を示さず(慣れているだけかもしれないが)、踵を返してちびのノルドに背を向けると、淡々とした足取りで何処かへと歩きはじめた。
 しばらく呆然としていたちびのノルドだったが、すぐにマスクを装着し、ラグダンフ卿の剣を背負って幽霊の後についていく。



 こそこそと隠れながら。
「うぅ…近づきたくないなぁ…関わりたくないなぁ…」
 泣き言をつぶやきながら、しかし言うことを聞かなかったせいで祟られたりするのもそれはそれで怖いし、大抵の幽霊は頼みごとを聞いてやれば成仏する、という話を小耳に挟んだことがあったため、ちびのノルドは仕方なく幽霊の背を追うのであった。

  **  **  **  **

 そもそも幽霊というのがどういったものか、いわゆるモンスターに類される「ゴースト」と呼ばれる存在と目の前の霊魂にどのような違いがあるのか、などといった諸々の疑問もあるにはあったが、それよりも幽霊の移動距離が予想より随分と長いことに、ちびのノルドはいささか辟易していた。
 肉体的な疲労を前に恐怖心は薄れ、野山を登ったりしているうち(そういえばこの幽霊には足があるな、などと考えつつ…思念の強さから人としての原型を強く残しているのだろうか)、ようやく足を止めた幽霊の横にぴったりくっつくような形でちびのノルドも立ち止まった。



『あそこに…私の魂が捕らわれています。もう何年も…何十年も…ずっと…ずっと』
「魂?でも、それじゃああなたは」
『ここにいる私は、微弱ながら飛ばした思念を人に見えるよう形成したものに過ぎません。あまり長くは存在できないのです』
 丘の上から河の向こう岸を見つめる幽霊と会話を交わすちびのノルド。
『この河を越えた先…豹の口と呼ばれる場所に、大破した貨物船が…私の、エ…メイ号…魂…そこに……』
「え、あ、あのっ!?」
 だんだん口調がおぼつかなくなってきた幽霊を見て、ちびのノルドが「あっ」と声を上げる。
 すでに幽霊…もとい魂の一部を切り離した思念体は消えかかっており、やがてそれは足元からスーッと姿を消してしまった。
 最後に、一言だけ残して。
『お願いします…私を、救ってください……』

  **  **  **  **

「なぁんか、すっごくイヤで面倒なことに巻き込まれた気がします…」
 がくりと肩を落とし、あまり捗らない足取りで、それでもちびのノルドは思念体の指し示した「豹の口」と呼ばれる場所へと向かっていく。
 なにより、あそこまで話を聞いておいてなお無視しようものなら、逆恨みでどんな報復を受けるかわからない…というのは、半分は冗談にしても、基本的にはお人好しのするちびのノルドにとっては捨て置けない問題だった。
「…あんなふうに頼まれたんじゃなー……」
『お願いします…私を、救ってください……』
 思念体の声を反芻し、ちびのノルドはため息をつく。
 哀願、というものがこの世に存在するというのなら、あれこそがまさにそうだろう。それは言外に「私には、あなたしか頼れる相手がいない」とも言われているようで、ちびのノルドにとっては気が重くなる話だった。



 やがて、ちびのノルドは「豹の口」と呼ばれる場所へと辿り着く。
「豹河がニーベン湾と合流する三角州、そこにある鋭く尖った2枚の大岩…なるほど、豹の口、ですねぇ」
 おそらく地元住民であれば来歴を知っていたであろう地名に頷きながら、ちびのノルドは座礁した船を発見すると、周囲を警戒しながら近づいた。
 こういったロケーションは、賊の拠点やモンスターの棲家として利用されていることがままある。もっとも、そういった「地元住民」の存在を察知するのはそう難しいことではないから、ちびのノルドも念入りに捜索するようなことはしない。
 船体に刷り込まれている、消えかかったステンシルの文字に気がついたちびのノルドは、目を細めながらもどうにかしてそれを判読した。
「貨物船、エマ・メイ号…」
 おそらく、あの思念体が言い残した船はこれのことだろう。
 しかし。
「で、わたしは何をすればいーんでしょうかね」
 私を救ってください。
 おおざっぱな願いにもほどがある。
 どうやらこの船が座礁してからかなりの年月が経っているらしく、船体のあちこちが老朽化し、ガタがきている。
 できれば、こんな場所に潜入するのは願い下げなのだが。ただ、外周を調べただけで件の霊が開放されるとも思えず。



「ここから入れるかな?」
 ちびのノルドは船体の横腹に空いた大穴を調べながら、誰ともなくつぶやいた。
 トレジャーハントにしても、いままで誰の侵入も許してこなかった可能性は低いし、なにより幽霊と関係のある場所から獲った物品を持ち歩くのもぞっとしない。実質的な実入りは期待できなかった。
「ハァ…とことん気が進まない…」
 よいしょ、小さく声を出しながら、ちびのノルドは身を乗り出して船内に浸入した。



 シューッ、シューッ、シューッ。
 まるで蒸気が漏れているかのような音が前後から聞こえ、ちびのノルドは本能的に身構える。
 そこにいたのは、2体のゴースト。
 あの思念体のような温和なものではなく、怨念によってこの世に留まったか、あるいは魔法で無理矢理にこの世に繋ぎ留められている類の、それはまさしくモンスターと呼んで差し支えない存在だった。
「ギョエーーーッ!?」
 基本的に心霊現象が苦手なちびのノルドは、攻撃的な意思(というより、指向性…と言ったほうが正しいか)を持つ悪霊の挟み撃ちを受けて、あからさまに動揺する。
 しかしゴーストの細長い指先から冷気が迸るに至って、ちびのノルドは正気を取り戻してそれを回避した。
 肉体を瞬時に凍結させる冷撃魔法がちびのノルドの頭上をかすめ、古ぼけた木箱に命中してそれを破砕する。どうやら、自らの攻撃行動で船が大破しかねない点については考慮していないようだ。
「どうしよう…」
 ちびのノルドは霊体への攻撃手段を持たない。武具とも魔法とも縁のない彼女の徒手格闘では、実体を持たない存在に対抗することができず…と、そこまで考えたところで、ちびのノルドはふと背中の荷物の存在を思い出した。
 ラグダンフ卿の剣。この剣はたしか、魔法によるエンチャントが付与されていたはず。
 だとすれば、霊体への攻撃も可能…ちびのノルドは剣を抜き、慣れぬ手つきでそれを構えた。
「剣は、あまり得意じゃないんですけどね」
 ちびのノルドはマスクの奥で表情を引き締めると、次なる呪文を放とうとしているゴーストに向かって斬りかかった。



 ドッ、ザシュッ!
 相手は肉体を持っていないにも関わらず、斬りつけたときに確かな手応えを感じることにちびのノルドは驚きを隠せなかった。
 そして、なにより。
『キ、キシュッ、シュァェェェエエエエエ!!!』
「…こ、これ……!」
 この剣、強い!
 剣術に関してはまるでど素人のちびのノルドがでたらめに振り抜いただけで、ゴーストは両断され地面に吸い込まれていく。
 返す剣で背後にいたゴーストも薙ぎ払い、勢いをつけすぎたせいで少しよろめきながらも、ちびのノルドはゴーストの気配が失せたのを確認して一息ついた。
「さて…えーと、まずは状況判断のための材料が必要ですよね」
 この船はなんなのか。あの幽霊は誰なのか。そして、過去にここで何が起きたのか。
 それを調べるためには手掛かりが必要だ。ちびのノルドは松明に火を灯すと、周囲の捜索をはじめた。



 やがて、船室の一つで本らしきものを見つける。
 テーブルの上に乗っていたそれは、どうやらこの船の乗組員が書き残した航海日誌のようだった。
 ちびのノルドは松明の火が周囲に燃え移らないよう注意しながら、航海日誌のページを捲っていく。
『…レーヤウィンから北上する途中で、暗雲が立ち込めてきた。嵐の予感がする。俺たち船員は気候が安定するまで最寄の港に停泊することを提案したが、船長は予定を優先させて航行を続けることを決定した…』
「日付は3E421年、12年前の出来事ですね」
『…最悪の事態になった。台風だ。船は揺れ、まともな航海など望むべくもない。俺たち船員の不満が爆発し、ついに反乱が起きた。ゲイブルを筆頭に俺たちは船長と彼を支持する勢力を幽閉し、船のコントロールを掌握した。奴らはいずれ始末しなければならないが、何よりもまず俺たちの安全の確保が最優先だ。ゲイブルの的確な指示のもと、俺たちはどうにか台風をやり過ごせる場所まで船を動かすために奮闘した。穴が空くほど地図を凝視し、近くに入り江があることを発見した俺たちは、ひとまずその場所に避難すべく…』
 日誌の記述は、ここで途切れている。
 おそらく、地図には豹の牙…あの鋭く尖った大岩の情報はなかったのだろう。エマ・メイ号は豹の口に飲み込まれ、船員はすべて命を落としたのだ。
 船長が横車を通さず、天候の回復を待っていれば、という船員の言い分もわからなくはない。しかし運送業において顧客の信頼を損ねるような事態は避けねばならず、まして時間のいたずらな経過は荷物を駄目にしてしまう可能性がある。商売はボランティアではない。
 結局、誰かが悪かったわけではないのだろう。ただ、不幸な事故だった。それだけだ。船員は成仏できなかったようだが。
 おそらく、思念体の送り主はこの船内にいる。彼と対面しなければならないだろう。

  **  **  **  **

 上部甲板から下層甲板へと降り、ちびのノルドは油断なく松明の明かりを揺らしながら周囲を捜索する。
 やがて彼女の目の前に、巨大な漆黒の影が姿を現した。
『こんなはずじゃなかった…こんなはずじゃ…みんな、すまない…すまない……!』
 聞こえてきたのは、青年がすすり泣く声だった。
 生き残りでは有り得なかった。ちびのノルドは警戒しながら、声の主に松明の明かりを向ける。
 そこにいたのは漆黒のローブを纏った、老人のような風体の「何か」。
 ちびのノルドの気配を察したのか、「それ」はからからに干からびた無貌を彼女に向けると、かすれた声で話しかける。
『キミは…ダレ?どウしてこコニ?コこハ…ドこ?僕ハ…どうシテここニ?』
「あなたは…」
『コこ…どこ…ナニ…だレ…哀しい…辛い…くルしイ…何何何何何何何何』
 漆黒の影は突如痙攣をはじめ、自身を抱えながら苦しそうに呻く。
『ナゼ…なぜ…苦しい…苦しいよ…痛い…いタい…やめてくれ、やめて…やメてよ…やめ、やめろ…やめろ、やめろ!!ぁぁあああアアアアああおおおあアァァァアアアアアッッッ!!』
 やがて漆黒の影が絶叫し、船内が炎に包まれる。
 突然の出来事にちびのノルドは狼狽し、やがて四方が炎に囲まれたこと…退路を絶たれたことに気がついた。



「え、ちょ…ちょっと!」
『憎い。苦しい。腹立たシイ、イらダつ、ムかツクんダよ!くそ、くそっ、畜生!みんな、みんnア、みhだすhbんjfhんkjdhんどあfjdklfjoooooooooooぁあああアアアア!!!!』
「くっ…!」
 駄目だ、話が通じそうな相手じゃない。
 ちびのノルドは松明を相手に投げつけ、怯んだ隙にラグダンフ卿の剣を叩き込もうとする。しかし亡霊はエンチャントが付与された刃を掴んで止めると、もう一方の掌でちびのノルドの頭を掴み、強烈な思念を流し込んできた。
「う、わ、わぁっ!?」
 あまりに強烈な怒り、哀しみ、苦痛といった感情を脳に直接流され、ちびのノルドは電流が走ったように肉体を痙攣させる。同時に襲いかかってきた不快感で嘔吐しそうになるのをこらえながら、どうにかして剣を引き抜き、距離を取る。
 そして、わかったことがある…目の前の亡霊、彼こそ、船員を率いて反乱を起こしたゲイブルという青年なのだと。
 彼は生真面目な性格で、他の船員からの人望は厚かった。そして思いやりがあるゆえに、船員の安全よりも組織の運営を第一に考える船長とたびたび衝突していた。そして……
 ゲイブルの亡霊が流し込んできた邪悪な感情の裏に秘められた想いから、読み取れたのはそんな情報だった。
『許せない、ゆ、ゆルッ、ユるセナい……ッ!!』
 誰を?
 船員を死なせる原因を作った船長を、そして、船員を救えなかった自分自身を。
 絶叫し続けるゲイブルの姿を見つめながら、ちびのノルドは剣を構えなおし、泣き出しそうになるのをこらえながら再び斬りかかる。
「あなたは…もう、ここに居ちゃだめだよ…!」
『あああァァッァァァァォォアアアああおおああえあえあえああ!!』
 ちびのノルドが振り下ろした刃を、ゲイブルは両掌でがっちりと掴み取る。
『おマエに、僕の、絶望がわカルかッ!?ぼクの苦しミが、ワカるッていウのカ!?』
 ゲイブルが刃を通して流し込んでくる、どす黒い感情に耐えながら、ちびのノルドはありったけの力を込めて押し返そうとする。
『お前なンカニ、わかルハズがナイ、オまエなんかに、理解…理解、でキルはずガなイんだ!』
『デモ……』
「?」
 目の前に迫る無貌に、わずかだが動きが見えたのを、ちびのノルドははっきり捉えることができた。
『理解してほしい』
『わかってほしい』
『苦しい』
『辛い』
『苦しいよ』
『助けて』
『助けて』
『助けて……』
 泣いていた。彼は、泣いていた。子供のように。
 そしてちびのノルドもまた、彼の感情にあてられて涙を流しながら、剣に込める力をいっそう強めた。
 そして。



 ふっとゲイブルの力が抜けたのを機に、ちびのノルドは全身の体重を乗せてラグダンフの剣を彼の胸に突き立てる。さらに大きなダメージを与えるべく、ちびのノルドは柄を握ったままゲイブルの頭上に躍り出た。
 深く突き刺し、傷口を抉り、大きく剣を振り抜く、一連の動作はまるで曲芸のように優美で力強く。
 ちびのノルドの力と、ゲイブルの怨嗟を一身に受けたラグダンフの剣は、バキンと音を立ててばらばらに砕け散った。
『おぉ…おあぁぁああああ……』
 致命的なダメージを追ったゲイブルの亡霊は深緑色のガスのようなものを吐き出し、序々にその姿を小さくしていく。
『これで、ようやく、救われ……』
 いまや完全に姿が霧散したゲイブルは、か細い声でそう言い残す。
 肩を上下させ、マスクの内側で涙が乾いていくのを感じながら、これで良かったのだとちびのノルドは思い……
 しかし、それだけでは終わらなかった。
『……ない…』
「え?」
『…できない。納得できない。できるはずがない』
 すでに勢いが弱まっていた船内の炎がまた爆発的に燃えだし、まるでゲイブルの怒りを体現するかのように激しく周囲を焼いていく。
『みんな…奴のせいだ…あいつのせいで、こんな…こんな、こんな……!』
 もう霊体すら消滅したはずなのに、声だけがどこからともなく聞こえてくる状況に、ちびのノルドはただうろたえるしかできなかった。それにもう、ゲイブルはちびのノルドの存在を気にかけてはいないようだった。
 彼はただ、探していた。
『船長!いるんだろ、そこに!?出てこい、出てこいよ畜生!お前のせいだぞ、みんな!みんな死んだ、あんたのせいだ!!過ちを認めろ、あんたは間違ったんだよ!認めろよ、自分が悪かったって、みんなが死んだのは自分のせいだったって、認めろよ!みんなに!謝れよ!!死んだみんなに謝れよ!謝れよぉ!!』
 ゲイブルの絶叫が、船内にこだまする。
『謝れよ…謝れよ、畜生…みんな死んで…死んじゃって…死んじゃったよぉ……』
 やがて怒声がすすり泣きに変わると、船内を覆っていた炎がみるみるうちに収縮し、いままで炎で巻かれていたのが嘘だったかのように、周囲は静けさを取り戻していく。
 もはやこれまでか、と半ば諦めかけていたちびのノルドは顔を上げると、まるで何事もなかったかのように静かになった船内で、ゲイブルの最期の声を聞いた。
『ごめん、みんな、ごめん…僕には…誰も…助けることが……ただの…一人も……』
 そして。
 そして……
 ちびのノルドの周囲に、一切の気配が失せた。

  **  **  **  **

 船室の最奥で、ちびのノルドは幽閉されていた船長の亡骸と対面した。



 老朽化した拘束具を難なく破壊し、そっと身体を横たえる。
 すると、どこからともなく声が聞こえてきた。
『ありがとう。これで、私もようやくこの場所から解放される…そして、ゲイブルと、他の船員たちも。君には思い責を負わせてしまった。申し訳なく思う』
 それは、ちびのノルドをこの場所まで導いた思念体とおなじ声…エマ・メイ号の船長、グランサム・ブレイクレイのものだった。
『私には私の立場があり、彼には彼の信念があった。それが、こんな形で行き違ってしまうとは…思いもよらなかった。思いたくはなかった。彼のあまりに強い怨念に、私は近づくことすらできなかった。恥ずべきことだろうな』
 自嘲を込めてつぶやくグランサムの声に、ちびのノルドは静かに首を横に振る。
「みんなが努力して最善を尽くしても、それが最良の結果に繋がらないことだってあります」
 それが、この件ではたまたま最悪の結果を招いたというだけだ。それも、取り返しのつかない形で。
 しばらくグランサムの霊は黙っていたが(そのせいで、ちびのノルドはもう彼が天に召されたものだと勘違いしてしまった)、何を思ったのか急に声のトーンを変え、ちびのノルドに話しかけてきた。
『ところで…君には、礼をしなければならないな』
「え?」
 意想外の提案にちびのノルドは驚き、その言葉の持つ意味を吟味しようとする。
 幽霊が「お礼」とくれば、これはやはり、「現実は辛いことばかりだから、君も一緒に天国へ連れていってあげるよー」とか、そんなのだろうか。
 昔聞いたことがあるような、そんな類の怪談話を思い出し、ちびのノルドは身震いした。
「え、いや、そのー、お礼なんてそんな…いいですよ!めっちゃ間に合ってるっていうか、そもそもお礼とか期待して行動してたわけじゃないっていうか!だからその、迷わず天国に行ってくださいね!アデュー!」
『…えっと……?』
 困惑するグランサムの霊を余所に、ちびのノルドはわけのわからない口上をまくし立てると、すぐさま船から飛び出していってしまった。
 なにより、もうこんな場所には一秒だって居たくないという本心もあり、たとえ相手に下心がなくとも、10年以上も前に死んだ幽霊に一体どんな報酬が期待できるのかという考えもあり。
 とりあえず相手の望みは叶えたのだから、この期に及んで逃げても祟られることはないだろう…そう思っての行動である。
 一方でグランサムの霊は髑髏と化した自分の右手に握られている紙片を見つめ、ため息をついた。



 それは、船長室に安置されている金庫の暗証番号が書かれた紙だった。船員の給料とグランサムの個人資産、貨物船を運用するための資金など諸々が保管されている金庫の中身は現在でもちょっとした財産になるはずで、グランサムはそれをちびのノルドに譲るつもりだったのだが……
 やがてグランサムの霊が姿を消し、受け取り手のいない財産の鍵を手にしたまま横たわった髑髏は、寂しそうにカタカタと顎を動かしたのち、微動だにしなくなった。





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